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大山崎という選択《美しきカントリーライフ ~理想郷への回帰とたびだち~ レビュー》

2010 年 3 月 29 日 2,213 views No Comment

『・・♪・・♪・尊厳と自由で矛盾してるよ~♪・・・』。
筆者の好きな歌にこんなフレーズがある。私達が生活している社会の中には、何をするにもルールというものがあり、ルールを馬鹿正直に守り続けているだけでは何一つ欲しいものを手にすることはできない。善く在りたい、善く生きたいという思いは常に頭の片隅にあって決して消えることはないが、そもそもルール自体が正しいのかすら分からない世界で私達は生きている。そんな私達に与えられた唯一の尊厳と唯一の自由は選択することである。半袖か長袖か、徒歩かタクシーか、国産か輸入か、自民か民主か、北海道か沖縄か、白か黒か、許すのか罰するのか、貫くのか変えるのか、続けるのか始めるのか、助けるのか見放すのか、逃げるのか戦うのか…。そんな無限にある選択肢の一つの形が『カントリーライフ』である。兎にも角にも、『美しきカントリーライフ展』(以下『カントリーライフ展』と記す)とアサヒビール大山崎山荘美術館について述べていくことにしよう。

大山崎山荘美術館には、緩やかな決まり事と自由がある。大山崎山荘美術館では今回の展覧会に限らず、エントランスでチケットを購入すると恐らくホームメイドであると思われる解説シートなるものが渡され、「新館からお回り下さい。」と声を掛けられるのである。旧館での展示を先に鑑賞してから、新館に向かっても怒られたりはしないであろうし、解説シートなるものを見なくとも作品を十分に楽しむことができるであろうが、少し迷って、結局は解説シートを読みながら新館から鑑賞を始めるのが、筆者のいつものパターンである。


さて、30秒前に少し葛藤していた自分のことなどとっくに忘れ、軽やかに新館の展示室へ向かうと、そこには意外な光景が待ち受けていた。山荘美術館へは半年に一度行くか行かないかなので定かではないが、普段ならば新館展示室の自動ドアが開いて正面に現れる壁には、山荘美術館が所有する数点のモネの<睡蓮>の中で、最もタッチの細かい、素直な見方をすれば一番丁寧に描かれた<睡蓮>が通常は掛かっているはずである。その壁に今回はコローの<大農園>が掛かっている。『カントリーライフ展』において最も注目すべき作品が山梨県立美術館から遥々やってきたコローの<大農園>である事を考えれば、大騒ぎする程のことではないのかもしれない。しかし、それでもやはり、いつでもモネの<睡蓮>が見られるというのを売りにしている小さな佇まいの美術館が、モネの<睡蓮>のために作ったと言っても過言ではない新館展示室の、最も注目の集まる壁に、<睡蓮>以外の作品を掛けることの意味は大きいのではないだろうか。筆者には、こう言ったところに山荘美術館の底力のようなものが表れているように思えてならない。

また、新館に以前から変わらず展示されている数点の<睡蓮>にも、『カントリーライフ展』に合わせたキャプションが付けられている。迎え入れる作品の性格や展示室の状況によって、主要な所蔵作品の立ち居地を自在に変化させることのできる美術館はそう多くはないであろう。<大農園>と共に山梨県立美術館から来ているコロー、ドービニー、ミレーのエッチングも小品ながら質の良い飽きの来ない作品で、<睡蓮>や<大農園>との取合せも非常に良い。何気ないが学芸員の職人技が光る展示である。以上の様に新館は、山荘美術館が常に<睡蓮>の新しい形を求めて変化し続ける、小さいながらもレベルの高い、真の美術館であることをよく示している。「新館からお回りください。」という一言は、山荘ではなく、あくまでも美術館であるという山荘美術館のプライドの表れかもしれない。

旧館では、ずっと前から置かれている家具のように建物と調和した、木製の展示ケースの中に作品が飾られている。本展覧会では、一階の一角にイギリスのアーツ&クラフツ運動と関係する作品が展示され、一階の残りのスペースと二階に民藝運動と関係する作品が展示されている。山荘美術館では『カントリーライフ展』に限らず、順路通りに進めば、最後に民藝関係の作品を鑑賞することになる。すなわち多くの来館者は、民藝関係の作品を最後に鑑賞し、大山崎山荘の往年の姿に思いを馳せながら、その余韻に浸って帰宅の途につくのである。しかし、以上の様な順を辿って鑑賞を終えた来館者の胸には、やがて二つの思いが去来することになるであろう。都会から離れた所で暮らすことの幸せや自然の大切さを感じ、仕事やお金以外にも大事なものがあるのではないか、もっとゆっくり生きていくのも良いのではないかといった思いを最初に抱き、次に、多くの人間関係を断ち切っても生きていけるだけの強さと、好きなことをしていても十分生活していけるだけのお金がなければ、こういう暮らしをすることはできないのだろうなぁと思うのではなかろうか。

関西にはお世辞にも美しいとは言えないような街並みが他の地域より多く存在するが、そんな街並みや生活が筆者は好きだったりもする。商店街や安売りスーパーで買い物している、いわゆる大阪のオバちゃんには民藝運動に勝るとも劣らない美学がある。大量生産品であるからといって卑下することはできないし、それを用いて生活しているからといって人生が貧しいものであるとも限らないのである。しかし、だからこそ大阪と京都の中間地点である大山崎という場所に、山荘美術館のような選択肢が存在することの意味があるのかもしれない。恐らく京阪神で暮らす私達が大山崎で感じるのは、旅行に行った時の解放感ではなく、カントリーライフという選択肢そのものである。山荘美術館に足を運んだ人は、忙しい普段の生活からほんの少しだけ離れた場所に、人間社会とはかけ離れた、時間のゆっくりと流れる生活があることの不思議さを感じ、都会を中心とする自分の日常生活を顧みながら、あまりにも隔絶した二つの生活スタイルについて考えるのではなかろうか。これは旅行では決して感じることのできない感覚である。きっと、こう言ったところに山荘美術館の面白さがある。そして、俗っぽい表現になるかもしれないが、『カントリーライフ展』は、山荘美術館が真っ向から私達に戦いを挑んできている、そんな展覧会なのである。


日々の生活に疲れや迷いを感じたら、大山崎山荘美術館がよく効くことであろう。山荘美術館で是非ともよい答えを見つけ出して欲しい。自戒の念を込めて、自分の人生を決めるのは、自分が何を選択するかである。

text:吉田卓爾

「美しきカントリーライフ ~理想郷への回帰とたびだち~」の展覧会情報はコチラ

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