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セルフ・ポートレイト《マン・レイ展 レビュー》

2010 年 10 月 28 日 2,073 views No Comment

少し奇妙な言い方になるが、普通「ゴッホ展」とった特定の作家の展覧会が開かれるとき、見るべき作品は、あらかじめ大体決められているものだ。例えば現在横浜美術館で開催されている「ドガ展」では、何よりもまず、あの《エトワール》と題された絵画に注目が行くだろう。そこではドガの初期の作品や、多数のスケッチが展示されているかもしれない。もちろんそれらに価値が無いというわけではないが、《エトワール》には見向きもせず、ドガの習作を前に長々と居座る人は多分いないだろう。ぼくたちは、暗黙のうちに「傑作」とそうではない作品とを区別し、それを「傑作」に至る過程として捉えている。そしてそれは、主催者の側にとっても変わりはない。紙面や吊り革を飾る展覧会の広告に、《エトワール》を差し置いて、彼のスケッチが登場することはまずないし、展覧会の構成を見てもそのような小品は、実際のところ添え物のような形で展示されていることがほとんどだろう。

ところがこのマン・レイの回顧展には、奇妙にも思えるほどに、中心となるような作品が存在していない。美術館に一歩足を踏み入れると、おびただしい数のポートレイト、リトグラフ、オブジェがぼくたちを迎えてくれる。けれどもどれを見ても、「創作の頂点」という言葉がすんなり当てはまるような作品はないし、それどころか力作と言えるような作品すら存在しない。彼の作品には(実際はどうあれ)、例えばゴッホの作品に見られるような創作の苦心や苦悩の痕跡がどこにも見当たらないのだ。写真からオブジェにいたるまで、どの作品も軽やかな発想をもとに創作されており、全てはそれだけで自己完結し、しかもどれもが等価のように見える。だから彼の作品を時代順に観察したとしても、恐らくそこにモネの作品に見られるような創作の軌跡を発見することは難しいだろう。

しかしだからと言って、マン・レイの作品の価値がそういった過去の巨匠に劣るものだと決め付けるのは、あまりに早急だと思われる。なぜなら彼の芸術の価値は、何よりそのような以前の創作の価値観を転換させたところにあるからだ。

「私は画家として出発した。自分で描いたカンヴァスを写真に撮ることによって、私は白黒の複製物の価値を発見した。作品そのものを破壊して、複写のみを保存する時がきたのだ。」(『セルフ・ポートレイト』マン・レイ、千葉成夫訳)

この一見過激な言葉が示すように、マン・レイの創作に対する姿勢を見てみると、彼が二十世紀までの芸術家たちとまったく異なるスタンスをとっていることが分かる。彼は時には自ら自分の作品を破壊してしまうことさえあったし、戦争で失われた作品や盗まれた作品を再び制作することを何度も試みたのだという。それは一言で言うならば、作品の一回性という神話に対する反逆であり、19世紀に多く見られるような天才崇拝への反発である。彼にとって重要であったのは、作品の制作過程や、作品そのものではなく、それを産み出すためのアイディアや概念だった。言い換えるならば、彼は「『モノ』としての作品ではなく『概念』としての作品の永遠性を主張し続けたのである」(展覧会図録p.22)。だからこそ、彼は作品そのものに対しては無頓着と言っていいような態度をとり続け、それを複製という形で大量に世界に流布することに新しい価値を見出したのだ。作品の価値がその「アイディア」にある限り、コピーは作品を歪めるものではなく、むしろアイディアを広めるためには都合がよいものだったのだろう。だからこの展覧会に展示されているのは、実は彼の作品ではなく、アイディアの方なのである。

そのようにして見てみると、マン・レイの作品には実に多彩な「アイディア」が隠されていることが分かる。

例えば彼の作品の中でも最も有名な部類に属する、レイヨグラフによる写真。レイヨグラフとは彼が偶然発見した技法で、カメラを持ちいずに、印画紙に直接物体を置いて感光させるというものである。コルク抜きやぜんまい、バネ状の玩具といった日常にありふれた道具を印画紙の上に配置し、そこに光を当てることで、彼は独自の写真を作り上げた。黒く感光した背景の中に、奇妙ならせん状の曲線や、不思議な光の歪みが現れているのを見ただけでは、それが実は、単なる日用品によってできたものであるということなど想像できないだろう。

