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写真を否定する写真家?《鈴木清写真展 レビュー》

2010 年 11 月 29 日 4,346 views 2 Comments

最近見た一枚の写真が忘れられない。世界報道写真展で2010年の大賞に輝いたイタリアの写真家ピエトロ・マストゥルツォが09年6月にテヘランで撮影した写真だ。

ビルの屋上にたつ一人の女。口に手をかざし何かを叫んでいる。すぐ下の階の窓は明るく輝き、屋上には夕暮れがせまっている何気ない写真だ。実はこの写真が撮影された直前イランでは大統領選挙が行われていた。この選挙をめぐっては様々な不正が行われていたといい、日中は激しい抗議行動が繰り広げられていたという。夜になり通りに人影が消える頃、今度は住人が自分のアパートの屋上にあがり、抗議を続けていた。「独裁者に死を」「アラー・アクバル(神は偉大なり)」の叫びが街中に響き渡っていたという。おそらく向かいのビルから撮影された一枚であろう。叫ぶ女の姿は点のように小さくしか写っていないが、なぜか悲壮感が伝わってくる。屋上にぽつんと立つ女のしぐさが、窓辺の明るさとそれとは対照的な夕暮時のひんやりとした空気感によって強調され、写真ではもちろん伝わってこないはずの叫び声があたかも街中に響き渡っているかの様子がとらえられている。視覚に訴えてしかいないはずの一枚の写真が、実は聴覚的な情報さえも伝えてきていることに驚かされる。戦場での激しい戦いのシーンでもなく、大自然のスペクタクルでもなく、地味な一枚の写真だが、写真本来の事実を記録し多くの人に伝えるという力をまざまざとみせつける典型的な報道写真の一枚だ。

同じ写真と言ってもこうした報道写真とは対極的な位置に存在する写真家、鈴木清の回顧展が今、東京国立近代美術館で開かれている。鈴木清は1970年代から90年代に活躍した写真家で、これまでその作品を見る機会は少なかった写真家だ。撮影者本人がこだわって作ったという「写真集」は不思議な構成でできており、自己、あるいは自己と対象との関係について独自のスタイルで見る者に語りかけてくる。

鈴木清は8冊の写真集を作った。それもほとんどが自費出版だったという。初めて作ったのが「流れの歌」という写真集だ。1972年に刊行されたこの写真集にはそれまで撮りためてきた鈴木のふるさと福島県の炭鉱の町で働く人々や町の何気ない光景を撮影したカットから始まり、やがて旅回りの役者の姿をとらえる写真へと移っていく。それはあたかもこの炭鉱を訪れた旅芸人のようでもある。そして表紙にも使われている洗面器に付けまつげが浮かぶカットや、韓国、川崎、新宿の夜の光景へと写真は変化していき私たちを不思議な世界へと誘う。この写真集に納められている写真はアップでも引きでもない、どちらかというと視点があいまいなものが多い。もっとアップで撮影すればいいのに、あるいはもっと対象に近寄れなかったのかなど従来の写真論からすれば色々な意見が出るのではないかとさえ思える。

こうした鈴木の写真の特徴は、この後作られた3冊目の写真集「天幕の街」で一層際立ってくる。1982年に出版された鈴木にとって3冊目となるこの写真集はタイトルの通り天幕、すなわち旅回りのサーカスの芸人たちを主題にしたものだ。しかしこの写真集もまた途中から主題が変化していく。鈴木は子供のころよく父親に連れられて炭鉱の街にやってくるサーカスを見に行ったという。おそらくその頃の記憶がこの写真集の最初の数十枚に凝縮されているのだろう。サーカスの芸人たちはそれぞれ得意顔でレンズの前に立つ。最初こそピントも合い人々の表情も明確にとらえられているが、途中からピントがあわず、あるいは顔がフレームからはずれた写真が増えてくる。そしてサーカス小屋を外から撮影した同じカットの写真がなぜか3枚続く。不思議なのはここからだ。横浜の自宅の近くで撮影されたと思われる仏具やわが子の写真、そして水滴のアップ、「ホテル梅島」と称するビルと続き、やがてこれも自宅の近くで出会ったと考えられるある路上生活者の写真へと変わっていく。

サーカスの芸人たちは途中から消え、男の路上生活者の姿で終わる「天幕の街」。なぜか印象的な写真はむしろ後半に多い。例えば廃墟のような建物を撮影した「ホテル梅島」と題される写真には焼けこげた跡のような建物、そして黒々と穴のあいたような窓が写っている。この窓に浮かびあがる女性の体と思われる白い姿態。全体に黒が支配的なだけに、白い女の体はごく小さいのだが強く印象に残る。さらに路上生活者の前に亡霊のように子供の顔が写っている写真。その直前にこの男と子供が手をつないで映っている写真には「哲っちゃんと我が娘・光」とあるので、このピントがぼけた状態で写っているのは鈴木の娘であろうことは想像できるが、それにしても妙な構図だ。

