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喚起されるイマジネーション《アーティスト・ファイル2010 ―現代の作家たち レビュー》

2010 年 3 月 29 日 2,975 views No Comment

「これは●●を描いた絵です。これは××をかたどった彫刻です。現代美術にはそんなふうにひとことでは言いあらわせない作品があふれています。」
今回の展覧会のために美術館が入館者のために用意したパンフレットの冒頭の記述である。
国立新美術館が選んだ国内外で「今」注目を集めるアーティスト7人による展覧会「アーティストファイル2010」。大きな7つの部屋を使って7人の作品を展示、あたかも7つの個展を見るような気分だ。絵画、写真、陶芸、映像など様々。展覧会全体を貫くテーマはない。2008年から毎年行われて今年で3回目、今年も30歳代から50歳代のアーティストによる個性あふれる作品を見ることができる。

まず映像の分野で注目される作家から話を始めよう。ただ一人の海外からの参加者がオランダの映像作家アーノウト・ミック。
薄暗い部屋に2つの大型スクリーンを置いた映像インスタレーションがおもしろい。学生時代は彫刻が専門だったというミック。映像インスタレーションを制作し始めたのは90年代に入ってからだという。今回紹介されているのは「タッチ、ライズ・アンド・フォール」と「浸透と過剰」の2作品。
私が特に注目したのは、床にじかに置かれた二つ折の巨大スクリーンに2つの映像を投影する「タッチ、ライズ・アンド・フォール」だ。そこには空港のセキュリティー・チェックの様子が映し出されている。今やテロ対策の再前線としてテレビなどでよく見るシーンだ。たくさんの乗客が不安げに列を作っている。そして入念に荷物や乗客の身体検査を繰り返す検査官。カメラはゆっくりとしたドリーショット<カメラ(ムービー)自体を移動させながら対象を撮影したカットのこと>でこうした一見どこにでもありそうな空港の光景を映し出す。映像は極めてリアリティーに満ちている。しばらくは本当にある光景かと思う。しかしよく見ているとどこか妙だ。例えば検査官の調べ方。熱心に調べているのは乗客の荷物の中のぬいぐるみ。ぬいぐるみをナイフで切り裂き、綿を取り出し徹底的に調べる。そしていったいどこから登場したのかわからない検査台の上にある夥しい量のごみ・・・。検査官たちの詰め所。冗談を言っているように見えるが、突然けんかを始める。音はまったくないので最初は何か遊んでいるように見えるが、しばらくすると険悪な雰囲気が伝わってくる。制服を着た検査官同士の奇妙な身体検査、倒れる検査官を同僚が支えようとする光景など意味不明の映像があちこちにちりばめられている。実はこの作品、すべて作られたものだ。一見なんでもない普通の光景が作られたものだと知ったとき、それは急に別の表情を見せ始める。いったいどのようにこの映像は作り出されたのか。ミックによれば空港の検査室のような部屋を準備し、大量のエキストラを投入して演技をさせているのだという。映像に登場するのは一般の市民であり役者ではない。計算されつくされた撮影場所の準備と大勢の人を動かす大掛かりな演出が必要なのだという。

こうして撮影された映像が、床にじかに置かれ中央で内側にやや折れ曲がる2面の巨大スクリーンに裏側から投影される。見ている人は同時に2つの映像を見ることになる。それも時にまったく違う場面だったり、時にほんのわずか視点をずらせた映像だったりして私たちの目を惑わせる。さらに映像自体、終始中途半端なフレーミングでいったい何を撮影しようとしているのかわからないものばかり。あたかも素人が始めてビデオカメラを持ったときに捉えた映像のように・・・。しかし作者はあえてこうした中途半端な映像にこだわったようだ。とかく映像の世界では人々の目をひこうとひおうと派手な光や音、短いカットの積み重ねなどの演出が用いられる。しかしこの作品には一切そのようなものはない。映画や街角のスクリーンに投影される巨大映像につきものの光や音のインパクトはまったくないのに、何故かこれまでの映像体験とは異なる不思議な感覚を呼び起こされいつまで見ていても飽きない。

もうひとつの「浸透と過剰」もまた不思議な作品だ。荒涼とした大地に捨てられたおびただしい数の自動車。ゆっくりとしたパンで延々と丘という丘に捨てられた車を映し出す。そして次はこの放棄された自動車を背景に制服姿の中学生らしき大勢の子供たちが列を作って順番を待っている光景に変わる。彼らがやっているのは宙ずりにされた人形を棒でたたく遊びだ。この人形の中にはお菓子が入っているのだという。人形をたたいて、落ちてくるお菓子を拾うというのだが、見方によっては首をつられた人間をさらに棒で殴りつけているおそろしい光景のようにも見える。この映像にはもう一つ夥しい薬が並んだドラッグストアの店頭が挿入される。隙間なく並べられた薬、それをこうこうと照らす蛍光灯。一見どこにでもあるようなドラッグストアに見えるが、よく見ると床が泥だらけ。きちんと並べられ影すらなくなるほどの照明が照らす店先なのに床は泥で満たされている。なんともアンバランスな光景だ。この作品が撮影されたのはアメリカとメキシコの国境に近い街だという。不法に投棄された車と氾濫する薬。大量生産と廃棄という現代文明の一断面を見せ付けているかのようだ。芸術の基本は言うまでもないが、言葉ではなかなか言い表せないイメージを伝えたいという作者の想いを絵画や映像などで伝えるという行為である。ミックの映像インスタレーションについて言葉で評価するのは大変難しい。しかし私たちの心の深いところにしまわれたイマジネーションが呼び覚まされ作者のメッセージが伝わってくることだけは確かだ。

斉藤ちさとはコップやアクリル水槽に炭酸水を入れ、そこに発生する気泡越しに風景や植物を撮影した。今回展示されているのは、気泡をモチーフにしたアニメーション作品が2つと40を超える写真。いずれも普段見慣れている光景を新しい視点で見直すチャンスを与えてくれるが、特に興味を引かれたのは「自由の女神」「レインボーブリッジ」「東京タワー」の3作品。撮影した場所は東京の「お台場、それもほとんど同じポジションから捉えた光景だ。違いは手前の気泡にピントをあわせ背景をぼやかすか、逆に風景にピントをあわせ気泡をぼやかすかなのだが、このわずかな違いがまったく印象の異なる写真を生み出し、見ている人に様々なイメージを喚起させる。

南野馨の陶芸。8メートルを超えるような巨大なオブジェだ。それはあたかも金属でできた塊を連結したように見える。なぜこのような形態を土で作らなければならなかったのか。素材は鉄でもあるいはコンクリートでも良いのではないかという想いがわいてくる。陶芸といえば器や花器、さらには瓦やタイルなどを連想するが、作者のねらいはそういった私たちのいわば「陶芸観」をひっくり返し、土をこね焼くことでこんな新しい表現も可能だということを問いかけているようにも思えてくる。

このほか石田尚志の映像、福田尚代の刺繍、O JUNと桑久保徹の絵画もまた私たちのイマジネーションを豊かに膨らませてくれる。とかく表面的で浮ついた、驚かせることに終始したような現代アートがあふれる中、「アーティストファイル2010」は一見寡黙で静かな表現手段だが、7人の作者それぞれの強いメッセージが伝わってくる作品に出会える展覧会だ。

text:小平信行

「アーティスト・ファイル2010 ―現代の作家たち」展の展覧会情報はコチラ



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