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粋と雅と 《蒔絵の文台・硯・料紙箱 レビュー》

2014 年 2 月 28 日 2,233 views No Comment

1890年(明治23年)に成立した帝室技芸員の制度は、皇室による庇護のもと、優れた美術・工芸作家の制作活動を奨励することを目的として設けられた。この制度は戦後、内閣府と宮内省の改変によって廃止されたが、それまでに日本画、洋画、彫刻、金工、染織、七宝、陶工、漆工、篆刻、建築、写真の各分野から計79名が認定された。そのリストを見てみると、昨年大規模展が行われた竹内栖鳳をはじめ、近代の名立たる作家達が任命されていることが分かる。彼らは古式にならった皇室向けの作品に加え、当時国を挙げて取り組んでいた万国博覧会へ出品するための作品制作も依頼されていた。このような作家の顕彰制度が果たした役割は、やがて現在の文化勲章や重要無形文化財制度、日本芸術院会員などへと引き継がれてゆくことになった。

現在、京都市東山区の清水三年坂美術館では5月18日(日)までの間、漆工の分野において帝室技芸員に任命された作家達による蒔絵作品を中心した特別展が開催されている。蒔絵とは漆で絵や文様を描いた上に金属粉や色粉を蒔くことで定着させる、日本の代表的な漆工加飾技法である。今回の展覧会では硯箱と、それとセットで作られることの多かった文台や料紙箱という比較的大型の漆工品に焦点が当てられており、柴田是真をはじめとする帝室技芸員が手掛けた華麗な、あるいは粋な加飾の世界を鑑賞することができる。

江戸時代の末から明治時代の中頃にかけて活躍した柴田是真は、よく漆芸家であり画家であると評される。若い頃から蒔絵には下絵を描く画技が必要であると考えていた是真は、蒔絵の技術を学ぶかたわら、江戸で円山応挙の流れを汲む鈴木南嶺に弟子入りし、写生画を学んだ。このようにして双方の技術を体得していった是真は、1890年(明治23年)に帝室技芸員の中で唯一、漆工と日本画という2つの分野を併任する作家となった。会場にはその是真による《五節句蒔絵硯箱》が出品されている。

1月7日(人日・七草の節句)、3月3日(上巳・桃の節句)、5月5日(端午・菖蒲の節句)、7月7日(七夕・笹の節句)、9月9日(重用・菊の節句)をまとめて「五節句」と呼ぶ。古くから日本では、季節の節目となる日に様々な祝い事が行われてきた。現在でも馴染みの深い五節句は、江戸時代に幕府によって公的に定められた行事・祝日であった。当時の工芸品の中にはその五節句を主題にし、各行事を象徴する品々を意匠に取り入れたものがしばしば見受けられる。今回出品されている《五節句蒔絵硯箱》もまたその伝統を汲むものであり、東京のサントリー美術館が所蔵する《五節句蒔絵手箱》なども是真による類例として知られている。

五節句の意匠に用いられるモチーフにはこれといった決まりは無いが、《五節句蒔絵硯箱》では手鞠、雛人形、菖蒲、梶の葉、菊がそれぞれの節句を表すものとして、硯箱の蓋表に蒔絵で描かれている。手鞠というと今では通年の遊びのように感じられるが、江戸時代から明治時代にかけてはとりわけ正月の日の遊びとして好まれていた。硯箱の意匠からはそういった当時の世相が窺える。それにしても、ジャンルや季節感の異なる5つのモチーフを蓋表という1つの画面に収める見事さに加え、琳派の作風を思わせるような、蓋甲を高く盛り上げた大胆な形状からは是真らしい感性が読み取れる。同館で昨年開催された印籠展の際にも是真の作品を取り上げたが、そこで目を引いたのもやはり鑑賞者の意表をつく独創的な形や斬新な意匠、構図であった。幕末から明治時代へと移り変わっていく激動の時代の中で、当時の漆工界に大きな足跡を残した是真は、帝室技芸員制度が成立し、任命を受けた翌年の1891年(明治24年)にこの世を去った。近代における漆工芸のその後の動静は、是真の弟子であった池田泰真や、川之辺一朝、白山松哉ら、後任の帝室技芸員に委ねられることになる。

