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美しすぎる器《ルーシー・リー展 レビュー》

2010 年 5 月 28 日 3,820 views No Comment

陶芸の大きな分類として「器」という分野と「クレイワーク」という分野に分ける方法がある。「クレイワーク」とは土で自由に自分の思いを表現するもので、いわばオブジェを作り窯で焼成して作品を作る。これに対して器というと皿や鉢、花器などどちらかというと実用的な作品がメインになる。もちろん実用的と言ってもそこには作者の思いがこめられているわけであるし、クレイワークでも室内の空間を創造するという意味では実用的とも言えるのでその境界はあいまいである。

それではルーシー・リーの作品はいったいどちらなのだろう。おそらく多くの人は「器」に決まっていると断言するに違いない。これまでも多くの展覧会は「器」とういうタイトルをつけて彼女の作品を見せてきた。確かにそれは食べ物を盛る鉢であり、花を生ける花器である。私たちはルーシー・リーの作品を「器」であることを前提に、こんなものを盛って食卓に載せたら素晴らしいだろうなという創造を巡らせている。そして何より作者本人が器であることを前提に作品を作っている。

しかし私は最近、ルーシー・リーの作品を果たして「器」だと言ってよいのか疑問に思っている。初期から円熟期にいたるすべての作品を一口で言うことは難しいが、特に後期の作品はもはや「器」ではなく別のものではないかとさえ思える。

器とは広辞苑によれば「物をおさめるもの、いれもの、転じて一般に器具、道具」と書かれている。しかし私にはルーシー・リーの「器」はあまりにも美しすぎ、物をおさめるものから逸脱してしまっていると思えるのだ。もちろん物を入れるには美しいに越したことはない。器が美しくなくていいなどとはもちろん思っていない。しかし食べ物にせよ花にせよ、それらを引き立てるという役割が器には求められるのも事実だ。ひきたてるにはある部分ひかえめであることも必要だ。そしてなにより使って安心感がなければと思う。「用の美」に注目したのは民芸運動の第一人者柳宗悦だが、それ自体の美しさであると同時に、使われることでより美しさを発揮し、さらにそこに盛られたものの素晴らしさを一層際立たせる道具、それこそが器だと考えられてきた。もちろんルーシー・リーの花器や鉢に花を活ける、あるいは食べ物を盛ったらどんなに素晴らしいことかと想像する。しかし花を活ける、あるいは食べ物を盛ることは相当なエネルギーが必要なのではないか。それにはリーの「器」をはるかに越えた美しさが求められるからである。

それではルーシー・リーの作品になぜ私たちは魅了されるのか。それは一つには人間の手が作り出した微妙なゆらぎが作品全体を支配するからなのだと私は思う。ルーシー・リーはその生い立ちからしてどこか科学者のような方法で土や釉薬、焼成の研究を行っていたという。特に釉薬の研究においては一つ一つ焼成を繰り返しては確かめ、オリジナルな釉薬の開発を行った。その結果生み出されたのがあの素晴らしい色なのだ。さらにその美しさをひきたてるのが、作品の形や細かく引かれた線一本一本が機械ではなく、人の手によって作られたという痕跡が作品のあちこちに感じられることだ。

私はこれまでも何回かルーシー・リーの器を見てきた。最初に見たのは今から10年以上前のことだったであろうか。小さなギャラリーで小さな器を見たのが最初だった。それはあまりに小さかったので特別な印象を持った記憶はない。それに当時、日本では今ほど一般にはルーシー・リーのことは知られていなかったように思う。それ以後ホテルの美術館や陶芸美術館などでしばしば作品を見る機会はあったが、それも何か遠い世界の存在のように思えた。しかしなぜか今回の特別展は違った。それにはいくつかの理由があるが、まずあげられるのが、作品をあらゆる角度からしかも近くで見ることができたこと、そしてこれまでほとんど公開されたことのない釉薬ノートなどが詳しい解説がつけられて公開されたことだ。作品を上から下から、あるいは反対側から眺めると、写真では見つけることができない新たな発見がある。今回一番印象に残ったのは完璧に出来ていたかと思っていたリーの作品が実はそうではなかったという発見だ。形に着目してみると意外なことに丸い正円とばかり思っていた鉢が実はそうではなく微妙に、本当にごくわずかにゆらいでいることだった。例えば1960年代に作られたという《茶釉斜線文鉢》。細い高めの高台と象嵌による白く細い線が作品全体に施され、まさにルーシー・リーの円熟期に入る時期の作である。この器、写真ではわからないが実際に上から見てみると正円ではなくごくわずかだが押しすぼめたような形をしている。計算されてこのような形にあえてしたのか、あるいは偶然そうなったのか分からないが、実は他の鉢にもこのような微妙なゆらぎのような形を見ることができる。

さらに一本一本丁寧に手で書き入れている様子が見ている者にひしひしと伝わってくるあの象嵌や掻き落としの線。その入り方は微妙に間隔が異なっている。象嵌の線については写真などからも推察できたが、形までがゆらいでいるということを発見したのは今回が初めてであった。今回の展覧会でルーシー・リーの作品を見たことで、これまで何か遠いところにあった彼女の作品が、作り手のぬくもりが感じられるちょっと身近な存在になった。