あるいは《ランプシェード》と名のついた作品も、マン・レイらしい遊び心とアイディアに溢れたものである。それはランプシェードを広げて天井に吊るしただけという単純なものである。、螺旋を描いてぶら下がるその形を気に入った彼は、それを作品として展覧会に出品したのだ。この作品のその後の経緯も、マン・レイらしい面白いエピソードである。その作品は清掃員によって、ごみと間違われて捨てられてしまう。ところがマン・レイはランプシェードの展開図を描き、それを白く塗った金属板から切り抜いて新たに作品を作ったのだった。この《ランプシェード》に代表される自然な螺旋の形態は、彼が終生に渡って創作し続けた主題でもあり、例えばその約40年後の作品である《別のスプリング》でも螺旋状のばねによるオブジェという形で創作している。

マン・レイの創作の範囲は非常に幅広いものだった。写真を始めとして、オブジェ、絵画、ドローイング、映画と、あらゆるジャンルに渡って、彼は創作を試みている。その全てを逐一紹介することは差し控えるが、どの作品にも常に何らかの「アイディア」が試みられており、それは大抵の場合、シンプルで軽妙なものである。

そのような作品の持つ軽やかさにもかかわらず、彼の芸術家としての生涯は必ずしも恵まれたものではなかったという。彼は従軍こそしてはいないものの、二つの世界大戦を経験しており、生涯に渡って様々な場所を移動し続けている。フランスではマン・レイは比較的受け入れられたようだが、母国のアメリカでの評価は芳しいものではなかったし、芸術家としての評価を望み続けるも、それが得られたのはようやく70歳になってからのことだった。それでも彼の作品の中には、そのような生涯を感じさせるような苦悩の痕跡が表れることはないように見える。そこには苦悩や不安といった心情を曝け出すことで作品をつくることへの反感があったのかもしれないし、あるいは創造という行為に対する純粋な好奇心や喜びに基づくものであったのかもしれない。

彼の生涯を通じての友人であるマルセル・デュシャンは、彼のことをこのように評している。
「マン・レイ、男性名詞、喜び・遊び・楽しむの類義語」
 
少なくともデュシャンにとっては、恐らくマン・レイの創作の動機は純粋な喜びや楽しみによるものだったのだろう。彼にとってマン・レイという言葉は、そのまま喜びや遊びを意味するものだったのだ。
 
パリのモンパルナス墓地にあるマン・レイの墓碑には、「unconcerned but not indifferent(無頓着に、しかし無関心ではなく)」という彼自身の言葉が刻まれている。その言葉の真意は、今となっては推測することしかできない。けれどもその言葉はきっと、彼の創作そのものに対する姿勢を表したものに違いないように思える。彼にとっては世界とは興味に満ち溢れたものであり、そして、ひとつのものに執着し続けるのではなく、次々にその興味の対象を変え、新たなものを見出し続けることこそが、彼の理想だったのだろう。そこには、芸術や創造という行為に対する、彼の愛情のこもった視線が感じられるように思えてならない。
 
展覧会の中には、彼の生涯を知ることのできるような様々な作品が展示されている。彼が出会った人々のポートレイト、彼の過ごしたアトリエでの写真、スタジオの表札、そしてもちろん彼の制作した絵画やオブジェ作品。それらを立て続けに見ていく(神経をとがらして見る必要はないだろう。彼の言葉通り、「無頓着に、しかし無関心ではなく」見ればいいと思う)。そうするとあたかも、この展覧会場全体が、一枚の巨大なポートレイトのようにして現れてくるように思えてくる。彼が遺したものは、アイディアであり、それはまさに、彼自身の生涯そのものでもあるのだというように――。

世紀末を駆け抜けた作家、オスカー・ワイルドはかつて、「詩や彫刻や絵画に傑作がある如く、『人生』そのものにも珠玉の傑作が存在する」と述べているが、もしかするとマン・レイこそは、それを最もシンプルで軽やかな形で実現した最初の芸術家なのかもしれない。

参考文献:展覧会図録

text:浅井佑太

「マン・レイ展 知られざる創作の秘密」の展覧会情報はコチラ


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