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パリに学ぶ―キュレーション能力と作品研究のスキル《美しき挑発 レンピッカ展 レビュー》

2010 年 6 月 28 日 2,970 views No Comment

サッカーのW杯が開幕し寝不足の日々を過ごしている方も多いのではないだろうか。多様な各国のフォーメーションや戦術には何度見ても飽きの来ない奥深い哲学があり、諸々の哲学同士の相性や各哲学が内在する利点と欠点との均衡は見ていて本当に面白い。いわずもがな美術の世界にも多様な哲学ある。全てのことを同じ概念で捉えてしまうのはいささか深慮に欠ける稚拙な思考であるが、選手達を作品や作家に、指揮官をキュレーターや研究者になぞらえることもできよう。現在、兵庫県立美術館で開催中の『レンピッカ展』は、主催者の『あいさつ』によればレンピッカ研究の第一人者であるアラン・ブロンデル氏の協力と、パリ・オランジュリー美術館館長エマニュエル・ブレオン氏の監修をもとに展示・構成されている。すなわち、本展覧会ではレンピッカの作品が放つ独特の魅力も然ることながら、世界有数の芸術都市パリが世界に誇るオランジュリー美術館の館長であるエマニュエル・ブレオン氏のキュレーション能力も大きな見所の一つなのである。大事なことは私達がレンピッカの作品をどの様に鑑賞するかであるが、所謂箱物の美術館においては主催者側がどの様に鑑賞させているのかについて考えることも忘れてはならない。

本展覧会は三章立てで、プロローグとエピローグを含むと大きく五つの部分から構成されている。作品は習作や関連資料を除けばほぼ例外なく年代順に番号が振られ、ほとんどの作品は番号順に陳列されている。一人の画家を紹介する展覧会なのだから、作品を年代順に並べるのは当然であると思う人も多いかもしれないが、国立国際美術館で開催されていた『ルノワール展』の展示構成を見ればそれほど単純な問題でもないことが理解されるであろう。すなわち『ルノワール展』では作品が【ルノワールへの旅】、【身体表現】、【花と装飾画】、【ファッションとロココの伝統】という四つの章に分けて紹介されており、これまで語られることの無かった新たなルノワールの魅力が紹介されている。筆者なりに解釈すると『ルノワール展』は、ルノワールの自然や装飾芸術への関心を明らかにすることで、これまでキャンバスに描かれた女性達に注目が集まることの多かったルノワールの作品を見直し、彼の作品が愛らしい女性達の表現によって魅力的なものになっているのではなくむしろ彼の自然や装飾芸術に対する関心が女性達の表現を魅力的なものへと押し上げているのだということを示唆していると思われる。『レンピッカ展』についても具体的に見ていくことにしよう。

プロローグ【ルーツと修業】では彼女が本格的に絵画を描き始めた頃、1921年から1924年までの作品が7点展示されている。この7点の作品は【ルーツと修業】という見出しからも分かるように、彼女の作品の根底にある技術的な素養を知る上で重要な作品であるが、解説にある通り彼女が師事したアンドレ・ロートの絵画哲学の域を脱していないという点で真の意味でのレンピッカ作品とは言えない。しかし、キュビズムの理論家であったロートの影響が色濃く反映されている《中国人》から、自らが学んだ様々な表現を自分のものとして使いこなす段階に近づきつつある《ロシア人の踊り子》への作風の変化は、一人の画家の成長を垣間見ることができて面白い。また解説によると、レンピッカが最初に師事したモーリス・ドニから得たものはあまり多くなかったようであるが、《女占い師》の背景に描かれたムンクを思わせるような遠景の表現はドニの作風にも通じるところがあり、彼女が安易に先駆的なキュビズムに傾倒したのではなく、自分自身に合った表現を真摯に模索していた様子を窺うことができる。

第一章【狂乱の時代】では内容も表現も所謂モダンな若かりし頃のレンピッカらしい作品を堪能できる。これまでレンピッカという名前を聞いたことがなかった人でも、本章には知っている作品があるかもしれない。第一章の中で敢えて取り上げるとすれば、娘キゼットを描いた作品群であろう。解説によれば1924年頃に描かれた《キゼットの肖像》、1926年頃の《ピンクの服を着たキゼット》、1928年の《初めて聖体を拝領する少女》、1930年の《緑の服の女》の四作品はすべて彼女の愛娘キゼットがモデルである。キゼットは、《キゼットの肖像》では純粋無垢な少女の姿として、また《ピンクの服を着たキゼット》では「ロリータ」という言葉で形容される思春期の少女の一形態として、さらに《初めて聖体を拝領する少女》では宗教的な活動に従事する少女の姿として、最後に<緑の服の女>では女性的な意味での強さ危うさ厳しさ美しさを十二分に感じさせる大人の女性として表現されている。特に<初めて聖体を拝領する少女>に描かれた純潔を連想させる純白の祭服に身を包んだ少女の表現と、《緑の服の女》に描かれた緑のドレスの下から乳房と臍の形が透けて見える女性の表現とは好対照であり、古典的な絵画作品を思わせる前者の衣文線の表現と、全体として幾何学的な纏まりを感じさせる後者の衣文線の表現とから看取される表現の幅の広さは圧巻である。そしてキゼットを描いた四作品において印象的なのは、上記のように様々な姿で描かれたキゼットの目が一貫して未来を見据えるかのような一本筋の通った意思の強い表情を見せていることである。《緑の服の女》の解説に「自画像でもある」という言葉があるように、四作品に描かれた娘キゼットの姿にはレンピッカ自身の内面が投影されているかのようである。

