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沈殿している歴史《聖地チベット −ポタラ宮と天空の至宝−展 レビュー》

2010 年 2 月 28 日 2,315 views No Comment

「まぁ、実際ポタラ宮に行ったら、こんなのそこらへんに転がってるんだけどね」
展示物の仏像を見ながら、一緒に博物館に行った先輩が少し誇らしげに言った。
彼は二年ほど前に、小さなリュックサック一つで、世界各地を放浪してきた男だった。世に言うバックパッカーというやつである。彼は旅中、当然のようにチベットにも訪れ、ポタラ宮に入ったのだ。
彼の話によると、宮殿の中に入るとすぐに、大小様々な無数の壁画と仏像とタンカが待ち構えているのだという。しかもそれは、一万を超える部屋のうちの、公開されている極一部のものに過ぎないのだ。さらに彼は続けた。室内は暗く、目を凝らさなければ何が描かれているのかよく見えない。しかしそうして浮き上がってくるメッセージは精神の奥深いところへ語り掛けて来る。蝋燭の明かりが、仏像たちの横顔を照らし出し、脇では僧侶が祈りを捧げたり諸作業を行っていたりする――。屋上へ抜け、それから紅宮へと進む。迷路のごとく輪廻する回廊をさまよう内に金箔で覆われた荘厳なスチューパ群が現れる。歴代ダライ・ラマらの眠る霊廟だ。もちろん、遺体が中に安置されている。綿密な彫刻、時の輪を表す宗教具、静寂の内に沈黙するしかない……

その話を聞いてしまうと、想像力をかきたてられる反面、少し空しくもなる。展示されている仏像や曼荼羅は、整理されて「展示物」になってしまっているように思えるし、彼の言うような厳かな空気は当然ここにはない。もっともそれは、博物館というシステムの利点でもあり、限界でもある。一応断っておくが、別にぼくはこの企画展について批判しようとしているわけではない。そもそも、現地のポタラ宮と日本の博物館を比較するなどということは、何の意味もなさないし、今回の展覧会がなければチベットの文化遺産に触れる機会は多分なかっただろう。そうではなく、ぼくが今言いたいのは、展示物とは単なる造形物なのではなく、その中には歴史が沈殿していて、そしてそれは、かつてその場所に生きていた人間の営みの証だということである。綺麗に年代別に整理され、ガラスケースの中に納まっている絵画や彫刻を見ると、人はすぐそのことを忘れてしまいがちである。そして気づかぬ内に、ショーウィンドウの中のカバンを見るように、展示物を見てしまっている。とは言え、何を隠そう。こうやって偉そうに書いているぼくだって、彼の言葉を聞くまではそのことを完全に忘れていたのだ。たまたま彼に助けられただけにすぎない。
人は芸術作品や文化遺産と対峙したとき、同時に、歴史とも対峙している。

そういうわけで、少しチベット仏教の歴史を振り返ってみることにする。
チベットがアジアの表舞台に登場するのは、7世紀初め、吐蕃国王ソンツェンガンポの時からだ。チベット高原の諸部族と討伐、服属させることに成功した彼は、中国からは文成公主、ネパールからはティツム王女を降嫁させた。二人の妃は仏教の呼び水となり、チベットに寺院が建立されることとなった。彼はまた、サンスクリット文字を参考にチベット文字を作成させ、仏教経典のチベット語への翻訳の準備をした。その百年後のティソンデツェン王の時にはさらに国力を増し、仏教は正式に国教化され、発展を遂げていくことになった。この間に触れておかなければならないのは、彼の目前で、中国とインドの仏僧との間で交わされた「サムイェの論争」である。論争の結果はインド側の勝利に終わり、以来チベットではインド仏教が正統と認められた。
大きな変動があったのは841年、ランダルマ王の時だ。廃仏派に乗じられた彼は、仏寺を閉鎖するなど廃仏を断行し、チベットにもともとあったボン教を復活させた。王の在位期間は一年と短く、彼の殺害後、二人の子は王位継承をめぐって争う中、それぞれの地方によって王を称し、王国は完全に分裂した。この843年をもって、チベット古代王国は終末を迎える。
その後チベットは群雄割拠の時代に入るが、徐々に各地で仏教再興の運動が始まる。そして11世紀半ば、インドの高僧アティーシャが西チベットに招かれる。彼がこの地で著した『菩提道灯論』は、密教の思想や修行法を統合する役割を果たし、チベット仏教に決定的な方向を与えた。彼の入僧により復興した仏教は、ランダルマ王以前のものと区別して、後伝仏教と呼ばれる。一方インドでは1203年に仏教が滅び、そのこともあり、インド後期密教はさらにチベットに安住の地を見出し、ますます密教色を強めて、チベットにおいて完成されることになった。
というのが、チベット仏教の大まかな流れである。もちろんそれ以後も現代まで、チベット仏教の歴史は続くのだが、その歴史は複雑で、まともに取り組むと非常に話が長くなってしまうので申し訳ないが割愛させていただくことにする。展覧会で販売されている図録に、非常に詳しい記述があるので、余裕があるならぜひ手にとって読んで欲しい。

