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最初のマンガ展―武蔵の品格―《井上雄彦 最後のマンガ展 重版〈大阪版〉 レビュー》

2010 年 2 月 28 日 3,084 views No Comment

今月初め、横綱の朝青龍が現役を引退した。
引退会見で彼自身が述べていた通り、朝青龍は横綱の『品格』というものと常に戦っていたように思う。
また最近ではスノーボードのオリンピック代表である国母選手の服装や発言が批判の的になっている。彼らの言動に見過ごせない部分が少なからずあることは確かであるが、彼らの競技に対する姿勢までも同じ観点で捉えてしまうのは、いささか酷である。誰よりも強くなるために積み重ねてきた努力は、本当の意味を理解しないまま『品格』という言葉を一人歩きさせている下品なマスコミに踏みにじられるようなものでは決してない。かつて中田英寿氏も「国のためではなく自分のために…。」と発言し批判されたことがあるが、将来を担う若い人達の育成や伝統文化の存続・再興等を様々な角度から後押ししようとしている現在の中田氏の言動を見れば当時の批判がいかに的外れなものであったか理解されるであろう。

さて、現在サントリーミュージアム天保山で開催中の『井上雄彦 最後のマンガ展 重版<大阪版>』(以下『最後のマンガ展』と記す)は、一言で言うとマンガ『バガボンド』の番外編のような展覧会である。
一番の見所は井上氏のマンガや絵というものに対する思いや姿勢である。もぎりを済ませた直後、会場に入ってすぐの壁に掛けられた、武蔵を描いた巨大な作品に関連して、ドキュメンタリーを中心とした本展の公式図録は以下のように記している。
「通常のマンガ原稿は、どれだけ表現力豊かに作画をしても、印刷すれば細かな線はつぶれ、墨の濃淡は再現しきれず真っ黒になってしまう。現代の印刷技術を駆使すれば可能なはずの表現も、量とスピードを必要とするマンガ誌では活版印刷が主流なためどうしても白黒二階調の表現に置き換わってしまう。これは、現在のところマンガの宿命であり、それを前提に作画をするのはあらゆるマンガ家に染みついた作法だ。それが今回は、描いたままの絵を『直接』見てもらうことができる。」と。
これは上記の武蔵を描いた作品に限ったことではない。マンガの一ページに見立てて制作された一枚のパネル、すなわちコマ割りの施されたセリフの書き込まれたパネルにおいても、墨の濃淡や細かな線と物語の内容とは絶妙に呼応し合っている。一枚一枚のパネルをマンガと同じように読み進めながらも、マンガを読む時のいつもの感じとは違った心の揺さぶられ方をする。幼稚に例えると、何だか『高級な』マンガを読んでいるような感じで、いつの間にか不思議なマンガの世界に引き込まれてしまうのである。井上氏の絵が大きなキャンバスに描かれているだけであろう、マンガの一部を美術館の壁に掛けているだけの話であろう、といった筆者の予想は見事に覆された。

引用が多くて恐縮であるが図録では「単なる美とか、喜びとか。言葉では伝わらないごく当たり前のことを伝えたいんだと思います。だからこそ、人間の表情を描きたい。絵の説得力を高めたい。僕の武器はそれだけです。言葉で伝わるなら、マンガでなくていい。」という井上氏の言葉が紹介されている。井上氏の言葉は、先に述べた井上氏のマンガや絵というものに対する思いや姿勢も然ることながら、宮本武蔵という人物を主人公として取り上げた『バガボンド』という作品の性質を良く示している。『バガボンド』の宮本武蔵は殆ど言葉を発することはなく、他人に心を開こうとはしない。彼は剣だけで他人と会話しているのである。武蔵ではなく胤舜(いんしゅん)ファンの読者が多いように、『バガボンド』の読者にとって片っ端から人を切り捨てる武蔵は諸手を挙げて好きになれるようなキャラクターではない。しかし一方で武蔵は誰よりも孤独で、誰よりも正直で、誰よりも真剣に生というものと向き合って生きている。上手く説明できないが、この辺のところを井上氏は本展覧会で表現している。展示を全て見終わり、「この『最後のマンガ展』は僕にとって、僕が描いてきた『武蔵』の、人を何十人も斬ってきた人生を、それでも肯定するための機会になると思った。」、「『読み続けてきて良かった』絶対にそう思ってもらいたかった。」、「たとえば人を斬る絵そのものは、絵ではあるが気づかないうちに人の心に傷をつける力があった。」、といった井上氏の言葉を目にした筆者は、『品格』とは何であろうか、改めてそんなことを思った。舌足らずながら、主人公宮本武蔵に対する井上氏の思いや姿勢を具体化した『バガボンド』のアナザーストーリーも本展覧会の見所である。

