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ゆれ動くキャンバス《睡蓮池のほとりにて − モネと須田悦弘、伊藤存展 レビュー》

2009 年 12 月 28 日 2,734 views No Comment

――行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶ泡は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためし無し。
鴨長明は『方丈記』の冒頭で、決して留まることなく移り行く情景を上のように表現してみせた。日本の三大随筆のひとつにも数えられるこの『方丈記』の冒頭部分を暗誦できる人は、決して少なくないだろう。
永遠なるものの内に美を求めた西洋人とは異なり、古来、日本人は移ろい消え行くものの中にこそ美を見出してきた。そのような日本人の趣向は、和歌の中にもはっきりと現れているし、『平家物語』や『徒然草』を仏教的無常観抜きにして語ることはできない。世界は一瞬ごとに生まれ変わり、夢のようにはかなく消えてゆくのだ。

西洋絵画の歴史の中で、それを初めて描こうと試みた一人がクロード・モネだった。彼が光あふれる戸外で見たものは、それまでの絵画に描かれていたものとは全く異なる世界だったに違いない。自然は永遠で不動のものではなく、自然は光と色彩のたわむれの場であり、瞬間的な印象の連続である。彼が表現しようとするものは、そのゆれ動く空気や、絶え間なく変化する光だ。そのために彼はまず暗色をパレットから追放する。明るい色彩がふんだんに用いられ、細かなタッチで並べられた三原色が、光の実在感を描き出す。そうしてキャンバスは、次第に輝きを増してゆく。
とは言え、モネの作品には、日本的な美的感覚とは決定的に違う面がある。彼の作品の多くを共通して貫いているものは、日本的なそれとは違った、どこか楽天的な雰囲気である。『積みわら』や『睡蓮』の連作のように、モネは1つのテーマをさまざまな天候や季節の元で、描き続けることが多かった。そこには移り行く一瞬に儚さではなく、刻々と変化する一瞬を表現しつくそうとする、ファウスト博士のような限りない欲求が感じられる。彼が絵画のうちに試みたことは、まさにその移り行く世界を、キャンバスの中に完全な姿でおさめることだったのかもしれない。

さて、今回の大山崎山荘美術館では、モネが晩年に描いた睡蓮の連作をハイライトとして、須田悦弘と伊藤存による睡蓮をモチーフにした作品が展示されている。須田氏と伊藤氏の作品は、同じ睡蓮をモチーフとしながらも、どこか日本的な、西洋とは違った趣があるので、モネの作品と比べてみても面白いかもしれない。
大山崎山荘美術館は、その名前からも分かる通り、もともとは美術館として建てられたわけではない。昭和初期に実業家加賀正太郎が自らの山荘として設計したこの建物は、67年に彼の手から離れ所有者を転々としたのち、一時は取り壊されそうになったものの、最終的にはアサヒビール運営による私立美術館として保存されることになった。荒廃寸前だった山荘は、安藤忠雄によって修復され、地下には円形のギャラリーが新設されている。
山荘というだけに、入り口の門をくぐると、美術館に通じる静かな小道が続き、頭上では紅葉やイチョウといった木々の色づきを楽しむことができる。山荘の中はイギリス風の格調高い様式と調度品で統一されており、外に出ると池には睡蓮が浮かんでいる。その美術館を取り囲む情景には、少しだけモネが晩年過ごした庭園を思わせるものがある。

晩年のモネはセーヌ河畔のジヴェルニーに住まいを構え、そこに庭園を造り上げたという。自宅に引きこもった彼は、その庭園を舞台にして、菖蒲や睡蓮といったモチーフとした多くの絵画を死の直前まで描き続けている。今回見ることが出来る『睡蓮』もそのうちの一部だ。白内障を患い視力が極端に悪化したという理由もあり、その絵画は初期に比べると非常に抽象的で、どこか非現実めいたところがある。

安藤忠雄によって地下に設計された円形のギャラリーに、その『睡蓮』の連作は展示されている。太くしなやかな筆触で描かれた画面は、夢の中の風景のように、曖昧模糊としてぼくたちの目に映るだろう。モネが生涯愛しつづけた、池の水面に浮かぶ美しい睡蓮の姿だ。けれどもその光景は、少し見る位置をずらしただけで、途端にその印象を変えてしまう。少し距離を置いて見れば、画面の筆触は混ざり合い、目に届くころにはぼんやりとした淡い光の束へと変化している。そしてそこから絵のすぐ前まで近づくと、今度はその光は解きほぐされ、力強く厚い筆の動きを確認することができる。そこではもはや、何の予備知識もなしには『睡蓮』というモチーフを見出すことができるか分からないくらいだ。それはあたかも、印象派絵画が、抽象絵画へと変化してしまったような驚きさえ感じさせる。実際、カンディンスキー以降の抽象画を、そこから連想する人がいてもおかしくはないだろう。見る位置を変えるだけで、その画面は全く異なる様子を映し出し、ぼくたちを惑わすのだ。
キャンバスの中に留められた今も、モネの描いた光景は、ゆれ動き続けている。

(参考文献:吉川逸治監修『西洋美術史』)

text:浅井佑太

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