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うつすものをうつす《ウィリアム エグルストン: パリ‐京都 レビュー》

2010 年 7 月 28 日 2,078 views No Comment

ウィリアム・エグルストンといえば、あの、60年代アメリカ南部(ディープサウス)をとらえた血なまぐさい写真で有名な写真家である。ショットガンのカタログにうっとりと目を落とす、濃厚な赤とオレンジの色彩で染め上げられた少年。真っ赤に塗られた壁に「GoD」と殴り書きされたモーテルの一室で全裸のままたたずむ中年の男。赤いコードが血管のように這う裏庭に置かれた真っ黒なバーベキューセットと、その上に放り置かれた真っ赤な斧。そこにひとりの少女が立っているだけなのに、そこに一台の車がとまっているだけなのに、そこに一匹の犬が歩いているだけなのに、なぜかそのすべての光景に殺人事件の現場のような剥き出しの暴力の匂いをただよわせてしまうエグルストンの写真群——。「ニューカラーのゴッドファーザー」エグルストンは、さり気ない日常の中にも血の匂いを濃厚に放つディープサウスの世界を、あまりにも優雅な物腰で(!)官能的に描き出してしまう希有な写真家であった。  

だが、現在「原美術館」で開催中の『ウィリアム エグルストン: パリ‐京都』に展示された2000年以降のパリ‐京都で撮影された写真群は、アメリカ南部の濃密な闇の暗さをすべて揮発させてしまったかのような、みずみずしく明るい光で充ち満ちている。それはあたかも、ディープサウスの暗闇の中から、パリ‐京都の明るい日差しの中へ突然放り出されたかのような、激しい目眩をすら覚えさせる。  

うっとりとショットガンのカタログに視線をおとすディープサウスの少年の姿はどこへいってしまったのか?パリで撮影された少年は、透明でみずみずしい外光を全身にあびながら、気まぐれに吹き上がる噴水と自由にたわむれている。あるいは、色褪せた官能の匂い放つディープサウスの女性はどこへいったのか?パリの女性は、赤いエナメル靴とカラフルなバッグの直線で両端を寸断され、匿名の「足」となり、軽やかに流通する記号としての官能性を獲得している。  

この違いはどこからくるのか? 単なる時代と土地の違いだろうか? それともプリント技術の違いだろうか? 誰かも言っていたように、エグルストンはついに「分裂症的な傾向」を発現させてしまったのか? エグルストンはレンズの絞りを誤ったのか? それとも見るものの方が、虹彩の絞りを誤ったのか?————  

次々と浮かび上がる疑問符をひとつひとつ作品に投げかけるようにしながら、パリ―京都の写真群を見てゆくうちに、少しずつ、まさに光に目が慣れるかのようにして、これまでまったく思いもつかなかったエグルストンの新たな相貌が目の前にくっきりと浮かび上がってきた——。そう、エグルストンは「重なり合い」をとらえる写真家なのだ。そしてそれは、ディープサウスの昔から、いっさいブレることなく繰り返されてきた、一人の写真家の(脅迫神経症にも似た)反復的な身振りなのだ。


パリ‐京都の写真群は、さまざまな「重なり合い」で満ちている。  

ただしそれは、ハンガーに架けられた衣装の重なり合い、カフェの椅子の重なり合い、石畳と女性の足の重なり合い、少年と噴水の重なり合い、階段と傘の重なり合いといった、どこにでも見られる重なり合いばかりではない。  

たとえば、何の脈絡もなく無造作に撮影されたかに見えるパリ‐京都の写真群には、驚くほど多くの「映り込み」が現れてくる。たとえば、夜のホテルの窓ガラスをとらえた写真には、写真家のいるホテルの室内の光景がくっきりと映り込んでいる。ガラスに浮かぶ幻影は、ガラスの向こう側に見える京都の夜景と「重なり合い」、そこにはカメラの二重露光のような幻惑的な光学劇がうみ出されている。また、光沢をおびたパリの歩道には、黄みどり色をしたネオンサインが映り込み、その光は、水面に浮かび上がる月明かりのように歩道の平面に「重なり合って」いる。  

