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人間を描くということ《THE ハプスブルク展 レビュー》

2010 年 1 月 28 日 2,700 views No Comment

あなたの家では年に何回ぐらい家族写真を撮っているだろうか。
筆者の家では、筆者が子供の頃は、家族の誕生日が訪れる度に、また年中行事の日が訪れる度に必ずといっていいほど家族写真を撮っていたように記憶している。子供の頃は何とも思わず、時には面倒だとさえ思ったが、今は家族写真の大事さが少し分かるような気がする。両親はどんな思いで子供達の誕生日を一緒に祝い、子供達が成長する姿を見守ってくれていたのであろうか。肝心の写真は箪笥の奥で記憶を留めているに過ぎないが、その取留めのない記憶こそが今の自分を支えてくれているような気がする。

さて、現在京都国立博物館で開催されている『THEハプスブルク』展においてハプスブルク家の人々を描いた肖像画は本展覧会の見所の一つである。正直なところ筆者は肖像画があまり好きではない。著名な僧侶達を描いた日本の肖像画もそうであるように、肖像画というものには洋の東西を問わずどこか、権力や象徴、金や暴力、尊厳や差別といったものと結びついている雰囲気がある。加えて、肖像画は非常に個人的な目的のために制作された自己満足の最たるものであるように思われてならない。個人的な目的のために制作された肖像画を赤の他人である自分が見ても面白いわけがない、そんなことを考えてしまうのである。しかし、『THEハプスブルク』展では、解説を頼りにしながらではあるものの、肖像画というものの変遷をヨーロッパにおける絵画の全般的な流れと平行して眺めることができるように作品が選び出されており、肖像画というジャンルを軽蔑する筆者のような人間でも楽しむことができるように展覧会が構成されている。

図録(注1)の解説に頼りながら肖像画の面白さを少し見ていくことにしよう。解説(注2)にある通り、ハンス・ファン・アーヘンによる≪神聖ローマ皇帝ルドルフ2世≫から、18紀、19世紀のハプスブルク家の人々を描いた≪金羊毛騎士団勲章をつけた神聖ローマ皇帝カール6世≫や、ヨーゼフ・ヒッケルによる≪軽騎兵連隊の軍服姿の神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世≫、フランツ・シュロッツベルクによる≪オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世≫への変化は非常に興味深い。
アーヘンによって描かれたルドルフ2世がナスビのような顔の輪郭を持ち、緩やかに膨れた頬と下方に突き出た顎の周りに髭を蓄え、冷徹で人を見下すような少し澱んだ目で鑑賞者を見て、お世辞にもずっと見ていたいとは思えないような顔で表現されているのとは対照的に、カール6世やヨーゼフ2世、フランツ・ヨーゼフ1世等は血色が良く、見栄えのする衣服と豪華な装身具や勲章を身に纏っている。一見すると後者はきらびやかで馴染み易い雰囲気を漂わせているが、反面どこか安っぽいアイドルのようなところがある。それに比べると前者、ルドルフ2世の肖像画は鑑賞者を欺いたり、鑑賞者に媚びへつらったりするところがなく、愛想笑いを浮かべた程度では全く動じないであろうルドルフ2世の威厳がよく表現されている。
後者の理想化された表現は女性達を描いた肖像画、すなわちアンドレス・メラーによる≪11歳のマリア・テレジア≫やフランツ・クサファー・ヴィンターハルターによる≪オーストリア皇妃エリザベート≫においても確認することができる。例えばマリア・テレジアの相貌は非常に美しいが、服から露出した部分、すなわち首から胸にかけての辺りや、腕から手首にかけての辺りには、陰影や凹凸がなく、人間の肉体や皮膚であることを感じさせる表現は全く見られない。また首から下は図形を並べたように描かれており、衣服のしたにある肉体の量感を感じ取ることができない。具体的に言えば肩から腰は鋭角の円錐、腰から下は球体、両腕は円柱を描いているに過ぎないのである。この場合、若い女性の艶やかさを誇張したというよりは歪曲したという方が正しいであろう。歪曲する方法こそ異なるものの、エリザベートの肖像画も同様である。後者に関しては否定的な見方が多くなってしまったが、この様な部分も含めて肖像画は面白い。≪神聖ローマ皇帝ルドルフ2世≫から≪金羊毛騎士団勲章をつけた神聖ローマ皇帝カール6世≫や≪11歳のマリア・テレジア≫へ、さらには≪軽騎兵連隊の軍服姿の神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世≫や≪オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世≫、≪オーストリア皇妃エリザベート≫へと肖像画が変化していく様子からは、絵を描かせる側の、主役であるはずの人達も時代に翻弄されていたことが知れるのである。

