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田中恒子さんインタビューVol.2《もっと知りたい!展覧会》

2010 年 8 月 30 日 4,699 views No Comment

昨年、和歌山県立近代美術館で自らのコレクションを一堂に展示、その後同館へ寄贈された田中恒子さんにお話を伺った。
前回からの続きです。

美術作品を所有するということ


ギャラリーで展示されている状態で作品を鑑賞するだけではなく、購入した作品を家に持ち帰り、さらに長い時間を共有するということは、田中さんにとってどんな意味があったのでしょうか。

私自身は作品とお喋りできるということがものすごく楽しくて、お喋りをするために作品を買っていた面がすごく大きいです。先日新聞 で読みましたが、大和ラヂエーターの佐藤辰美さんは、作品をもっと理解したいから買うという考え方ですよね。私の場合は「理解する」とは少し違う。温め合っているというか、作品との関係のあり方がすごく穏やかなんです。昨年の和歌山での展覧会を見た多くの人から、「現代美術といっても、穏やかというか、ゆるやかというか、こんな世界もあるのね」と言われました。私が集めてきたのは、楽しいとか、おもしろいとか、びっくりしたとかいうような、主にユーモアのセンスやおかしみをもった作品で、ひとえに自分自身を励ますために買ってきたんです。
そして、作品は家に連れて帰って一緒に暮らすと、家族の一員のようになる。だから、どの作品であろうと、ひとつでも欠けると寂しいと感じましたね。


「作品とお喋りをする」とは、田中さんにとって、どのように作品と向き合うことだったのですか。

  

田中恒子さん。
後ろの作品は森末由美子《本》

ほとんどの場合、自分の気持ちを作品に投げかけていました。昔は、仕事がどうしようもないくらい忙しい時期があって、職場では、顔で笑っていても、泣きたいような気持ちのときがいっぱいあったんです。そんな中で、家に帰って作品を見ると、本当にほっとする。そして、「ねえ、今日ね・・・」という感じで作品に話しかけて、自分の思いを聞いてもらっていました。すると、作品のもっている、穏やかさやユーモア、そういうものが私を慰めてくれました。それは夫と喋るのとはまた違い、私の中でだけ、作品がほわっと心を温めてくれる。だから、その日の気分によって、向き合う作品が違ったり、同じ作品が違う見え方をしたりしましたね。


そうすると、やはり購入された作品は、ご自宅で「保管する」というよりも「一緒に暮らしている」という状態だったのですか?

はい。できる限り、しまい込まず、出しておいて毎日眺めていました。置ける隙間には全部置いて、吊るせるところからは吊るして、壁に掛けられるところには掛けて・・・。だから家中、作品でてんこ盛りでした(笑)。


美術作品との暮らしに対して、ご家族の反応はどうでしたか?

子供は小さいときからそんな状態ですから、何にも言いませんでしたが、夫は「こんな奇妙奇天烈なものを・・・!」と、嫌がっていましたね。それに、「これ以上買っても飾る場所がないからもうやめなさい」とも言われました(笑)。今村さんのシダの作品 を買ったときも、今村さんが私の家の玄関に取り付けてくれたのですが、その日は、何を言われるかと思って、夫が帰ってくるまで玄関の電気を消してハラハラしながら待っていました。夫は帰ってきたときに、頭にシダの先端があたってゾッとしたらしく、「我が家はジュラシックパークじゃない」と文句を言っていました(笑)。そのときはそれで済みましたが、きっとずっと我慢してくれていたんでしょうね。一方で、きっと私が言い出したことは絶対にやる人間だということをわかっていたので、諦めてもいたのだと思います。



自身のコレクションについて


田中さんはこれまでに1000点を越える美術作品を収集されてきましたが、それらの作品を、個々の作品としてではなく、ひとつのコレクションとして見たときにわかったことはありますか?

まず、自分の性格がよくわかりましたね。たとえば、和歌山でのコレクション展の会期中、監視員の方たちに「おちゃめ心の君」と呼ばれていて(笑)。というのも、大体時代順に展示を構成したのですが、その後半は「おちゃめ心」をキーワードに見てもらうと、よく繋がりが見えてくると思ったので、そういう説明をしていたんです。


ただ、前半部には、李禹煥 や野村仁 といった、おちゃめというよりは静謐でコンセプチュアルな作品も多く見られますよね?