それ以外にも、紺色のシトロエンの車体にはパリの街並が映り込み、日本家屋の真っ黒な漆塗りの床には、京都のみずみずしい新緑が映り込み、ショーウィンドーにはパリの街を行き交う人々の姿が、ピアノの蓋の裏面には白黒の鍵盤が、地下鉄の仕切りには、曇りガラスを透かして女性の姿が、それぞれ映り込んでいる——。さまざまな「映り込み」のなかで世界は、虚像と実像の「重なり合い」となり、軽やで透明な像のたわむれとなって変幻自在に「多層化」されてゆく。どこにでもある日常的な光景のなかにあらわれた一点の「映り込み=重なり」が、その光景全体を根本から一変させてしまうのだ。——エグルストンは「 “映す” ものを写す」。  

また、パリ‐京都のエグルストンの写真には「表象」をとらえたものも驚くほど多い。そしてそれらもまた幾重にも「重なり合って」いる。  

たとえば、パリの街頭にあふれるグラフィティ(落書き)は、どれもこれも示し合わせたかのように「重なり合って」いる。壁面に大きく描き出された黒い寺院のグラフィティの上には、堂々と別の文字列が「重ね書き」されている。そして、ポスターやビラも幾重にも「重ね貼り」され、自動販売機の「伊藤園」のロゴには、ペットボトルの文字や図柄が「重なり合い」、施設の入口の掲示板に貼られたさまざまなポスターや告知も何重にも「重なり合って」いる。  

だがこれらの「表象」同士の「重なり合い」は、もうひとつの根本的な「重なり合い」を想起させてやまない。そう、「表象」とは、それ自体がそもそも「重なり合い」なのだ——。グラフィティの下には、その下地となるまっさらな壁面がある筈であり、グラフィティはその上に「重ね書き」されたものなのだ。またポスターやビラも、紙という平面の上に図像が「重ね合わせれて」初めて成立する。いみじくも、パリを代表する作家であるバルザックが、19世紀前半の写真の誕生に遭遇して、写真とは人間の体を構成している「無限に薄い膜のような亡霊たち」が印画紙の上に「貼りついた」ものだと信じて疑わなかったように、あらゆる「表象」とは、そもそもの初めから、何らかの平面の上に「重ね書き」された像なのだ(cf.「表象representation」= 像を「再び-出現させるre-present」もの)。  

その意味でエグルストンにとって、もはやこれらの「表象」とガラス面への「映り込み」に本質的な区別はない。どちらも、平面の上に「重なり合う」像、いわば、平面の上に「映り=写り=移り込む」像なのだ。  

無色透明のガラス面に、像が「重なり合う」ことで、思いもしなかった美しい光学劇がうまれ、無表情なパリの壁面にグラフィティが「重なり合う」ことで、大都市にいくつもの風穴(逃走線)があけられ、京都の門前に犬の像(写真の切り抜き)が「重なり合う」ことで、古都の風景と記号的風景との食い違いというどこか微笑ましい光景も生じえたのだ。  

さまざまな像を自らの上に「重ね合わせて=うつし込ませて」て多様化するさまざまな平面——。エグルストンとは「 “うつす” ものを写す」写真家なのだ。



しかしながら、これらのパリ‐京都の写真群には、どこか悲哀にも似たエグルストンの眼差しが「重ね合わされて」はいないだろうか——。パリ—京都の写真群は、どのような「表象」も、結局のところガラスや紙に映り込んだ「虚像」に過ぎないこと、あるいはそれは、ほんの一瞬だけ成立して消え去ってしまう「儚き存在」であることを見るものに強く印象づけないだろうか——。  

グラフィティは風化して崩れ落ち、描かれた当時の生き生きとした声をすでに失っており、ポスターやビラは過去の日付をむなしく表示するだけであり、無人のまま旋回するメリーゴーランドも、もはや子供時代の夢を表象することはできず、子供をかかえて物乞いするホームレスも、もはや家庭の夢を表象することはできない——。パリ—京都の写真群は、表象が自身の像を自らのもとに「重ね合わせる=映し込む」ことのできなくなってゆく姿を執拗に追い続けているかのように見えるのだ。  