それにしても、チベット仏教の文化の、なんと豊かなことだろう。現地ポタラ宮とまではいかずとも、会場に足を踏み入れた瞬間、誰もがその仏像やタンカの異様な造形に衝撃を受けるはずだ。もちろん西洋の彫刻や絵画からはほど遠いし、日本の仏像とも全く違う。
例えば、『カーラチャクラ父母仏立像』。カーラチャクラは、インド後期密教最後の経典『カーラチャクラタントラ』の主尊であり、伝説の理想郷シャンバラの教主でもある最強の仏だ。男女が抱き合った姿からなる、その金色の仏像の脇からは、二十四本の手が多種多様な形で飛び出し、四面ずつある仏の表情は、どれも違う表情をしていて見飽きることがない。
例えば、『金剛宝座如来坐像タンカ』。摩訶菩提寺を中心に、様々な仏と仏塔が描かれたそのタンカには、じっと見つめていると、まるで異次元にはまりこんだような、奇妙な、大げさに言えば、錯乱しそうになるような不思議な世界が広がっている。
他にも例を挙げればきりがないが、まさに百聞は一見に如かず。この展覧会に訪れた人は、誰もが、チベットという馴染みの薄い地に、このような強烈で濃縮された文化があることに驚くに違いない。今回の展覧会の展示物は、チベットの広大な文化の中の、ほんのごく一部のものに過ぎない。けれども、そのごく一部だけでも、チベットの文化の豊穣さを類推するには十分だ。なんとなく、無意識のうちにぼくたちは、西洋の彫刻や絵画を本流のものと位置づけがちだ。そしてそれは、ある面では正しいと言えるのかもしれない。けれども、もちろんチベットの文化は西洋の文化には劣るものではないし、むしろぼくたちは、ある種の新鮮さと驚きをもって迎えいれるに違いない。何世紀もの時を経て、チベットの人々の間で脈々と受け継がれ、そして発展・変容していった文化の中には、彼らの生活や歴史が濃縮され、詰め込まれているのだ。それは人間という存在の多様さと、偉大さの証でもある。
今回の展示物はどれも、なかなか実物を目にする機会にめぐまれないような貴重なものばかりなので、是非、訪れてみてほしい。初めて体験するような衝撃を受けるだろうと思う。

ところで、展覧会の帰り際、冒頭に紹介した先輩が冗談交じりでこう言った。
「シンガポールのマーライオンを見て、無料とはいえもう一度見たいと思う者はいないだろうけど、ポタラ宮の至宝に関しては、また朝早くから、寒さの中、長蛇の列に並んで100元を支払っても、10年に一度はあの暗く重みのある空間で再び出会ってみたいね」
彼はアジアからヨーロッパまで世界各地を旅してきたのだが、それでもチベットの文化は別格のものだったという。「10年に一度」という彼の言葉が本当なら、次に彼がチベットを訪れるのは8年後ということになる。その時はぼくも、是非ご一緒させてほしいものだ。

text:浅井佑太

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