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アニメーションの新しい可能性《束芋 断面の世代展 レビュー》

2010 年 1 月 28 日 2,828 views No Comment

アニメーションの国際的なコンペティションの審査員をしたことがある。応募してくる人はやはり若い人が多かったが、興味を引かれたのは若い世代の作品にひとつの傾向があることだった。一つの物語にそってアニメを作るやりかたが一方にあるとすると、若い世代の作品の中にかなりの数、自己をあるいは自分の眼を通してみた社会をアニメーションで表現した作品が多かったことだ。それはひとつにはアニメの制作手段としてのパソコンの急速な普及と誰でもが使える様々な制作ソフトの開発があげられる。絵や文章を書くあるいは写真を撮るという行為と同様に、アニメーションを通して自己をみつめ、あるいは自分が感じた社会や世界を表現しようとしている人が増えているのだ。
現在横浜美術館で開催されている「束芋・断面の世代」展でアニメーション作品から強く感じるのは、やはり作者自身の内面が強く投影されているということだ。「断面の世代」とは「団塊の世代」に対して1970年台生まれを指す名称として作者が勝手につけた名称だという。「団塊の世代」が大きな塊になって世の中を動かすのに対して「断面の世代」は個に執着する世代だと定義づけている。果たして束芋のアニメーションにはどのようなメッセージがこめられているのだろうか。

今回展示されているのは、新聞の連載に挿絵として描かれた百枚近い静止画と、5つの新作アニメーションだ。束芋といえば多くの人が思い出すのはそのデビュー作ともなった「にほんの台所」に代表されるシリーズ作品であろう。今回の新作アニメもまたこの流れの中の一つと考えられるいかにも束芋らしい大胆な作品だ。アニメーションは数台のプロジェクターから複数の面で構成されたスクリーンに投影するというインスタレーション作品として展示されている。その代表作が団地をある断面で切り取った「団断」である。数え切れない人間が狭い空間を薄い壁一枚を隔てて暮らすという、一見あたりまえの事実を作者独特の視点で切り取ろうという意欲作だ。「団断」は3面で構成されたスクリーンに団地の中のある部屋の様子が天井から覗き見るように投射される。部屋の様子が同時に3面のスクリーンに映し出されるので、壁一枚隔てた隣の部屋での出来事を同時に見ることができる。冷蔵庫に入っていく裸の男、トイレの便器で顔を洗う女、洗濯機のなかで回転する男など、次々に流される奇妙な光景。隣の住人が何をしているのか想像の頼りになるのが扉の閉まる音や水が流れる音、あるいはテレビから発せられるといった日常何気なく聞くわずかな物音だ。それを暗示するかのように流される効果音がさらに様々な妄想をかりたてる。
薄い壁ひとつ隔てた隣の部屋で何が行われているのかわからないという不気味さ。それを強烈に印象づける事件が最近マスコミをにぎわしている。死体をばらばらにし部屋に隠していたという殺人事件。そして殺人犯は自分の住むマンションの前で平気な顔をしてテレビのインタビューに応じている。私たちの住むすぐ隣の空間が実は謎だらけの深い闇に包まれた空間になっているという事実。そうした現実を「断面の世代」の作者は極めて個性的なアニメーション作品に仕立てている。

かつて私たちは山や川など多くの自然に包まれ、そこでは一人一人の人間が断絶されることなく暮していた。対峙するのはむしろ自然であり、謎や闇は自然の中に存在していた。森には精霊が住むといわれ、山の頂には神が存在した。一方私たちが暮らす現代の社会。ビルが建ち並ぶ都会にはこのようなかつての闇は存在しない。夜も煌々と明りがともり、すべての事柄は白日の下にあるかのように見える。しかし本当にそうだろうか。どこまでも広がる街の景色、そこには壁で仕切られた無数の空間が存在する。それは誰にも知られずにいる謎と闇に満ちた空間だ。しかもこの誰も知らない空間から一歩も外へ出ることなく、世界中から様々な情報を集め、また情報を発信することもできる。一見それは現代の社会で起きる物事をすべて白日のもとにさらけ出しているかのようにも見える。しかし誰にも知られない空間に住む住人が発する情報は時に仮想の話であり、集まった情報は空想の産物に過ぎないかもしれないのだ。

束芋は団地の前に立ち様々な想像をすることが大好きだという。それは団地の狭い部屋には人々の想像力を喚起する怪しい雰囲気が漂うからであろう。様々な姿をした人間が多様な生活を営んでいる。それを当たり前でなく、そこにこそ想像の原点を見出しているのが束芋をはじめとするアーティスト、すなわち「断面の世代」なのかもしれない。
そして今作者の関心は私たちの実に身近な存在とも言える身体へと向けられている。今回展示された新作アニメーション「ちぎれちぎれ」と「BLOW」だ。「ちぎれちぎれ」は鏡を使い複数の投射面に男の身体の皮膚をはぎ、さらに腕や足を分解して見せるというインスタレーション作品だ。見る人の立ち位置を規定することでさらに作品に深みを与えている。「BLOW」は壁と床に4台のプロジェクターから水中と水面上の光景を同時に投射し、見る人との一体感を生み出す。水中では骨や内臓だったものが水面上に出たとたんそれは花やつぼみに変化する。私たちが普段見ているのは水面上のこの花やつぼみの部分だけであり、水面下で起きているすなわち体の中で起きていることからはあえて眼をそらそうとする。皮膚の内側には血管や内臓が存在すること、そして食べたものがどのように胃から腸へと消化され排出されているのか私たちはその姿を見ずに過ごしているのだ。
  
普段私たちがあたりまえに接している世界は実は良く考えてみると不思議な事実に満ち満ちている。薄い壁一つ隔てられた向こうには知られざる闇が広がっている・・・。この言葉ではなかなか表現しにくい事実を束芋はアニメーションという手段でコミカルにしかも不気味に映像化してみせた。アニメーションの新しい可能性を私たちに見せてくれている。束芋「断面の世代」展は横浜の後、大阪の国立国際美術館へも巡回する。是非世代を越えた多くの人に見てもらいたい展覧会だ。

text:小平信行

「束芋 断面の世代」展の展覧会情報はコチラ



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