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抽象絵画が生まれたわけ《カンディンスキーと青騎士展 レビュー》

2010 年 12 月 28 日 4,262 views No Comment

20世紀初頭、ピカソやダリらとも親交があった写真家のブラッサイにピカソはこう言ったという。

「写真は絵画を文学や逸話や主題さえからも解放するために、ちょうどよいときにやって来てくれたんだ。いずれにせよそれ以後、主題のある面は写真の領域に属している・・・。画家たちがせっかく取り戻した自分たちの自由を何か他のことをするために利用しない手はないだろう。」(田所英樹著「絵画の二十世紀」より)。19世紀半ば写真の技術が発明されたとき、写真は絵画の世界に様々な波紋をまきおこした。ある者は絵描きの仕事が写真に奪われてしまうと心配した。しかしピカソは「そっくり」に描かなければならないという義務から絵画は解放されたと喜び、絵画は新たな自由な世界を獲得したというのである。

あの有名な旧石器時代のラスコーの壁画以降、人間は絵という一種の記号を使い、動物や風景を描き、それを基に思考し行動してきた。写真が発明されるまで、物事を記号化し記録する、すなわち絵を描くということが人間にとって重要な意味を持っていたのだ。
写実的に物事を捉えることに執着していた絵画が19世紀末から20世紀始めにかけて大きく方向を変えた。キュビズムやフォービズム、表現主義など、描く人と対象との関係や、作者の感情など内面的なものが重要視され始めたのだ。そしてこの時代、対象を画面からいかに消失させるかに力点を置いた抽象絵画が登場した。どのように抽象絵画は生まれたのか、そして何が抽象絵画誕生の引き金になったのか、それを探る上で一つの示唆を与えてくれる展覧会が開かれている。

東京の三菱一号館美術館で開催されている。『カンディンスキーと青騎士展』だ。ミュンヘン市立のレンバッハハウス美術館が所蔵するコレクション60点が展示されている。中でも注目されるのは抽象絵画の生みの親とも言われるロシアの画家カンディンスキーが描いた絵画だ。19世紀末から20世紀はじめにかけての15年ほどの短い間に、抽象絵画の誕生という革命的な出来事を垣間見ることができる。

ロシア生まれのカンディンスキーがドイツのミュンヘンにやってきたのは1896年。印象派のモネの代表作《積み藁》に出会い、形と同時に色が重要な要素となることを発見し、衝撃を受けた直後のことだ。

今回の展覧会では訪れた人が最初に目にするのがこの美術館の設立にも大きく貢献したフランツ・フォン・レンバッハが描いた当時の宰相ビスマルクの肖像画だ。油彩によって描かれた威厳を持つ人物像。まさにそれまで長い間、西欧の絵画を支配してきた伝統を感じさせる肖像画だ。色彩に心を奪われ、新しい絵画の世界を発見したいとミュンヘンに移住したカンディンスキーだが、そこで出会ったのは伝統のあるドイツの絵画だった。

こうした中でカンディンスキーの模索が始まる。カンディンスキーはこの時代、筆ではなくペインティングナイフで絵を描いたり、版画を作るなど様々な技法を試している。この中にカンディンスキーの世界を読み解く上で参考になる一枚の絵がある。カンディンスキーの生涯でただ一枚の肖像画とも言われる1905年に描かれた《ガブリエーレ・ミュンターの肖像》だ。モデルになっているのはミュンヘンの美術学校で出会い、将来の伴侶となる一人の女性ミュンター。描き方はキャンバスに油彩という実にオーソドックスな手法だ。この肖像画についてカンディンスキーは彼自身がミュンターに宛てた手紙の中で「この作品ほど出来の悪い絵はない」と述べている。出来が悪いと言っているのはおそらく伝統の肖像画の域を出ていないからだろう。新しい絵画、特に色彩に心を奪われていたカンディンスキーにとってそれは満足のいくものではなかったに違いない。そして注目されるのがこの5年後に同じ人物を描いた絵だ。キャンバスは大胆な色で区切られ、人物は物の見事に平面的に表現されている。そこに描かれたモデルは「暴力的なまでに抽象化された姿」(図録より)なのだ。

この絵が描かれた1910年頃はカンディンスキーとミュンターがミュンヘンの南のムルナウと呼ばれる町に家を購入し、そこで多くの作品を残した時代だ。カンディンスキーはムルナウの自然や町を「キャンバスの上で再構築し、強度を増した色彩で独特のハーモニーを奏でる」(図録より)ように描いている。今回の展覧会ではムルナウで描いた絵が一つの部屋にまとまって展示されているが、この時代の作品こそが、カンディンスキーの抽象絵画への軌跡を探る上で極めて重要なものだったと私には思える。

このことを理解する一つのヒントになるのが絵と写真の関係だろう。カンディンスキーが描いた絵と同じ光景が、まだ発明されて間もない写真でも捉えられているのだ。絵と写真を比較すると、どのようにカンディンスキーが対象を捉え、それを抽象化しているのかがよくわかる。例えば1909年に描かれた《コッヘル・まっすぐな道》。野原を貫く一本の道と道の両側に並んで立つ木立、そして畑であろうか働く人の姿も簡略化されているがはっきり描かれている。遠くに見える青い大きな山が印象的だ。これとよく似た光景を写した一枚の写真がある。写真に写っている光景を見ているとカンディンスキーの絵が構図としては単純化しつつ、受けた印象を色で表現しようとしているのがよくわかる。

