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どちらか一つお選びください―江戸狩野と江戸琳派―《琳派展ⅩⅢ お江戸の琳派と狩野派 レビュー》

2010 年 10 月 28 日 3,247 views No Comment

一言一句正確に思い出すことはできないが、夕方のニュース番組で、ミシュランガイドの話題に関連して、関西テレビの山本キャスターが、「確かに星を獲得するのは凄いことだと思います。しかし、星のつかないお店でも良いお店はありますし、本に載らないお店の中でも自分の中では三ツ星というお店もあります。料理屋さんの方達には、そのお店が好きで楽しみにしてくるお客さんの気持ちを大事にしてもらいたい。」と言っていた。山本キャスターの指摘は、評価する側、評価される側の在り方、在るべき姿を的確に衝いている。

現在、細見美術館で開催されている『琳派展ⅩⅢ』において筆者は、美術作品をどう見るべきか、どう評価すべきか、そんな問いを投げかけられているように感じた。先に記した題名から分かるように、『琳派展』は今年で十三回目を数える同館の名物企画である。会期は三期に分かれており、Ⅰ期は『花鳥』、Ⅱ期は『人物』、Ⅲ期は『吉祥』に関する作品が多く出品されるようである。

さて、今回の『琳派展ⅩⅢ』では、リーフレット等でも述べられている通り、江戸琳派と江戸狩野(派)の対比が一番の見所になっている。当然のことながら展示室では、江戸琳派の作品と江戸狩野の作品が対比的に陳列されている訳であるが、単純に江戸琳派と江戸狩野の作品を対比しながら鑑賞することはできない。不勉強ながら、かいつまんで説明すると、豊臣家から徳川家へと政治権力が移った後の狩野派は、そのまま京都を中心に活動した京狩野と、徳川将軍家の御用絵師としての役割を果たすために、江戸を中心として活動した江戸狩野とに区別される。そして江戸狩野の中で最も重要な画家が、1617年に幕府の御用絵師となり後世の江戸狩野の規範となった狩野探幽(1602~1674)である。一方、江戸琳派は、琳派の祖である尾形光琳(1658~1716)の画風に私淑した酒井抱一(1761~1828)を祖とする画家集団のことを言う。つまり、もうお気付きかもしれないが、狩野探幽は俵屋宗達と同時代の人物であり、酒井抱一は探幽の没後百年以上後に活躍した狩野探信(守道)(1785~1835)や狩野栄信(1775~1828)と同時代の人物であるので、展示室内で近くに展示されている狩野探幽や狩野常信(1636~1713)の作品と酒井抱一の作品とを、そのまま比較してしまうと安易な鑑賞になってしまうのである。

堅苦しい見方であるが、京狩野の狩野山楽や狩野山雪の作品、また俵屋宗達の作品を頭に思い浮かべながら探幽の作品を鑑賞すると、探幽延いては江戸狩野の特徴や個性を垣間見ることができよう。例えば、本展覧会では探幽の作品と伝えられる《風神雷神図屏風》が展示されている。頭に宗達の《風神雷神図屏風》を思い浮かべながら探幽の作品を見ると非常に面白い。探幽の風神や雷神は宗達のそれに比べて小さく描かれており、人間的な姿勢をとっているため、天上界の神々がすぐ近くに迫ってきた臨場感が全く感じられない。また画面内に描かれている人物達も、澄ました顔で傘を差していたり、風神の居る方を振り返ったりしているので、風神の吹かす風や雷神の降らす雨が画面内の人物にとってそれ程深刻なものではないような印象を与える。しかし、墨と余白によって表現された風の質感や雨の量感は宗達の作品には見出すことのできないものであり、探幽の力量をまざまざと見せ付けている。そして、常信、栄信、養信等の作品を見れば、探幽の作品のいかなる部分が後世に受け継がれていったのか感覚的にであっても理解することができよう。

さて一方、江戸琳派の作品を見る時は、抱一が手本とした光琳や、光琳に影響を与えた宗達の作品を思い浮かべながら、抱一とほぼ同時代の栄信や養信の作品と抱一の作品とを見比べてみると面白いかもしれない。抱一は琳派の特徴の一つである溜込(たらしこみ)の技法を用い、宗達や光琳の作品に見られる大胆な構図の組み方を継承しているが、抱一の作品からは宗達や光琳の技法や作風をそのまま踏襲しようとしている様子を窺うことはできない。むしろ、宗達や光琳の技法や作風を利用しながら、宗達や光琳は表現することのなかった抱一自身が表現したいものを作品にしているような印象を受ける。これは、抱一以降の、鈴木其一、中野其明、酒井道一、池田孤邨等の作品にも感じられることである。一方、栄信の<花鳥図>や養信の<群鹿群鶴図屏風>を見てみると、葉一枚一枚の描き方や樹木に生えた点苔の描き方には変化が乏しく、動物や昆虫の姿勢にも動きが感じられない。しかし、同じモチーフを繰り返し描いて練習したと思われるほど個々の描写は安定しており、どんな絵を描かせても高いレベルで作品を仕上げることのできる力量を持った画家であったことは画面から容易に想像することができる。栄信や養信の作品は、色の塗り方や構図の組み方の点において探幽の作品から長い年月を経たものであることを示している一方で、御用絵師である狩野派の力量が依然として高いレベルに保たれていることをよく示している。

このように、『琳派展ⅩⅢ』に展示されている三十点弱の作品は、私達が作品をどのように鑑賞し、どのように価値付けするのかを問うている。結論を急ぐ必要はないが、どっちも素晴らしいなどと口にしようものなら、宗達や探幽、抱一や栄信等は私達を嘲り笑うであろう。彼等の意志や目的を本当に理解し、彼等の作品の最も素晴らしい部分に感性が到達したならば、相反する哲学によって形成された表現や技法を評価することなど決してできないのである。私達には、何を継承し、何を改革し、何を信じて何を守り伝えていくのか、じっくりと考えた上で、はっきりとした答えを出す必要があるのかもしれない。格差の問題や外交問題を上手く解決できないのも、私達自身が意志を持っていないからではないのだろうか。深く考えた結果出した答えであれば、そこから対立が生まれることは無いはずである。

text:吉田卓爾

「琳派展ⅩⅢ お江戸の琳派と狩野派 −板橋区立美術館×細見美術館−」の展覧会情報はコチラ

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