いささか文脈が異なるが最後に、本展覧会の一番の見所であるスペインの宮廷画家ベラスケスによる肖像画≪白衣の王女マルガリータ・テレサ≫を見ておこう。
スペイン絵画が本展覧会に出品されている他地域の絵画とどの様な関係のあるのか、またベラスケスという画家がハプスブルク家にとってどの様な存在であったのかについて筆者は全く無知であり、一言も述べることができない。それでも≪白衣の王女マルガリータ・テレサ≫という作品が本展覧会において最も魅力的で重要な作品であることだけは分かる。なぜ魅力的なのか、なぜ重要なのかを説明する手立てを筆者は持っていないし、皆さんにとっては会場に足を運べば分かることなので、本作品に何らかの答えを見出すことはやめておくが、ただ言えることは見れば見るほど面白い作品であるということである。荒い筆遣いが緻密に融合し合い、可愛らしい少女の表情は時に悲しく、時に大人らしく、また時に冷徹にさえ見える。同じくベラスケスの≪皇太子フェリペ・プロスペラ≫も≪白衣の王女マルガリータ・テレサ≫と非常に良く似た作品であるが、両者の間には決定的に違う何かがある。マルガリータ・テレサが背負った人生、彼女や絵画に対する画家ベラスケスの思い入れ、マルガリータ・テレサやベラスケスを取り巻く人々、全てのものが相まって≪白衣の王女マルガリータ・テレサ≫という作品になっているのであろう。宗教画や風景画のように一方的に制作され、また一方的に鑑賞されるようなものではなく、描かれる人物と画家、そして彼らを取り巻く人々をも巻き込んだ複雑な世界を垣間見ることができるものこそ肖像画であり、その魅力なのである。

以上のようなハプスブルク家に伝えられた肖像画の一端を見ていると、肖像画や家族写真というものも案外悪いものではないかもしれない、そんな思いにさせられる。ついつい私達は色んな問題を自分の中だけで解決してしまうことが多いが、私達の想像以上に物事は複雑であり、時の流れが全てを解決してくれるのとは反対に、肖像画や家族写真というものは自分では気付きもしないような、とても解決できないような複雑な物事の様相を、優しく包み込むように記憶してくれる。家族や友人の笑顔の奥に隠された苦労など私達には知る由もないが、ハプスブルク展の肖像画を見て少しでも心が動かされたならば、大事な人と一緒に写真でも撮ってみてはどうだろうか。


(注1)『THEハプスブルク』(展覧会図録) 国立新美術館・京都国立博物館・読売新聞東京本社、2009年。

(注2)同上。35頁。図録の解説を筆者なりに意訳すると、初期の肖像画は君主の権力や威厳を示すためのものであり、ヤーコプ・ザイゼネッガーの≪チロル大公フェルディナントの肖像≫(cat.43)のように、高貴さや尊厳、偉大さや美徳といったものを無理にでもモデルに内在させながら、実際の相貌に基づいて写実的に描くことが求められていた。
一方でハプスブルク家の人々はハンス・ファン・アーヘンによる≪神聖ローマ皇帝ルドルフ2世≫(cat.1)のように、美化された理想的な姿でも、豪華な洋服や表象を纏った姿でもない、ありのままの姿で描かれることを善しとし、ありのままの姿が持つ魅力こそ人々を納得させる力があると信じていた。しかし≪神聖ローマ皇帝ルドルフ2世≫に代表されるようなハプスブルク家独自の観点で描かれた肖像画も18世紀、19世紀になるとすっかり姿を変え、豪華な服や軍服、表象を身に付けるように変化していく。すなわち、『金羊毛騎士団勲章をつけた神聖ローマ皇帝カール6世』(cat.2)や、ヨーゼフ・ヒッケルによる≪軽騎兵連隊の軍服姿の神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世≫(cat.4)、フランツ・シュロッツベルクによる≪オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世≫(cat.6)のように権力を象徴し、高貴さや威厳を誇張して表現する肖像画へと変化してしまったのである。
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text:吉田卓爾

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