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使う器から見る器へ《隠﨑隆一 事に仕えて レビュー》

2014 年 2 月 28 日 2,774 views No Comment

展覧会場に入ってまず目につくのが《ZOI》というタイトルがついた作品だ。高さは1メートル近くあり、黒く細いくねった管が蛇の首のように立ちあがった形が印象的だ。果たしてこれは器なのか、オブジェなのか。タイトルからは想像できないが、よく見ると上部に口があり、花器という見方もできる。

《備前三足花器》は黒い焼き締めの高さ30センチあまりの小ぶりの作品だが、手を腰にあててあたかもダンスをする女性のようだ。同名の5個組の作品は5人の太ったおばさんが会話をしているようにもみえる。これらの作品は用を離れ、造形性に富んだあたかも「見る器」のようでもある。

備前焼の伝統を背負いつつ、新しい造形を追求する陶芸家、隠崎隆一の個展が2014年3月30日(日)まで、東京の菊池寛実記念 智美術館で開かれている。智美術館は独特の展示方法で主に焼きものを展示するユニークな美術館だ。特に照明には凝っており、大きな薄暗い空間に並べられた作品は、一点一点が陰影を生み出し、独特の展示風景を作り出している。冒頭にも紹介した高さが1メートル近い今回の個展の目玉作品ともいえる《ZOI》や、《ファランクス》と名付けられたオブジェなどが、広大な展示室にスポット照明で並んだ光景はどこか空想の世界に連れていかれたかのようだ。

隠崎隆一は1950年長崎県生まれ、グラフィックデザインを学び、一時はデザイン会社勤務を経て陶芸家になった異色の経歴の持ち主だ。今回の展覧会では1980年代の修業時代の作品から近作まで55点を見ることができ、30年近い隠崎の陶芸の世界の変遷を垣間見ることができる。

1983年、まだ修業時代に制作された《広口花器》。大きな口と丸みを帯びた形態は、使うための器に独創性を出そうとする隠崎の当時の焼き物への思いが感じられる作品だ。それが1990年代に入ると造形性の高い彫刻的な作品が増えてくる。高さ50センチほどの黒い蝶の羽のような形が印象的なシリーズ作品《ファランクス》はその代表作だ。そして2010年以降再び、器へと回帰していく。しかし戻った先は使うことが主目的ではない器、「見る器」なのだ。

焼き物の大きな宿命の一つが、器としての機能を持たせるか、オブジェすなわち造形性を追求した作品を目指すのかという大きな分かれ道があることだ。器に必要なものは口だ。口を作れば器、閉じてしまえばオブジェなのだが、器には使いやすさ、すなわち用の美という制約もある。器という機能を持たせながら、そこに作り手の思いを表現することは並大抵ではない。

器という概念ではない作品で勝負しようというのが、オブジェ焼きという考え方だ。オブジェ焼きが世の中に知れわたるようになったのは、1948年に八木一夫らが作った前衛陶芸家の集団「走泥社」の発足だった。用を離れ、抽象的な造形を目指し、新しい文化を創造しようという気運で発足したものだった。中心人物だった八木一夫の作り出した作品を見ると新しい形を生み出そうとする産みの苦しみのようなものすら感じさせられる。

こうした中、伝統的な用の美でもなく、前衛的な抽象形態を求めるのでもない、新たな動きが注目されてきた。器という大前提に立ってはいるが、使いやすさという制約から解放され、見ることを主眼に据えた陶芸の世界だ。オブジェ焼きに象徴される前衛陶芸とも異なり、さりとて用の美を追求するでもない「見る器」の世界を創出しようという陶芸家たちの活躍である。隠崎の作品もまた「見る器」の世界を垣間見せてくれる。

隠崎の「見る器」を特徴づけているのが土である。備前では昔から「田土」と呼ばれる良質な粘土が使われてきた。伝統的な備前焼の独特の風合いはこの土地で採れる良質の土を使い、釉薬なしで焼き締めるという方法で作られたものだが、近年その土が枯渇の危機にさらされているという。隠崎が最近使うのが「混淆土」と呼ばれる土だ。「混淆土」とは「田土」を採取する際、捨てられてきたクズ土を寄せ集めたものである。