《四君子蒔絵料紙箱》は是真以降4人目の帝室技芸員となった白山松哉の作品である。この料紙箱は本来、文台や硯箱とセットで制作されたとみられており、1904年(明治37年)にアメリカで開催されたセントルイス万国博覧会にも出品されている。「四君子」とは草木における君子として蘭、竹、菊、梅を称えることを言い、中国では宋の時代から画題としても好まれてきた。高貴な香りと優雅な姿を兼ね備えた蘭(春)、酷暑と厳寒に耐えながら青々とした姿を保ち続ける竹(夏)、草木が枯れ始める晩秋に鮮やかに咲き始める菊(秋)、風雪の中で最初に花を咲かせる梅(冬)は、それぞれに高潔であり君子の趣があると考えられてきた。《四君子蒔絵料紙箱》ではそのような4種の草木が蓋表、蓋裏に金銀蒔絵と切金等を駆使し、緻密に蒔かれた梨地(梨の皮のような蒔絵の下地)の上に奥行きを感じるよう巧みに表現されている。白山松哉は伝統的な技巧に優れ、特に精巧繊細な蒔絵表現は当時並ぶ者がいなかったと評される人物であるが、その制作には多くの時間と労力が費やされたことが想像される。松哉が最後に手掛けた《勿来関図硯箱》では、硯箱の内側が完成した段階で本人が亡くなったため、外側の下絵を日本画家の吉川霊華が描き、それをもとに高弟であった守屋松亭が蒔絵を施したことが箱書きの内容から明らかになっている。

柴田是真と同じく江戸の出身であった白山松哉は、制作のかたわら東京美術学校(現東京芸術大学)の漆工科の教授としても活躍し、多くの弟子を輩出した。今回の展示では、先に挙げた守屋松亭との共同制作である《勿来関図硯箱》や《卯の花車蒔絵硯箱》など、ごく一部の作品しか出品されていないが、機会があれば師弟それぞれの作風を見比べてみたい。

東京を中心に帝室技芸員が活躍するのと同じ頃、京都においては豪商三井家などの支援を受けた西村彦兵衛(象彦)らによる製作が行われていた。両者の関係については、以前に取り上げた細見美術館での展示の中で詳しく述べたのでここでは割愛したい。今回、象彦の作品としては《羽衣蒔絵料紙硯箱》と《雪月花蒔絵文台硯箱》の2点が展示されている。《羽衣蒔絵料紙硯箱》は謡曲『羽衣』を意匠化することを得意とした象彦の料紙箱と硯箱の絢爛豪華なセットである。春霞のかかった三保の松原で、1本の松に羽衣が掛かっている様子が蒔絵で描かれ、更に硯箱の蓋表には螺鈿の葦手絵(絵の一部として文字を装飾的に組み込んだもの)で「君・か・代・ハ」「天・乃」と記されている。これは『羽衣』の最後の場面で謡われる「君が代は 天の羽衣 まれに着て 撫づとも尽きぬ 巌ならなむ」を示す。一方、蓋裏には天女が暮らす月宮殿の幻想的な情景が描かれている。黒漆を塗った上に銀蒔絵や金貝(金属の破片)、切金によって文様を表すだけではなく、随所には孔雀石が螺鈿に混じって象嵌されている。象彦の作品に頻繁に見られるこういった鉱石の使用は、三井家が象彦に特別注文をする際に三井鉱山から支給されていた鉱石類の存在と、無関係ではないように思う。

同じく象彦製の《雪月花蒔絵文台硯箱》は、黒漆地を背景に銀色の満月が金色の雲間からのぞくという、色彩的にもインパクトのある文台と、満開を迎えた山中の桜の様子を金や銀の色彩を織り交ぜながら描いた硯箱のセットである。満月の部分の下地には漆工の盛り上げ技法が使われ、その上に薄い銀板が貼られており、立体的に浮き出て見える。外面に山や桜樹、雲霞が表現された硯箱の内部には筏流しの文様が描かれ、硯が置かれた身の中央部には雪の輪をイメージした銀製の水滴(水差し)を配すことで、「雪月花」を表している。シンプルなデザインでありながら金、銀、青金(金と銀の合金)、切金等を使い分けて微妙な色彩変化を表現し、細部にまで入念に手を入れた格調高い作品と言える。日本において、『万葉集』の中にその初出が確認される雪月花は、四季折々の風物やそれらを愛でる気持ちを表す言葉として定着し、時代が下るとともに《雪月花蒔絵文台硯箱》に見られるような「雪・月・桜」の組み合わせとしても理解されるようになった。

最後に取り上げる《平目地菊蒔絵文台硯箱》は、多種多様の菊模様が背景部分を覆い尽くすように描き込まれた華やかな作品である。その雰囲気は以前に見た象彦製の《菊尽蒔絵高杯》(北三井家旧蔵)を彷彿とさせるが、作者を示す銘がこの作品には確認されていない。会場にはこの文台や硯箱のように、無銘の作品が6点ほど出品されていた。帝室技芸員制度が成立し、徐々に作家としての意識が浸透していった時代であったとはいえ、依然として一筋縄ではいかない作品も多いように感じられた。

参考文献:「江戸の粋・明治の技—柴田是真の漆×絵」展 図録、「華麗なる〈京蒔絵〉—三井家と象彦漆器—」展 図録
   

text:上田祥悟

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