同じ1909年にムルナウで描かれた《ムルナウ近郊の鉄道》。この絵にはカンディンスキーの絵には珍しく近代の技術文明の象徴とでも言える蒸気機関車が描かれている。ムルナウの広々とした自然の中に、黒々とした蒸気機関車と線路の脇に立つ電信柱がかなり大きく描写され印象的だ。一方1910年にムルナウの自宅の庭から撮影されたと思われる一枚の写真が残っている。手前に傾斜した庭が写り、その向こうに線路が見える。多少絵と写真は構図が異なるが、おそらくカンディンスキーは毎日ムルナウの家からこの線路を走る機関車を見ていたに違いない。写真と絵を見比べると、風景を大胆にキャンバスの上で再構成し、色彩を強調するカンディンスキーの絵画の特徴がよくわかる。そして次の時代、といっても数年後だが、具体的な対象が消え、大胆な構図と色で埋め尽くされたあのカンディンスキーの抽象絵画が登場する。

ミュンヘンとムルナウを往復する生活を送っていたカンディンスキーは1911年ある事件をきっかけに前衛的な画家の集団「青騎士」を旗揚げした。その事件とはカンディンスキーが描いた《コンポジションⅤ》という絵がそれまで加盟していた美術家による絵画展への出品を拒否されたのだ。拒否の理由は表向き絵のサイズが既定を超えていたというものだったが、実際はその絵があまりに抽象化されたものだったからのではないかといわれている。「青騎士」とはカンディンスキーをはじめとした当時の前衛的な絵画手法の騎手たちが集まった集団だ。カンディンスキーの絵はそれまでかろうじて残っていた対象から決別し、本格的な抽象絵画へと一歩足を踏み入れようとしていたのだ。

この時の代表作の一つを今回の展覧会でも見ることができる。《印象Ⅲ(コンサート)》だ。この絵はシェーンベルクのピアノ曲に感動したカンディンスキーがその「印象」をすぐさま絵画にしたものだ。画面の中心部の黒い部分はグランドピアノ、真ん中の2本の白い柱や、左下に描かれた聴衆と思われる人物など、形態や色から判断して描かれた対象が何かが、まだかろうじてわかる作品だ。この絵で重要なのは画面の右側に大きく描かれた黄色い部分だろう。これはシェーンベルクの音楽の「印象」を表したものだ。カンディンスキーの絵画の中でよく出てくる「印象」というタイトルは、画家自身の定義によれば「外面的な自然から受けた直接の印象」を主題に描いたものだと言う。この絵は音楽の「印象」を色で表現しようとしたカンディンスキーの抽象画への大きな一歩となる作品なのだ。
そしてこの後発表される「即興」と「コンポジション」というシリーズにおいてカンディンスキーならではの抽象絵画の一つの流れが完成する。そこに描かれた形態や色には具象性はほとんどなく、カンディンスキーの言うところの内的なものの表現に絵画が特化しているのだ。もし仮にその内的なものに何か具体的な出来事があったとしても、もはやそれを見る者に対象物として認識できるようには描くことはなかった。カンディンスキーは《コンポジションⅥ》について次のように書いている。

「これ以後に描かれた数々の絵は出発点のための主題も持たず、具象的な起源となる形態もない。それはいかなる強制力もなく、ごく自然と自ずから生じたものだ。・・・・抽象的な形態が優勢を獲得、そっと、だが確実に、対象に起源を持つ形態を追い出すに至ったのである。」(図録より)

こうしてカンディンスキーのあの記号のような形態と色彩の競演とでも言ってよい抽象絵画が、20世紀の初頭のわずか10年あまりで姿をあらわすのである。

対象から逃れ、内的なものの表現へと移行したカンディンスキー。その背後にあるのはよく言われることだが、20世紀初頭という時代背景だろう。この時代確かに人類の世界観や自然観が大きく変化した時代でもあった。交通や通信の発達は地球を狭くし、科学の発達は物の存在自体の認識の仕方の変化を私たちに迫った。こうした変化の中で私が改めて強調したいのが写真という表現手段の発明と発展だ。写真も絵画も物事を写しとるという機能については重なる部分がある。

今回の展覧会ではカンディンスキーがミュンヘンで抽象絵画を作り上げていった時代の様子を物語る材料として、絵とともに多くの写真が展示されている。今から100年以上前の光景を白黒とは言え鮮明に伝える写真、そして大胆な構図と色彩に満ちた絵画。比較して眺めてみると当時の画家に写真の存在が及ぼした影響の大きさを考えないわけにはいかない。

画家が対象を忠実に描くことではなく、言い方を変えれば写真を真似することではなく、自分たち一人ひとりの内面を表現することこそが自己表現につながるという想いに至ったのも、写真との関係で絵画を見ていくとうなずける。
 
冒頭にも紹介した「画家たちがせっかく取り戻した自分たちの自由を何か他のことをするために利用しない手はないだろう。」と言ったというピカソ。カンディンスキーが対象から離れ、抽象へと向かったのはまさにこの「自由に何か他のことをするために利用」した結果だったのかもしれない。

(参考文献)「絵画の二十世紀」前田英樹著 NHKブックス 2004年

text:小平信行

レンバッハハウス美術館所蔵 「カンディンスキーと青騎士」展の展覧会情報はコチラ


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