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余白の美学《ターナー展 レビュー》

2013 年 12 月 27 日 2,960 views No Comment

中国の南宋時代の宮廷画家 梁楷(りょうかい)が描いた水墨画に《雪景山水図》というのがある。大きな雪山が画面一杯に描かれている。山のふもとには蛇行する川が描かれ、河畔には雪をかぶった木、その前を驢馬に乗った小さな人物。雪山の大きさに比べてなんと人間の小さいことか。それでも雪原を行く驢馬と人物は実に印象深い。画面のほとんどは山の斜面でなにも描かれていないように見えるが、実はこの広大な余白が大きな意味を持っている。人間の存在の小ささと自然の大きさとを見事にこの余白が語っているのだ。

「余白の美」という言葉がある。長谷川等伯の松林図屏風などはこの余白の美を見事に表現した代表作だろう。この余白を感じさせる西洋の画家が18世紀後半から19世紀にかけて活躍したイギリスの風景画家ターナーだ。

ターナーが生涯にわたって最もこだわったテーマが海だ。60歳頃の水彩画《日の出》。海に昇る日の出の瞬間を描いたものだが、描かれているのは、はるかな水平線に上る白い太陽と大きく広がる海と空だけ。赤と青、黄色の淡い水彩で描かれた茫洋とした光景は自然の大きさを見事に表現している。

英国のテート美術館所蔵の世界最大とも言われる2万点にのぼるターナー作品の中から10のテーマにそって110点あまりを展示する展覧会が神戸市立博物館で1月11日(土)から開催される(東京展は終了)。

生まれ故郷のロンドン近郊の絵はもちろん、英国各地やイタリアをはじめとしたヨーロッパ各地の風景を水彩画でスケッチした多くの絵は、湿潤な大気の動きや光の表情を見事にとらえている。

それらは水をたっぷり含んだ筆で絵の具をたらし、絵の具の重なりやにじみの効果を巧みに活かしたもので、後に登場する印象派の絵を思わせる。ターナーの絵には明治の日本画家、竹内栖鳳ら多くの日本人が関心を寄せていたというが、こうしたターナーの絵はいったいどのようにして誕生したのだろか。

第1章「初期」と題された15点を見ると自画像から始まり、生誕の地ロンドン近郊の緑豊かな川や丘を描いた風景画や、大聖堂の内部を差し込む光線を巧みにとらえて描いた水彩画に交じって、海の光景をダイナミックに描いた油彩画が印象的だ。

初期の作品の中で生涯にわたってターナーのこだわりが感じさせる一枚が1803年頃に描いたとされる《嵐の近づく海景》だろう。空には渦巻く黒雲、白い波頭がたつ荒れた海を一隻の漁船がいく。風にはらんだ帆をあやつる漁師の姿が小さいながらも実にリアルに印象的に描かれている。こうした海を舞台にしたドラマティックなシーンを描いた絵が以後ターナーの絵の一つの大きな流れとなる。

ターナーの絵の特徴は実際におきた事件や災害などをテーマにしたものが多い。1810年に発表されたアルプス山中で起きた雪崩に題材を得た《グリゾン州の雪崩》もそうした一枚だ。ターナーはこの絵を描く前にアルプスの山奥に行き、氷河を目の当たりにしたという。その時の感動をもとに山小屋をも巻き込んだ25名の人命が失われた雪崩の瞬間を油彩で描いた。ターナーは自ら雪崩を目撃したわけではなく、話に聞いた災害を独自の方法でキャンバスの上に記録したのだ。厚塗りでパレットナイフを多用した技法で自然の美しさばかりでなく恐ろしさもあますところなく伝えている。

ターナーの生きた時代、英国はナポレオンがおこした戦争に巻き込まれた不穏な時代でもあった。ターナーも新聞を読みふけり戦争にも大きな関心を示し、英国海軍の戦力を誇示するような絵も残している。

その一枚が1808年に発表された《スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船》だ。ターナーは実際に港にでかけ、戦いに敗れ英国の港に曳航されたデンマークの帆船をスケッチブックに描いたという。大きさ2メートル近い大作で、荒れる海、渦巻く雲などが描かれ実にターナー的な絵なのだが、驚かされるのが港で目にした船の外観や色彩など細かいディテールまで克明に描かれていることだ。例えば帆船に掲げられた国旗。よく見ると英国が上、デンマークが下に描かれている。これは戦勝国が上、敗戦国が下という慣例に基づいたものだという。時事問題を扱うターナーの執念のようなものすら感じさせる作品だ。

