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アウラという毒《ボルゲーゼ美術館展 レビュー》

2009 年 11 月 27 日 3,382 views No Comment

クラリネットの上昇が導く官能的な旋律と同時に幕は開ける。舞台はヘロデの宮殿の広大なテラス、空には妖しく輝く満月。若いシリア人が驚嘆する、
 ――こよいはなんとお美しいことだ、サロメ女王は! (西村孝次訳)

R.シュトラウスの傑作、楽劇『サロメ』の冒頭である。『サロメ』が初演されたのは1905年。
オスカー・ワイルドの戯曲を台本として作曲されたこのオペラは、当時の社会に一大センセーションを巻き起こすことになる。
シュトラウスの纏わりつくようにエロチックな音楽はもとより、血の滴る洗礼者ヨハネの生首に口付けし、恍惚とした表情を浮かべるサロメの姿は、当時の市民には受け入れがたいものだったのだ。


福音書によると、キリストに洗礼を受けたヨハネは放浪の後、領主ヘロデの結婚を非難したため捕らえられ、
首をはねて処刑されたとされている。ここで登場するのがサロメだ(福音書では単に、ヘロデの妻、ヘロデヤの娘とされている)。
ヘロデの誕生日の祝いに、サロメが踊りを披露してみせる。するとヘロデは言う。

 ――踊りの礼として、汝の望む品を、なんなりと与えよう。
 サロメは答える。
 ――洗礼者ヨハネの首を、盆に載せて持ってきて頂きたく存じます。

ヘロデはヨハネを殺したくはない。彼を預言者と信じる群衆の怒りを恐れているのだ。
けれども衆人の手前、ヘロデは約束を反故にするわけにもいかず、結局サロメの願いは聞き届けられる。
こうしてヨハネは斬首され、命を落とすことになる。


このエピソードを本格的に世に知らしめたのが、前述したワイルドの戯曲であり、シュトラウスの楽劇であるのだが(接吻のシーンはワイルドの創作である)、絵画の世界では「サロメ」と「洗礼者ヨハネ」は重要なモチーフの一つである。
例えば、サロメ。16世紀前半にはすでに、ティツィアーノがヨハネの首を抱えたサロメを題材としているし、象徴主義を代表する画家ギュスターヴ・モローは、サロメの絵画を連作している。
さらにクリムトの『ユディトI』も、実はサロメを描いたものではないかと言われている。
サロメは20世紀以降、ファム・ファタル(運命の女)としてその名を世に知らしめ、特に19世紀末から20世紀初め頃の世紀末芸術において好んで取り上げられてきたのだ。
それに対して洗礼者ヨハネを題材とした絵画は、古来宗教画の題材として多く用いられてきた。
よく言われるように宗教画には型があり、ある程度その描かれ方には決まりがある。
一般にヨハネは美術において二つの異なった姿で表現されることが多い。
一つは聖家族の中で幼な子イエスより少し年上の幼児として(例えばラファエロの美しき女庭師)、
もう一つは成人し、やせ衰え、髪とひげを長く伸ばした苦行者として――。

さて、今回のボルゲーゼ美術館展でも、ヨハネを題材とした絵画を見ることができる。
カラバッジョの『洗礼者ヨハネ』だ。このヨハネは先に挙げた二つの姿であえて分類するならば、後者の側だろう。けれどもこの絵の中のヨハネに、苦行者としての面影はどこにもない。
その差は一般的な他のヨハネを題材とした絵画と比べても、一目瞭然だ。
暗褐色に抑えられた背景の中から、薄っすらと光を帯びて浮かび上がるその男は、真紅の祭壇布にゆったりと腰掛けている。肉付きのよい裸体をさらけ出し、気だるそうな瞳でこちらを見つめるヨハネは、若々しく、まるで誘惑者のようだ。(余談だが、少しでも美術に詳しい方なら、同じような官能的なヨハネ像に、ダ・ヴィンチの作品を思い出すかもしれない)
この絵を見て、ヨハネの中に苦行者としての姿を見る人はいないだろう。そこに座っているのは、ひとりの美しい青年であり、妖しい誘惑者の姿である。
カラバッジョの強烈すぎた表現や、聖なる人物を市井の人間と同列のレベルに見る精神に対しては、当時から批判があったと言われている。そのためもあってか、彼の芸術の価値はおとしめられ、やがてカトリック国では A. カラッチ、ベルニーニらの芸術が正統と見なされるようになったこともあり、20世紀になるまでカラバッジョが省みられることは少なかったらしい。
それでもシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿が彼の芸術を熱烈に支持したため、彼の作品はボルゲーゼ美術館のコレクションに収容され、私たちは幸運にもこうしてこの傑作を見ることができる。そうしてこの絵を見た人々は、思わず、一種の畏怖や崇敬の念を感じるに違いない。


ドイツの思想家、ヴァルター・ベンヤミンは、優れた芸術作品を見たときに人々が感じる、そのような畏敬の念のことを「アウラ」と表現した。ベンヤミンの思想をここで深く論じるつもりはないが、(興味のある方は『複製技術時代の芸術』を参照してほしい)彼によれば、芸術作品には「展示価値」の他に「礼拝価値」が存在しており、簡単に言えば、その作品が「いま」「ここに」しかないという一回性が、その作品の煌々とした輝きを保証しているというのである。
今回の展覧会のように海外の作品が毎年日本に運ばれ、写真やインターネットの技術が発達した現代では、そのことは少し理解しにくいかもしれない。ぼくたちは書籍であれ、インターネットであれ、簡単に作品の姿を知ることができるからだ。けれども、昔の人々はそうではなかった。例えばベルニーニの『聖テレジアの法悦』を見るためには、当時の人々は、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア聖堂にまで出向くしかなかったのだ。それは単なる芸術体験を超えた、一種の宗教的儀式であったに違いない。人々は芸術作品をまさに神のように崇め、感嘆の息をもらしたことであろう。そしてその体験は、失われつつはあるかもしれないが、現代でもなくなってはいない。

このアウラについて、大学の教授がこんなことを話していたのを、ぼくはよく覚えている。
――美術館っていうのは、ぼくたちと芸術作品とを隔離してくれるためにあるんですよ。例えば自分の家に、ツタンカーメンの仮面があると考えて下さい。そんなものと、毎日一対一で顔を合わせていたら、絶対気が狂ってしまいます。

彼によれば、優れた芸術作品はみな毒気を持っており、例えば博物館の展示にガラスケースで覆いがされているのにも、しっかりと意味があるのだという。少し大げさな表現かもしれないが、ぼくには彼の言うことがよく分かる。芸術作品には、人の運命を狂わせてしまうような、一種呪いのようなものを持っているのだ。実際、破滅や破産に追いやられた、芸術作品の蒐集家は数多く存在している。


ところでカラバッジョは数ある画家の中でも数奇な運命を辿った人である。
彼は1590年ごろにローマを訪れそこで名声を得るものの、1606年に友人を殺害し、極刑を宣告されたため、ローマから逃れることとなる。カラバッジョは教皇の赦免を求めて、この『洗礼者ヨハネ』を抱え船に乗り、再びローマへと向かうのだが、途中身柄を拘束され絵画も取り上げられてしまう。そしてその後解放された彼は、ポルト・エルコレまで歩き、その地で息を引き取ったのだと言われている。この場合、芸術作品のもつ毒気にやられたのは、作者のカラバッジョ自身だったのかもしれない。

text:浅井佑太

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《関連書籍》
カラヴァッジョへの旅―天才画家の光と闇 (角川選書)
消えたカラヴァッジョ


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