そうですね、前半はまじめな作品が多い。なぜかというと、現代美術全体の傾向がそうだったから。コレクションを始めた最初の10年には、すごく理論的で、一見難解な作品が多かったんです。でも、もちろん、そういう作品とじっくり向き合うことにもすごく魅力を感じます。例えば、菊畑茂久馬さん の紺一色の作品《海宮 七−九》 は、遠くから見ると青い板にしか見えない。でも近寄って見ると、絵具のでこぼこがちょこちょこっとある。20枚展示されていたうちの一番いいと思った3枚を選び抜いて買ったんですけど、選んだ後に、その画廊の人から「作家もその3枚が一番いいと言っています」と聞いて、びっくりしました。まんざら目がついていないわけでもないなと(笑)。
また、展示の最後の太田三郎 さんの《Post War》シリーズ については、戦争とは何だったのか、戦争によって人は何を失ったのかという、本質的な問いかけが作品を通してなされていて、ああいう作品は普通の人はなかなか買わない。でも、歴史の証人として、絶対に買って残しておかなければならない、という私の教育者としての良心、大学の教師を40年間続けてきた社会的な責任感が、あの作品を買わせたというところがあります。


コレクターとして、多角的な意識で作品をコレクションされてきたのですね。

そうですね、私の中には太田さんのような社会性のある作品を買って保存しなければならないという責任感と、自分を励まし、楽しませてくれるための作品を買う個人的なおちゃめ心とがある感じです。


そんなご自身のコレクションのなかでも、特に思い入れのある作品というのはありますか?

どれか一点というのはなかなか言えないんですが、坂上チユキ さんの《さがしもの》 という小さい立体作品があって、あれは下から順に、一本一本紙粘土を練っては彩色して・・・制作に5年かかってるんですね。そのエネルギーと、作品の希有なるすばらしさに感動して、「買おう」と心に決めて、ギャラリーの人に伝えたら、「作家本人が売るかどうかを決めるので、会って下さい。」と言われたんです。それで、坂上さんと会ってお喋りをしました。その後、「田中さんはいい方なので、作品を売ります。」と言ってくれたのですが、「もし、“田中さんには売れません”と言われたらどうしよう。」と緊張しましたね。
それから、今村さんのシダと木の葉の作品 を買うときも同じでした。そのときもギャラリーの人が「今村さんは作品を売らないんですよ。でも田中さんだから一度聞いてみます。」と言ってくれて。そのとき今村さんから出された条件は「作品が展示される空間を見てから決めます。」でした。それで、今村さんが私の家まで来て、作品の設置場所として最初に提案されたのが、高松次郎 の《アンドロメダ》 が掛かっていた場所だったのですが、それは夫が好きだと言った数少ない作品だったので事情を説明して、最終的には、その少し横と、玄関とにそれぞれ展示することになりました。そういうことから、今村さんという作家は、自分の作品にとことん責任を持とうとしている人なんだなと感じました。売れたらそれで終わり、という人じゃないんですね。後になって今村さんが言っていたのは、私に出会うまでは、コレクターというのは作品を転がしてお金儲けするいやらしい人たちだと思っていたそうです。でも、「田中さんに出会って、コレクターには作品を本当に愛してくれる人もいるんだということがわかりました。僕のコレクター観を変えたのは田中さんです。」と言ってくれて。本当のところはよくわかりませんが、少なからぬ作家の人たちが、私を通してコレクターというものに良い印象を持ってくれたのではないかと思っています。

コレクション展の図録 には、いろんな作家さんからの田中さんへのメッセージが掲載されています。今のお話にもあったように、作品だけでなく、作家本人とも積極的にコミュニケーションをとられてきたのですね。