釉薬は原則使わず、焼き締めで作られる備前焼では焼成の際にできる窯変や緋色、胡麻など様々な景色がきわめて重要な要素となる。隠崎の作品も穴窯、登り窯、そして電気窯と様々な手法で焼かれ、特に「混淆土」を使った近作には景色が強調され印象的だ。

最近の隠崎の「見る器」を代表するのが、今回大きなS字型の展示台で紹介されている混淆という意味の《UNA MISTURA》と名付けられた15点ほどの作品だ。隠崎はこのシリーズ作品について「枯渇しかかっている備前の土とどうかかわるか、その実験的な試み」と語っている(図録より)。

焼成前の「混淆土」を見ると様々な種類の土が混ざっていることがよくわかる。それを使って焼いた作品には備前焼独特の窯変や緋色といった景色が浮かび上がると同時に、器体全体にひびが入り、荒々しい独特の風合いを醸し出している。隠崎はこうした土を「ポテンシャルの高い陶土」と呼んでいるが、土が持つ力は陶芸家にとって新しい造形を生み出すことに大きな力を与えているのである。

《UNA MISTURA》というタイトルに分類された作品には花器や皿、壺、碗などという名前が付き、オブジェではなく器であるのだが、それらは実際に使うことを離れ明らかに見ることに主眼を置いた造形性をはらんでいるのである。

長さが30センチ以上あるレンガを連想させる《長方皿》。一枚ずつ見るよりも重ねられた姿は圧巻だ。《灰釉六角皿》という6枚の角皿。いずれも電気窯で焼成されたものだが、「混淆土」という特性が生み出した枯れた風合いと、皿の中心だけにかけた灰釉がかもしだす独特のデザイン性が印象的だ。そして何よりも注目すべきは、こうした皿が用という観点を離れて見事な造形性を生み出しており、使いやすさという縛りからするりと抜け出ていることだ。

隠崎の「見る器」の極地は茶碗や茶器、香炉などの茶道具に見ることができる。制約の多い茶の湯の世界に新しい造形性を持ち込んだ作品を生み出しているのだ。いずれもその表面には数種類の土「混淆土」を使うことから生じる不思議な文様が浮かび上がり、現代陶芸の先端を行くモダンな作品だ。

内側だけに独特の緑がはえる織部釉をたっぷりとかけた茶わんや、ふたの部分がメタルかと思わせるような釉薬の効果を活かした香炉などは、備前の伝統をふまえつつ新たな「見る器」の世界を作り出している。

実は以前、同じ智美術館で開かれた『現代の茶・造形の自由』という現代陶芸の展覧会でも注目されたのが、隠崎隆一の《結界》と呼ばれる茶道具だ。《結界》とはこの世とあの世をわける境界線と解釈されているが、茶の湯の世界では仕切りのような役割を果たす。

今回の展覧会では2年前に制作された《結界》が展示されている。厚さ数センチはあろうか、四角く縁どられた部分と荒々しく割れた裂け目、一部に釉薬を使って光沢を出し、また一部には穴があいた長さ60センチ近い土の壁のような存在感のある作品だ。隠崎の《結界》を茶の席にどう採り入れるのか、当時の館長の林屋晴三氏は次のように述べている。
「座敷ではこの《結界》を充分に活かすことはできない。黒光りした板の間に置いて風呂、釜、水差と取り合わせてみたいと思うがこの重厚な作品取り合わせる茶具も新たに創作しなければならないであろう。」

伝統の備前焼を受け継ぎ、あくまで工芸という領域に踏みとどまりながら、革新的な美を創造しようとする隠崎隆一。生まれが長崎というまったく別の土地で育ち、陶芸の世界とは別の分野で活躍してきたからこそできる技なのかもしれない。

参考文献:展覧会図録 ほか


text:小平信行


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