鈴木清にとって最初の写真集だった「流れの歌」もそうだったが、なぜか途中からタイトルからは想像できないテーマへと写真の主題が変わっていくことはこの「天幕の街」でも同じだ。こうした不思議なストーリー仕立ては、一枚一枚の写真がなぞめいたものが多いだけに、見る者をさらに混乱させる。

そして極めつけは1988年に作られた「夢の走り」だろう。82年から87年にかけて横浜や川崎、沖縄、さらには上海や釜山で撮影された写真で構成されるこの写真集にはピントがずれ、カメラが揺れ、なおかつ荒い粒子が目立つ典型的な「ブレ・ボケ・アレ」の表現を使った写真が多く登場する。しかも写真のフレームやパーフォレーションと呼ばれるフィルムの穴までもが写っている。これはトリミングなど一切加工していないという証拠にもなる映像だと言えるが、最大のなぞはどう見ても撮影にあるいは現像の過程で失敗したと思われる写真が多く掲載されていることだ。画面の半分が露光オーバーで真っ白になってしまった写真や、画面全体に白い点々が写ってしまった写真などをあえて使っているのだ。それは対象を明確にはっきりと写し取るという写真本来の機能を否定するかのような行為に見えてくる。

いわゆる「コンテンポラリー」写真(略して「コンポラ」)と呼ばれる写真がある。日常のありふれた光景をとらえるという日本でも1970年前後にはやった撮影の手法だ。鈴木清の写真もまた日常の何気ない光景をあえてファインダーで構図を確認しない「ノーファインダー」と呼ばれる方法で撮影している写真が多く、いかにもこの時代を象徴する「コンポラ」写真の典型のように感じられる。

「コンポラ」写真といえばその代表的なのが1950年代のアメリカを捉えたウイリアム・クラインの写真集「ニューヨーク」とロバート・フランクの「アメリカ人」だろう。どちらも日常の何気ないアメリカ人の姿、あるいはアメリカの大都市ニューヨークの光景を、あえて何も起こっていないタイミングで撮影するという独特の手法が使われている。絶妙なフレーミングで決定的な瞬間をとらえるという従来の写真表現法をあえて否定しているかのようである。しかしこの何気ない一枚一枚が積み重なって一冊の写真集になると、それは実に多くのことを物語り始める。フランクはスイスの生まれ、そしてニューヨーク生まれのクラインもパリで長い間美術の勉強をしていたという。ある意味、異邦人の感覚を持つ二人のカメラマンは、何気ない日常の光景の積み重ねで1950年代という中流階級が形成され、アメリカンドリームに人々が夢を託すアメリカあるいはニューヨークから受ける印象を見事に映像化した。

一方鈴木清の場合は一つのテーマに沿って写真集を作っているようには思えないし、一枚一枚の写真も何かを強調しようという姿勢はあまり感じられない。さらに撮影に失敗したかのような写真をあえて使うなど、意図的に世界の一部を切り取り、そこに自分のメッセージをこめるという写真の考え方への否定が鈴木の写真にはあるようにさえ思えるのだ。

どんなにたくさんの言葉でも伝わらないことをたった一枚の写真が雄弁に物語るという事実を私たちは毎日目にしている。人の目ではとらえられない光景を鮮明でくっきりした映像にして見せることができる写真ジャーナリズムはセンセーショナルなメディアでもある。

しかし現実の世界はこうした写真が伝えるほど、わかりやすく明確なものだろうか。どちらかと言えば、あいまいでどう判断すべきなのかわからないことだらけなのである。時に私たちが生きている社会と、写真が伝える世界とのギャップに困惑することがある。鈴木清の残した写真から私たちが何かを読みとろうとするならば、それはそうしたギャップを埋めること、あるいは現在の写真ジャーナリズムでは伝えられないある種別の次元の世界を私たちに提示することだったのではなかろうか。

写真集「ニューヨーク」を撮影したコンテンポラリー写真の元祖ともいえるウィリアム・クラインが語ったという次の文章は鈴木清の世界を理解する上で示唆に富んでいる。
「私たちにとっての写真・・・それはどう言ってよいかわからないことを伝えようとする、形のない断片の集まりです。私がしたかったのは、人生と同じくらい不可解な写真を撮ることだったのです。」

text:小平信行

「鈴木清写真展  百の階梯、千の来歴」の展覧会情報はコチラ


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2 Comments »

  • うっちゃん said:

    大変勉強になりました。今後のご活躍及び、展覧会等のご紹介をお願いします。

  • 55museum (author) said:

    >> うっちゃん 様

    コメントありがとうございました。
    今後ともよろしくお願いいたします。

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