会えない作家を探し出して会うというところまではしないですが、会える作家、特に若い作家さんとは、いろいろお喋りもしたいし、関係も継続したいと思っています。というのは、若い作家さんは、私にとっては自分のゼミの学生とほとんど一緒で、大学で学生たちと触れ合っているように、ギャラリーで若い作家さんたちと触れ合っている、という感覚なんです。ただ、図録にも載せている中西信洋君 からのメッセージには、「大学の先生にはあまりいい印象がないけれども、田中さんがもし自分の大学の先生だったら、どうだったんだろう」 ということが書いてあったので、もしかすると、私はとても珍しいタイプの教師だったのかもしれません。


そういえば、名和晃平さんからのメッセージには、田中さんはいつも「名和晃平の母です」と自己紹介されると書いてありました。

若い作家さんに会うと、母心が溢れ出てしまって(笑)、「お腹空いたら電話一本かけて!ごはん作って待ってるから!」と言ってしまうんです。それで、若い作家さんたちをよく家に呼んで、ごはんを作ったりもしていました。ときには一宿一飯の恩義としてそれぞれに小品を持って来てもらったりもして、おもしろかったですよ。作家さんとお喋りする内容は、作品のことだけじゃなく、それ以外のこともいろいろ話します。そうすると、人間が理解できる。作家さんと話をしてから、作品を見ると、作品だけを知っている時とまた違って、想いが深まるというか、印象が濃くなりますね。



和歌山県立近代美術館への寄贈と、展覧会《自宅から美術館へ – 田中恒子コレクション展》について


どのような理由から美術館への寄贈を決断されたのですか?

tanaka_flyerサイズの大小や、作家の有名無名は関係なく、どの作品も大切な家族のような存在です。だから、美術館に作品をすべて移動させたときは、我ながらよく決断したと思いました。これまでとても可愛がってきたので離れるのが辛い気持ちもありましたが、作品をこの先守っていかなければならないと考えたとき、自分は当然生きていないし、できるだけ安全な場所に移すことが正しい選択で、今の寂しい気持ちはふっきるべきだと思いました。すでに美術館の常設展には寄贈した作品が出ているのですが、その作品たちを見ると、やっぱりえも言えず懐かしくて、胸がきゅんとします。離れていた家族と久しぶりに会ったという心境が一番当たっていると思います。
それと、自宅で《田中恒子美術館》というのを開いてはいたんですが、自宅は少々不便なところにあるし、なかなかたくさんの人に見てもらえない。それに、全部の作品を展示することもなかなか難しい。だから、美術館の大きな空間で一度自分の持っている全作品を展示するというのは昔からの夢でした。そして展示後には寄贈して、常設展などに使ってもらうというのが私の願いだったんです。実際は美術館側で計画を立て始めた時点で「入りきらない」と言われて、全部の作品は展示しきれなかったのですが。
私は自分のコレクションについては、「作品の物的所有権はコレクターにある、知的財産権は作家にある、そして、鑑賞権は国民にある」という三原則をもっていて、3つ目の「鑑賞権は国民にある」というのを実現するためには、美術館に置いておくのが一番だと考えています。もし、他の美術館での展覧会のために、自分のコレクションの作品が貸し出されていくというようなことがあったら、より多くの人に見てもらえることになるので、もっと嬉しいですね。

展覧会をすることが決まってから、開催まではどのような心境でしたか?

すごくどきどきしていました。というのも、自分のコレクションを全部見せるというのは精神的に裸になる感じなんですよね。「田中恒子とは何者か」というのがバレてしまう。それで、展覧会初日に、受付のところに座っていると、出てくる人から「おもしろかったね」とか「楽しかったね」という声が聞こえてきて、それを聞いたとたんに、本当にほっとしました。


展覧会そのものも大盛況だったんですよね。

日を追うごとに、「楽しい」という声が広がって、私の個人的な知り合いや美術関係の人たちだけじゃなく、地元の和歌山の人たちが口コミすごくたくさん来てくれたんです。「子供がおもしろかったと言うので来ました」というおばあさんや、「今日で3回目なんです」という人もいました。会期最後の3日間なんかは、すごい人でお祭状態でした。「見てもらいたい」という希望で開催を決めた展覧会だったので、本当に嬉しく、感謝しています。