第一章が本展覧会の花や実にあたる部分であるとするならば、第二章【危機の時代】と第三章【新大陸】は本展覧会の根幹にあたる部分である。すなわち第一章に比べて派手さはないが、主催者側(エマニュエル・ブレオン氏、アラン・ブロンデル氏)にとっては来館者に最も理解して欲しい部分であると思われる。

第二章【危機の時代】では1930年代に制作された作品が展示されている。解説によれば、この頃は世界恐慌が世界全体に蔓延すると同時にレンピッカ自身が精神病を患っていた時期であり、社会的にも個人的にも危機の時代であった。この時期に制作された作品は暗い中間色で彩られたものが多く、キャンバスに描かれた人物からは迷いや憂いの感情が伝わってくる。正直なところ見ていてあまり良い心地のしないこれらの作品群は当然の事ながら、従来あまり高く評価されてこなかったであろう様子は想像に難くない。しかし、主催者によれば、第一章の作品群に見られた華々しい言わばレンピッカらしい作風を変化させることなく、自らの表現を危機的な状況に適合させていった結果生み出された作品こそ再評価に値するものである。経験の浅い筆者にとって、エマニュエル・ブレオン氏やアラン・ブロンデル氏の考えは全面的に受け入れられるものではないが、《グラジエラ》や《マドンナ》に描かれた女性達が第一章において度々登場した外見的な魅力に傾倒した女性達にはない内面的な魅力を備えていることは何となく感じ取ることができる。すなわち、第二章に陳列された作品からはレンピッカ自身の成長を見て取ることができるのである。この人間的かつ表現的な成長が危機的な時代を経験することによって培われた内面的な魅力によってもたらされたものであることは言うまでもあるまい。これらの作品が再評価に値するか否かは皆さん自身が作品と真摯に向き合って考えてみて欲しい部分である。

第三章【新大陸】で陳列されているのは彼女がアメリカに移住した後のスタイルを一変させた作品群である。本章では、第二章の作品に比してモデル達の表情は明るく前向きな印象を与える作品が多い反面、解説にあるように巨匠達の作品に着想を得て描かれた作品が多く、これまでのレンピッカの作品が内在していたオリジナルの面白さを作品から感じ取ることが非常に困難である。解説にある通り、彼女の作品が次第に忘れ去られていった様子は容易に想像することができる。エマニュエル・ブレオン氏とアラン・ブロンデル氏は、この時期の、新境地を開拓しようとする彼女の努力を肯定的に捉える立場にある。しかし彼等は本章においてレンピッカの作品に見られる表現について、巨匠の作品に範を求めたという外的な共通点を見出す一方で、レンピッカの独自性という点に関しては、新たな表現の追及といういささか焦点をぼかした結論を導き出している。すなわち、バラエティーに富んだ諸作品を一見して明らかなように、第三章に関する辺りは多分に研究の余地が残されている部分であると思われる。取り留めのない断片的な作品紹介になってしまうので、ここでは個々の作品を取り上げることは辞めておきたい。

エピローグ【復活】では、1972年ブロンデル夫妻によってパリのリュクサンブール美術館で開催された回顧展を機に再び注目を集めるようになったレンピッカ晩年の画業に焦点があてられている。展示作品は僅かに三点で、解説によるとすべて自筆のレプリカである。また、解説では《ブルターニュ地方の娘Ⅲ》が1972年の回顧展のために描かれたものであり、1980年、彼女がこの世を去った時、イーゼルに載せられていたのは制作途中の《美しきラファエラⅢ》と《聖アントニウスⅣ》であったというエピソードが紹介されている。さらに、解説はこのエピソードを受け、「娼婦と聖人、まさに、レンピッカの異なる二つの顔を象徴するような取りあわせだ。最後の瞬間まで、肉体の誘惑に負ける弱き者のイメージと、天国へとつながる悟りのイメージが対峙していたのだ。レンピッカには最後までどちらかを選ぶことができなかった。生涯を通じて彼女は飽くことなく、この世の美や快楽、名声を探究しつづけ、それを何の躊躇もなく満喫してきた。その一方で、一生、清く禁欲的なものにも惹かれつづけた。信仰は内省的性質の一面であり、レンピッカは常に自分の内面的な矛盾について自問してきた。」と述べている。第一章において対照的な二作品、《初めて聖体を拝領する少女》と《緑の服の女》を鑑賞し、最後に再び対照的な二作品、《美しきラファエラⅢ》と《聖アントニウスⅣ》を目にすると、画家という枠を越え一人の人間が持つ尊厳というものの偉大さを感じさせられる。もう少し具体的に言うと、他者との接触によって得た感情に対して素直に柔軟に対処し表向きの姿を変化させていくことも大切であるが、本当の意味で自分が対峙しなければならないのは自分自身の内側にある問題である、レンピッカの作品を見ているとそんなことを感じさせられるのである。

多数の作品の間に共通点を見出して適切な分類を行い、各集団に客観的な意味を持たせる作業は、基本的なことであると同時に一番難しいことでもある。作品を通して一人の画家の生涯を適切に紹介した展覧会は以外に少ない。レンピッカという個性的な画家を取り上げ、その画業をいとも簡単に美術史的に位置付けてしまう文化大国フランスの研究やキュレーションに対する個々人のスキルを、少なくとも美術に関わる人々は学ぶ必要がある。そう、サッカーで言うならば、解説者やマスコミが注目選手の話ばかりしているうちは、ベスト4など夢のまた夢であろう。展覧会批判や監督批判をするのは簡単であるが、本当の意味での文化レベルというのは国民一人一人に依拠したものであることを自覚しておきたいと思う今日である。

参考文献:『美しき挑戦 レンピッカ展—本能に生きた伝説の画家—』(展覧会図録)日本テレビ放送網株式会社 2010年

text:吉田卓爾

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