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「見立てる」ということ《現代工芸への視点  ―茶事をめぐって レビュー》

2010 年 10 月 28 日 3,051 views No Comment

「見立てる」とういう言葉がある。本来詩や和歌の世界で使われ「物を本来のあるべき姿ではなく、別の物として見ること」という意味だが、茶の湯の世界ではことさらに大切な意味を持つ。例えば花器ではないものを花器として使うことや、茶碗ではないものを茶碗として使うこと、それを「見立てる」と言い、この視点で様々な工芸品を茶の湯の世界に採り入れることができるというのだ。

今、東京国立近代美術館の工芸館で「茶事をめぐって」という展覧会が開かれている。この展覧会には「現代工芸への視点」という副題が付いていることからもわかるように、茶事をめぐる様々な現代の工芸品を400年あまりの歴史を持つ茶の湯の世界を通して眺めてみようというものである。そしてこの展覧会でも「見立て」が重要なキーワードの一つになっている。

茶事に関する工芸品といえば茶碗や水差し、花入れ、釜などが思い浮かぶが、この展覧会では、この他にも皿や向付、染織品など実に多彩な工芸品を見ることができる。それらは室町から桃山時代にかけて茶の湯が誕生した時代とは少々毛色の異なる工芸品だ。実は東京国立近代美術館で茶の湯というくくりで工芸品を展観するのは、今回が初めてだという。「とらえどころがない」ということであえて避けてきたテーマだったそうだ。おそらく長い歴史を持つ茶の湯の世界と現代工芸を結びつけることは、その伝統との係わりを考えると結構難しいことなのかもしれない。そのような意味でも茶の湯の世界の「見立て」という視点が、重要なキーワードになってくるのだ。

東京国立近代美術館の工芸館は本館の前を通り過ぎ、さらに5分程歩いた北の丸公園の一角にある。今では少なくなった明治の洋風建築で、小さいがどっしりとした落ち着きのある佇まいが特徴だ。ぎしぎし言う玄関の扉を手で開けると、ホールから2階の展示室へと向かう階段が見える。木の床にカーペットが敷かれ歴史を感じさせる。

今回の展覧会で興味深いのは、この2階の展示室にしつらえられた5つの床の間だ。まず第1室のコーナーに展示される2つの床の間には桃山から江戸、そして明治から大正、昭和にかけて活躍した有名な工芸家の作品がならぶ。例えば朝鮮王朝の井戸茶碗や桃山時代に備前で作られた水指、あるいは江戸時代に作られた釜などである。さらに川喜田半泥子の茶碗や北大路魯山人の黄瀬戸の蓋置などもある。

それに対して第2室から第5室の展示室にしつらえられた3つの床の間に並ぶのは、現代工芸作家の作品だ。茶碗や釜、水指、花入れ、茶入れなど、その取り合わせが面白い。第2室に作られた床の間を見てみよう。ここで眼を引くのは備前の陶芸家 隠崎隆一さんの「灰釉長方皿」だ。長さは30センチ以上、厚さが数センチはあろうかと思われる分厚い皿。その表面には数種類の土を使うことから生じる不思議な模様が浮かび上がり、現代陶芸の先端を行くモダンな作品だ。実は今回の展覧会ではこの皿が縦に置かれ、「結界」として使われている。「結界」とはこの世とあの世をわける境界線と解釈されているが、茶の湯の世界では仕切りのような役割を果たす。隠崎さんの長方皿を茶の席にどう採り入れるのか。それには皿を「結界」に「見立てる」という視点が必要だったと思われる。こうして現代陶芸の先鋭的な皿が茶の湯の世界に採り入れられたのである。隠崎さんは今年50歳。現代陶芸家として活躍を続けるが、長い歴史がある茶道具の世界でいかに自己表現をしていくのか、様々な試行錯誤があるにちがいない。