和歌山県立近代美術館での展覧会と同館への寄贈を集大成として、現代美術のコレクターという立場からは、いったん卒業されたということですが、今後、新たに作品を購入される予定はないのでしょうか。

一応、気持ちの上ではね。でもやっぱりすごくいい作品に出会うと動揺しますね(笑)。「来るか?」って聞いたらすぐに「行く!」って言いそうで。もう作品と呼びかけ合うという習慣がついてしまっているので、それを遮断するはすごく辛い。それで、動揺を抑えきれずに実は何点かは買ってしまっています。それと、すごく有り難いことに、コレクション展に出した作家さんの中には、あの展覧会に感動して、その後私のために作品を作って送って下さった方もいるんです。あと、太田さんの《Post War》シリーズについては、新しい作品ができれば、私が生きている間は継続して購入するという約束をしています。あのシリーズのこれまでの全ての作品を持っているのは私だけで、私には社会的責任があると考えているので。


現代美術との関係はこれからも発展していきそうですね。それでは、最後に改めて、田中さんにとって、現代美術と接することの魅力とは何ですか?

一言で言うと、心が自由になるということですね。現代美術には「かくあらねばならない」という定型・典型がないということが、私の心を解きほぐしてくれる。私はもともと堅苦しく考える人間じゃないけれど、現代美術の世界に足を踏み入れたことによって、一層自分という人間が自由になったと思います。それに、作家の世界には一般社会でいう序列というものがない。作家一人一人のポジションというのが、上下左右のはっきりしている平面上にあるのではなく、3次元のなかに浮遊していて、それぞれの位置で、それぞれの考え方で作品を作っている。その、固定された物差しでは評価できない自由さがとてもいいなと思うんです。私なんか大学の世界にいて、他の先生方の研究活動の実績を数字に換算して一本の線上にランクづけしていくというのが、ものすごくいやだったんですが、現代美術の世界にはそれがない。たとえば、榎忠 さんにしても、堀尾貞治 さんにしても、美術大学を出ずに、ひたすら職人としてやってきて、今や日本を代表する現代美術の作家として認識されているし、本当にいろんなタイプの作家や、いろんな作品のあり方があって、それが「アート」という一言で括れる。こんな世界って他にないと思います。その中にいて本当に楽しませてもらっています。
あと、ギャラリーを巡りは、「次の画廊で何やってるやろう?」という期待感でいくらでも歩ける。だから、年を取ってきたら、現代美術大好きというのが、結果的には健康づくりに役立っています(笑)。


一石二鳥ですね(笑)。今日は長時間、どうもありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

聞き手:きよさわみちこ


番外編
お話を伺ったアートコートギャラリーにて
開催中だった展覧会《Art Court Frontier 2010 #8》で展示されていた作品とともに。

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田中さんコメント;
「例えば、上の写真の大西康明君の作品《体積の裏側3》は、新しい素材を、誰も想像しなかったような方法で使いながら変幻自在に表現している。この“変幻自在”ということが私をものすごく楽しませてくれる。下の写真の森末由美子さんの《本》という作品だって、不思議極まりないですよね。“作家の頭の中ってどうなっているんだろう?”といつも思っています。現代美術の世界では、ひとりの作家がその人にしかできない表現をしている。流派も何もない。だから、全く見たこともないものを見ると“やってくれたぜ!”と思います(笑)。」

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《体積の裏側3》大西康明 2010年、接着剤,ポリエチレンシート 他、550 x 280 x 410 cm
半透明のシートが、天井部から垂れて固まり糸状になったホットボンドによって吊るされている。
鑑賞者に「あること」と「ないこと」、空洞と体積の境界や反転を示唆する状況を経験させ、両者の関係性について問いかけをおこなう。

《本》森末由美子 2010年、本
文庫本や単行本をやすりで削ることで、ページごとの印字が繋がり、等高線のような緩やかなイメージが現われる。文字が情報を伝達する媒体であることをやめて未知のイメージを形成し、本はその内容から切り離されて、見慣れない物体へと変容していく。見慣れた日用品が未知のものへと変化するプロセスを静かに提示する作品。

取材協力:アートコートギャラリー


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