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日本と海外と和歌山と《油絵の魅力 イズムを超えて レビュー》

2011 年 1 月 27 日 4,018 views One Comment

あなたの住む町や故郷はどんなところであろうか。地域格差、地方分権といった言葉をニュースなどで耳にすることが近年特に多いように感じられる。人間は生まれたときから様々であり、生まれる家までは選べない訳であるから、自分の境遇を受け入れてどうにか生きていくしかないのであるが、地域格差という問題になるといささか状況が異なってくるように思われる。政治の戦略とその未熟さこそが、現在の日本の地域格差を生み出しているとするのは行き過ぎた考えであろうか。とはいえ、百年以上も前に土佐という田舎から世界を見ていた坂本竜馬のことを思うと、しっかりとした自分の信念と志があれば地域格差さえも大きな問題ではないのかもしれない、そんな想いにさせられる。偉そうな言い方になってしまって恐縮ではあるが、和歌山県立近代美術館もしっかりとした信念と志を持っている美術館である。現在開催中の『油絵の魅力展』では和歌山近美の良さが十二分に発揮されている。『油画の魅力展』は和歌山近美の開館40周年を記念して、3部構成で行われている展覧会の第3部にあたる。展示されている作品の多くは和歌山近美のコレクションであり、1月30日まで同時開催されている『コレクション展2010-秋冬』の内容とも関連している。

『油画の魅力展』の内容について述べる前に、本展覧会の中心となっている和歌山近美のコレクションの特徴と特別展の開催方針について、美術館のホームページを参考にしながら触れておきたい。コレクションは大きく四つのグループからなっている。一つ目は郷土作家コレクションで、美術館の存在意義を体現していると言っても過言ではない。二つ目は近・現代版画コレクションである。不勉強ながら、ホームページによると国内でも屈指のコレクションだそうである。三つ目は戦後美術コレクションで、須田国太郎、白髪一雄、マーク・ロスコ、杉本博司、イサム・ノグチといった作家の名前が見出される。最後は玉井一郎コレクションである。その名の通り玉井一郎氏より寄贈を受けたもので、佐伯祐三、瑛九等の作品が挙げられる。

次に特別展の開催方針について見ておきたい。ホームページでは、(1)海外美術の秀作の紹介、(2)和歌山ゆかりの作家の紹介、(3)日本近代美術の紹介、(4)同時代の美術という四つの方針が挙げられている。和歌山近美という美術館について考える上で上記四つの方針は非常に重要なものである。そこで上記四つの方針に沿って『油絵の魅力展』の内容を見ていくことにする。まず、(1)海外美術の秀作の紹介であるが、今回の特別展ではルノワールの《苺》とマーク・ロスコの《赤の上の黄褐色と黒》が出品されている。ルノワールの《苺》は小品で、梅原龍三郎の作品の性格を伝える役割を担っているが、小品であれ展示理由がどうあれ、地元和歌山の人々にとって近所の美術館でルノワールの作品を鑑賞できることの意味は大きい。美術館側も、地元の人々に少しでも海外美術の秀作に触れる機会を提供したいという思いがあるからこそ、小品であってもわざわざ他館からルノワールの作品を借りてきたのではないだろうか。また、ロスコの作品や『コレクション展』に出品されているムンクの版画は、画家の性格がストレートに現れた作品で、一目見ただけでロスコやムンクの作品であることが分かる。こういった作品をコレクションに加えている所からも美術館の理念が伝わってくる。特にムンクの《病める子》は、ムンクという画家について知るには恰好の作品である。《病める子》は精神病を患っていると思われる程に暗い表情をした少女を表現している。しかし、実際にこんなに暗い表情の少女が居るのであろうか。筆者の勝手な妄想かもしれないが、《病める子》はむしろ、自分の不安や悲しみや怒りを他者に投影してしまうムンクの心の内が表れた作品と解釈するべきではなかろうか。《病める子》はムンクという画家について鑑賞者に色々と考えさせる作品である。

次に、(2)和歌山ゆかりの作家の紹介という点に沿って見ていこう。特別展では恩地孝四郎、保田龍門、田中恭吉、川口軌外、村井正誠、原勝四郎、『コレクション展』では石垣栄太郎が和歌山ゆかりの作家である。彼等の作品がもつ魅力は、郷土作家以外の画家による作品と対比した際に、一層際立つものであると言えよう。すなわち、保田龍門や石垣栄太郎の作品と特別展に出品されている岸田劉生や佐伯祐三の作品とを比較してみると面白いのではなかろうか。特に保田龍門の《自画像》(1915年)と岸田劉生の《黒き帽子の自画像》(1914年)とは、同時代に制作されたものであり、構図や筆のタッチ、色彩など、多くの点で類似している。興味深いことに彼等は同じ年の生まれである。《自画像》と《黒き帽子の自画像》とを比較する限りでは両者の画家としての力量に大きな差はないように思われる。学芸員は広辞苑に名前が載る程の人物である岸田劉生の作品を、わざわざ個人のコレクターから借りてきて、そのすぐ近くに保田龍門の作品を展示することで何かを訴えかけたかったのではないだろうか。出身地がどこであろうとも、どんな状況に置かれていようとも、自分に正直で居られる限りは、やりたいことやれば良いし、信念に基づいて努力を続けているならば、周りの評価がどうであれ堂々としていれば良い。綺麗ごとに聞こえるかもしれないが、並べて展示された二人の作品から、筆者はそんなことを感じた。順番が前後してしまったが、岸田劉生や佐伯祐三の作品の展示は、先の展示方針の(3)日本近代美術の紹介にあたり、今述べた保田龍門と岸田劉生の関係は(4)同時代の美術という枠組みでも捉えることができる。

『油画の魅力展』や『コレクション展』を観ていて驚かされたのは、和歌山を介して海外美術と日本近代美術とが繋がれているということである。本来ならば海外美術と日本近代美術という関係があって、日本近代美術の中の一部が和歌山の郷土作家によって占められていると考えるのが自然である。ところが、和歌山近美の中では和歌山の作家と海外美術との繋がりがあり、もう一方で和歌山の作家と日本近代美術との関係があり、世界と日本との繋がりが和歌山を中心にして捉えられているのである。最初に触れた特別展の開催方針の一番目に海外が来て、二番目に和歌山、三番目に日本が来るという順番も、和歌山が中心になることを意識しての順番なのであろう。日本国内での劣勢な状況などものともせず、「和歌山から世界へ!」、そんな声が聞こえてくるかのようである。そして(1)~(3)で空間的な問題を設定し、最後の(4)で時間的な問題を設定して全体をまとめ上げているところも、なかなかの試合巧者である。さらに『油画の魅力展』では『イズムを超えて』という副題が設定されており、時間も空間も関係のない個の存在へと焦点が絞りこまれている。先にも触れた通り、保田龍門の自画像と岸田劉生の自画像が並べて展示されているが、『油画の魅力展』では両者の優劣よりも、和歌山出身の画家として保田龍門という画家が居ること、また日本近代絵画の中に岸田劉生の作品が存在することの意味に焦点があてられているのである。

抽象的な記述や妄想的な記述をしておいてこんな事を言うのもおこがましいかもしれないが、少しでもあなたの心を煩わすことがあったなら、和歌山近美に足を運び、決して恵まれているとは言えない地方都市にたたずむ美術館の信念や志に触れて、自分自身が為すべきことと向き合ってみてはいかがだろうか。

text:吉田卓爾

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