一方で牧歌的な田園風景も多く描いている。特に1805年以降テームズ川の河畔にアトリエを構えたころの作品は、いかにも英国的なのどかな自然の風景を、水彩や油彩で描いている。中には鍛冶屋の店先を描いたターナーにしては珍しい風俗画もあり、当時のフランドルの画家と張り合うような絵も残している。

1819年初めてのイタリア旅行以後、ターナーはフランスやスイスなどヨーロッパ各地を訪れた。その際常に手にしていたのがスケッチブックだ。道中で遭遇した様々な出来事や目の当たりにした風景、事件、事故をいわば日記のように水彩でスケッチした。
今回の展覧会でも第7章「ヨーロッパ大陸への旅行」でフランスやスイス、ドイツなどで描いた水彩画が紹介されている。

その中にスイスを旅したときに描いたルツェルン湖の水彩画シリーズがある。ターナーは多くの習作をこの地で描いているが、いずれもそれまでのドラマティックな描き方とは大きく異なる。にじませた水彩絵の具で描いた湖の光景はさながら墨絵の世界を思わせ、ターナーが抱いていた関心が日の出、夕景、月の出、嵐、雲など気象条件で大きく変化する山や湖の様子だったことがうかがえる。そしてそこには大きな余白が登場するのである。

実はこうしたターナーの水彩画の背景には、1820年代後半から行っていた一つの実験があった。「カラービギニング」あるいは「色彩と雰囲気をめぐる実験」と呼ばれる一連の水彩による習作である。

鉛筆で描いたスケッチと水彩による完成作のちょうど中間に位置するもので、いずれもターナー自らは展覧会に出す予定も、人に見せるつもりもなかったらしい。そんなスケッチ風の絵が今回の展覧会でおよそ8点余りを見ることができる。

タイトルに地名が付いているものもあり、雲や林の一部らしきものが見て取れとれる絵もないことはないが、これらの一連の習作は具体的な何かを描くというよりも、色と色の重なりによる効果や、色の配置のもたらす印象を確認するために描かれたものだった。絵の具をたらしたり、刷り込んだりといった新しい描き方も取り入れられており、見る人にどのような印象を与えるのかを探求していたのだ。

その中の一枚に「城」という作品がある。青味がかった空と黄色い大地。何かの建物が描かれる部分は色を塗らずに残している。そしてオックスフォードの近郊を描いた《ノース・ヒンクシーよりオックスフォードを望む》にはわずかに森らしきものが描かれるが、画面の大部分は空と大地で、色の配置による表現の可能性を確かめていたかのようだ。

こうした色の実験を重ねた結果、描かれたのがターナー晩年の海景画だ。冒頭に紹介した《日の出》もその一枚だが、この時代のターナーの絵は初期のころに描かれた海の光景と比べると明らかな違いがある。それは雲や船、人物など物の輪郭があいまいになり、抽象化されていることだ。

そうした一枚が1845年にアカデミー展に出展した《捕鯨船員たち》だ。画面の半分以上を占める筆跡がくっきり残った白く濁った空。そして荒れる海に翻弄されながら鯨と格闘する漁船員の姿。

捕鯨の様子を現実に即して描いたものだが、激しく流れる雲も荒れる波もどこか抽象化されている。リアルに描こうとするよりはむしろ「カラービギニング」で実験した色の配置を巧みに活かした描き方で、なおかつ海も人物も確かな存在感を感じさせる。

大きな自然の前では小さな存在でしかない人間の姿を、画面全体を占める空や海、そして点のように小さくかすんで見える人物や動物といった組み合わせで表現した描き方はターナーの後期から晩年の絵に多くみられる。そしてこうした組み合わせはあの水墨画に描かれた雪の山とそのふもとを歩く馬と人の姿を連想させるのだ。

ターナーの絵は夏目漱石や竹内栖鳳など多くの日本人が多大な関心をもち、あこがれてきた。それはもしかしたら具体的な出来事を抽象化し、見る人の想像力にゆだねる余白の美学を巧みに利用した描き方に共感していたのではないかとさえ思えてくる。

参考文献:展覧会図録


text:小平信行


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