このコーナーの床の間にはもう一つ面白い「見立て」がある。陶芸家 小川待子さんの花器である。《90U》と題されたこの作品、今回の展覧会の中でも特にユニークな作品のひとつだろう。高さは1メートルほどもあろうか。細長い筒状の本体、その半分ほどを覆うごつごつした土。茶の湯の席にこの花器を置くことは難しかったに違いない。小川さんはかつてのアフリカでの生活体験から大きな刺激を受け、焼き物作りをしてきた陶芸家だ。ろくろなどは使わず、型を使った「たたき」の技法で作られた作品が多い。ひび割れ、歪んだ形の荒ら荒しさが特徴だ。今まさに土の中から出てきたばかりのような小川さんの作品をどう茶の湯の世界に採り入れるのか。ここでも「見立て」という視点が《90U》を花器として床の間に置くことを可能にした。小川さんの作品はこの花器のほかに、金色に輝く碗や、大地から拾われた黒い岩石のような香合が出品されている。小川さんはある新聞のインタビュー記事で茶道具と自分の作品の関係について「自分の作る器がお茶を飲むために使われることを拒んではいない。しかしお茶にだけ使われるのも本意ではない」(朝日新聞)と紹介されている。
確かに小川さんの金色に輝く碗のタイトルは茶碗ではなく金彩碗だ。

この他豪快なつくりで眼を引く内田剛一さんの茶壷、きらびやかなガラスでできた渡邉明さんの水指、鮮烈な赤い釉薬が印象的な山田和さんの向付など、どれも茶の湯の世界を鮮やかに彩る現代工芸の世界から誕生した茶道具ばかりだ。

アートの世界では過去からの長い歴史に培われた伝統が常に作家一人ひとりに大きな影響を及ぼす。伝統をどう引き継ぎ、それをどう自分の中で変革し、さらに新しいもの、または自分なりの世界を作り上げていくのか。常にぎりぎりの瀬戸際で作品は作られていく。

こうして生まれた多様な現代工芸と長い歴史を持つ茶道具の世界の出会いはどのようにして実現するのか。それは茶の湯の世界自らが作った「見立て」という視点ではなかろうか。

茶の湯の世界には細かい作法が存在する。しかしそれはあくまで立ち居振る舞いの話だ。茶の湯の席に置かれているのはごく限られ茶道具であり、茶室の雰囲気は実に質素だ。それが質素であればあるほど人々はいろいろに想像力をふくらませ、茶室の外の自然とも一体になって茶をいただく。

千利休に代表される桃山の茶人が作り出したわび茶の世界。その初期の頃の茶道具は実は多くが「見立て」た道具だったといわれている。例えば竹で作られた籠を花入れに「見立て」て床の間に飾ったという有名な話がある。その一つ「鉈鞘籠花入(なたのさや)」。桃山時代の茶会に使われた竹でできたこの花入れ、実は元は鉈を入れる扁平な籠だった。荒くあまれた趣がわび茶に合うとされ好まれたというのだ。利休が桂川の漁師から譲り受けたものを花入れとして使ったというエピソードもある「桂籠花入(かつらかご)」。確かに大きさも、ざっくり編まれた感じもわび茶の席にはよく似合う。

様々な決まりごとがある茶の湯の世界。しかし「見立て」という言葉に象徴されるように、実は想像力を大いに働かせることで場を盛り上げることができる世界なのだ。

千利休は晩年「見立て」の世界から創造の世界へと入っていったと言われている。自ら竹の茶さじや花入れを作り、一方では古田織部に代表されるあの歪みと抽象絵画を思わせるデザインを生んだ織部焼きや、今も挑戦的な茶碗を作り続ける楽家の創始者 楽長次郎を輩出するなど、茶の湯を自由な創作の世界へと導いた。このように茶の湯の世界は、常に革新を続ける造形を受け入れることが出来、400年あまりたった今も新しいものを受け入れていると見ることもできる。現代工芸がどのように「見立て」られ、茶の湯の世界に取り入れられていくことができるのか。「茶事をめぐって」は私たち見る側の「見たて」の力が大いに試される展覧会でもある。

ところで今回の展覧会にはちょっと面白い宝探しのような仕掛けがある。木でできた本物の枯葉にそっくりな作品2点と花2点それに雑草がひそかに会場に置かれているのだ。須田悦弘さんの作品でその精巧なつくりは驚くほどである。自然と一体になることが茶の湯の精神だと考えれば、自然の一部を切り取ったような作品をそっと茶道具の脇に添えるのもまた「見立て」のひとつかもしれない。

text:小平信行

「現代工芸への視点  ―茶事をめぐって」の展覧会情報はコチラ


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