もう一つ本展覧会の見所として挙げておかなければならないことがある。
それは展示方法である。『最後のマンガ展』は、もともと二次元のものであるマンガの良さ、すなわちコマ割りやセリフの大きさ等を、美術館という三次元の空間内で見事に再構成して表現している。マンガとアニメを比べることはできないが、先日まで兵庫県立美術館で行われていた『ジブリの絵職人 男鹿和雄展』がアニメーション作品の舞台となる背景画等に作品としての価値を認め、いわゆる絵画作品と同じように展示していたのに対し、『最後のマンガ展』では、あくまでもマンガとしての絵というものにこだわって作品を展示している。たとえどこであっても、何を用いていようとも、自分の生み出すものはマンガでなければならない。井上氏のマンガや絵に対する思いや姿勢は会場の空間的な演出にも現れているように思う。井上雄彦ファンや『バガボンド』ファンではなくても美術館に足を運び、三次元的な空間でマンガを表現するために生み出された様々な演出方法を是非とも体験してみて欲しい。

余談であるが、本展覧会は題名の通り2008年5月から7月にかけて東京で行われた『最後のマンガ展』の大阪版である。東京展では延べ十万人を超す来場者数を記録した。会期中は入場制限を行うなどの措置がとられていたようである。東京展ほどではないかもしれないが大阪展も混雑している。筆者は日曜日の11時過ぎに会場に到着したが、入場制限により12時半から13時半までの間の入場に限定されたチケットを購入させられた。近くのお店で食事やショッピングをして過ごすのも良いが、一時間以上の待ち時間があるようなら、サントリーミュージアムから歩いて15分ぐらいの所にある海岸通ギャラリーCASOに足を運んでみてはいかがだろうか。この時期は芸術系の学部・学科を持つ大学が一週間ごとに入れ替り立ち替りCASOで卒業制作展や作品展を行っている。筆者が訪れた時は夙川学院短期大学の美術・デザイン科が卒業・修了制作展を行っていた。個々の作品について述べることはしないが、芸術家の卵達が試行錯誤を凝らして捻り出した作品には良くも悪くも看過できない部分がある。彼等の作品と国立国際美術館で開催中の『絵画の庭展』において展示されている作品との間にはどの様な違いがあるのか、そんなことを考えながら過ごすのも良いかもしれない。案外あっという間に時間が過ぎ、アートな一日になることであろう。

このレビューがアップされる頃にはオリンピックも閉幕する頃であるが、宮本武蔵のように孤独に自分自身と対峙し、相手に向かっていく選手達の姿は予想以上に私達の心の中に刻み込まれていることであろう。日頃他人のちょっとした言動にすぐ腹を立ててしまう筆者は、下品なマスコミと大差ないが、様々な葛藤を持ちながら武蔵という存在と向き合う井上雄彦氏のように、たまには相手が何を言わんとしているのか少し心を落ち着けて考えてみたい。

※『最後のマンガ展』に関する記述において、「」の中に記されている文章及び言葉は、すべて展覧会図録からの引用である。210、220、222、223ページ。

text:吉田卓爾

「井上雄彦 最後のマンガ展 重版〈大阪版〉」の展覧会情報はコチラ

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