そして、あのディープサウスの写真群も、パリ‐京都の写真群と同じく、さまざまな打ち棄てられた表象であふれ返っている。  

たとえば、小ぎれいな身だしなみでベッドに腰掛け、力の入らなくなった右手でピストルを持ち上げようとするディープサウスの老人は、全米ライフル協会を想起させるマチズモ(男性優位主義)を(自らの意思に反して)表象し得なくなった「打ち棄てられた表象」であり、無限に広がる荒野の農場にあてどなく立ち尽くす一匹の猟犬は、「どこでにも行けるが、どこにも行けない」というディープサウスの開放と閉鎖の逆説の前に立ちすくむ、疾走の自由の表象を拒絶された「打ち棄てられた表象」なのだ。  

そして、秘書のような制服、秘書のような髪型、秘書のようなポーズで、あまりにも秘書のようでない(!)ディープサウスの住宅街に腰掛ける女性も、あるいは、自殺の場所を探し求めて彷徨してきたかのような紳士然としたディープサウスの男性も、もはや自己の像を自身の上に「重ね合わせる=映し込む」ことのできない「打ち棄てられた表象」なのだ(男性の背後には、彼とまったく同じ姿勢をした男性が、まるで彼に重なり合う影のように(!)たたずんでいる)。    

このように、ディープサウスの写真群もまた、自己の像を自らに「重ね合わせる」ことのできない(できなくなった)打ち棄てられた表象の群れであふれ返っている。そして、ディープサウスの不吉な暴力の匂いもまた、このような表象の「重ね合わせの不全」に由来するものなのだ。いわば、ありのままの自分(=下地)と、ありたい自分(=像)とが容赦なく引き裂かれてゆく、下地と像との裂け目が、強烈な痛みとなって、ディープサウスの写真群の全体を暴力的に染め上げてゆく——。  

エグルストンは、世紀の変わり目を境に「変貌」などしていない。エグルストンは、その最初期から一貫して「重なり合い」を、そしてその「儚さ」を、その「痛み」を、執拗なまでに追い続けた(あるいはそれを反復的に繰り返さざるをえなかった)写真家なのだ。  

だが、そもそも「写真」それ自体もまた「表象」であるとすれば、エグルストンの「写真」もまた、自らの像を永遠に自らのもとに「重ね合わせて=写し込んで」おくことはできないのではないか——。エグルストンの写真もまた、パリのグラフィティと同じように、色褪せ、ひび割れ、崩れ落ち、打ち棄てられてゆくのではないか——。


本展覧会のために来日したエグルストンは、いつもの通り、仕立てのよいスーツに身を包み、育ちのよさを感じさせるゆったりとした口調で、紳士然とした振る舞いを終始崩すことはなかった。それはどこか、広大な綿花畑を所有するアメリカ南部の富豪の家系に生まれたというエグルストンの素性のよさ(?)と、彼の幼少期の「古き佳きアメリカ」を、まさしく自ら「表象」するかのようであった。だがそこには、同時に、「古き佳きアメリカ」という、いかがわしいノスタルジアに対する嘲笑のようなものがアイロニカルに漂っていたことも見逃すことはできない。「ニューカラーのゴッドファーザー」エグルストンは「古き佳きアメリカ」などという時代錯誤なノスタルジアなど、すでに信じてはいないのだ! にもかかわらず彼が、敢えて「古き佳きアメリカ」の表象を演じ続けるのは、「古き佳きアメリカ」という夢の表象であることに自らあえて「失敗」することで、表象の挫折を、表象の儚さを、その痛みとともに自ら表象しようとしていたからではないか。  

エグルストンとは、重なり合いを “生き” 続けた写真家でもあったのだ。  

オープニング・レセプションのなかで、原美術館(=原邦造邸の上書き)の真っ白な壁面全体に、エグルストンの写真とドローイングが大きく映し出された。——それを見てエグルストンは次のように言った。

——今回わたしがお伝えしたいことは、すべてこの壁にかかっています。  

エグルストンの写真は、原美術館の壁面の上に、その像を永遠に「重ね合わせる」ことができたのか。  

エグルストンの目にまたひとつ、表象の痛みが、美しく重なり合っていった。

【参考文献】 雑誌:『美術手帳』(2010年5月号)
       書籍:キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』
       サイト: Art itOfficial Website of William Eggleston
       ブログ:フクヘン

text:桑原俊介

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