ルーシー・リーは無限ともいえる土と釉薬、それに焼成の組み合わせを自ら一つ一つ確かめ自分の作風を編み出していった。例えば今回の展覧会で初めて眼にした釉薬ノートはそれをよく物語っている。ルーシー・リーは初期のウィーン時代からこの釉薬ノートを書き始めており、それはこれまで見つかっているもののだけでも12冊におよぶ。しかしそこには記号や化学式などがメモのように書かれ容易に読み解くことはできない。陶芸家の小山耕一氏はルーシー・リーの釉薬ノートや工房の写真から面白いことを発見している。普通、陶芸家の工房にあるべき何かがないことに気が付いたという。それは釉薬を入れたバケツだ。普通一回作った釉薬はバケツに入れ、何回も使い、減ればまた足していくということを繰り返していく。場合によっては秘伝の釉薬がこうしてできていく。しかしルーシー・リーの工房にはなぜかこれがなかった。釉薬ノートから推測してリーは一回一回釉薬を調合し、使い置きは一切していなかったという。釉薬はその都度調合し、もしあまれば捨ててしまう。ひとつひとつの形には個性のある形や線が入り、さらに釉薬でさえもひとつひとつオリジナルなものだったということになる。

こうした独自の研究の成果はさらに焼成の方法も及んでいた。例えば「1回焼成」と呼ばれる焼き方。普通焼き物はまず粘土で形を作りいったん乾燥させたあと比較的低温で素焼きをする。そして素焼きをしたものに釉薬をかけて高温での焼成を行う。いきなり高温で本焼きをするいわゆる「焼き締め」と呼ばれる方法もあるが、この場合釉薬は使わない。しかしリーは粘土で形を作り乾燥させたあと、素焼きをせずにいきなり釉薬を筆で塗り、本焼きをしてしまうという方法で多くの作品を作っていたという。リーは注文に間に合わせるために時間を省こうとしているのだとあるとき語っていたというが、それはさておきこうした「1回焼成
による制作は普通の作り方では生み出せなかったまったく新しい効果を作品にもたらすことになった。東京国立近代美術館の北村仁美氏は次のように述べている。「1回の焼成で素地と釉薬が融合し他のどんな方法もなし得ないような形が生まれるのである。(中略)釉薬(装飾)と素地(形)という区分も、便宜的に使わざるを得ないがそれらを無効としてしまうような要素をルーシー・リーの作品は宿している。」この釉薬と形の一体化という概念を私は始めて聞いた。これもまた美しさの秘密なのかもしれない。

ルーシー・リーは自らの試行錯誤を繰り返しオリジナルな釉薬や焼成法を編み出したが、決して孤高の陶芸家でというわけではない。例えば当時のイギリス陶芸界の重鎮バーナードリーチとも親交があった。一時期リーチを真似て少々厚ぼったい器作りも行っていた。そして彼女はリーチから多くのものを学んだ。しかししばらくするとリーの気持ちはリーチから離れていった。自分の目指すものと違う何かを感じたに違いない。

またヨーロッパの伝統的な陶磁器の一つウエッジウッド社からデザインの注文を受けたこともあった。今回の展覧会でもリーがウエッジウッド社の依頼で作ったティーカップが展示されているが、なぜかウエッジウッド社はリーのデザインを採用しなかったという。おそらくヨーロッパの伝統にこだわっていたウエッジウッド社はそれとは大きく異なったリーの作風を受け入れることができなかったのだ。イギリスの陶芸家でありルーシー・リーにも陶芸の手ほどきを受けたというキャロライン・ホフマンの次の言葉を紹介したい。「彼女の作品はどこまでもモダンで東洋のやきものや伝統的な工芸陶器の要素はそこにはほとんど見当たらない。(中略)そして何より注目すべきは彼女が必ずしも実用性を目的とした作品作りをしていたわけではないという点だ。陶磁器は芸術作品に、いや彫刻にさえもなりうる。」

「溶岩釉」と呼ばれる釉薬で仕上げたあの一連の作品。シンプルな形の中であるにもかかわらず荒々しい印象を与えるこの作品はもはや実用の域を超えたところにある。またピンクや青の美しい大きな鉢。高台の部分はすぼまり、大きく開く口縁部は薄く繊細だ。刻まれた美しい線。これはもう「器」という範疇を越えている。21世紀に暮らす私たちの心を捉えて離さないシンプルでモダンな美しさを秘めたルーシー・リーの作品。私はリーの作品を陽の光がたっぷり入る部屋に作った棚の上に置きそれを眺めて暮らしたらどんなに素晴らしいのではないかと思う。使う器ではなく、見る器として。

参考文献:展覧会図録「ルーシー・リー」
     P-VINE BOOKS「ルーシー・リー」(太宰久美子訳)

text:小平信行

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