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遊びをせんとや生まれけむ 《特別展観  遊び レビュー》

2013 年 8 月 28 日 2,129 views No Comment

遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子どもの声聞けば、わが身さへこそ動がるれ。平安時代後期、後白河法皇の編纂とされる今様歌謡集「梁塵秘抄」の一節として知られるこの歌は、昨年放送されたNHKの大河ドラマ「平清盛」でもメインテーマとして扱われ、話題となった。この歌の解釈には諸説あり、わが身を遊女とみて自身の罪業の深さを悔根した歌とするものもあるが、「平清盛」の劇中では子どもが遊ぶように夢中で生きたいという意に捉え、栄華を極めた清盛の生き様を象徴する歌として登場していた。何れの解釈にせよ、無心に遊んでいる子供の声を聞いた大人達が自身の心身を揺さぶられるほどの衝動に駆られた点は共通している。

今年の夏、京都国立博物館では「遊び」にテーマを置いた特別展観が7月13日から8月25日まで開催されていた。夏休み期間中の開催ということもあって、会場には本展のワークシートを手にした家族連れの姿も見受けられた。また「平清盛」で崇徳院役を演じた井浦新氏を交えつつ展覧会の見どころを紹介するトークイベントなども開催され、人気を博していた。展示会場は全9章で構成されており、時代もジャンルも様々な美術・工芸品、約130点の中に表現された「遊び」の姿を鑑賞することができた。


「遊び」は私たちにとって非常に身近で親しみのある言葉であるが、そこに含まれる意味は広範囲にわたっている。このことは今回の展覧会が9つもの章からなっていることからも窺える。日常的な生活から心身を解放し、別天地に身をゆだねて充足を得ることが「遊び」の目的であり、古くは神々へ捧げられた神遊(神楽)に見られるように、もともとそこには神事としての歌や踊り、遊宴といった意味があったとされている。石川県の和田山古墳から出土した《鈴釧》は青銅の腕輪であるが、周縁に9つの鈴を持つ。当時既に神楽のような舞踏が行われており、その際に身に付けて振り鳴らしていたものと考えられている。普段聞き慣れない金属製の鈴の音は人々にとって新鮮であり、非日常の領域であることを示す合図となっていたのかもしれない。

良い音を奏でることで飢えや病をもたらす悪霊を追い払い、神々を喜ばせて平安を祈った神遊びは、やがて宮中で催される管弦の宴などのように人々が楽しむため「遊び」へと変化していくが、このことは神仏を詣でる巡礼のあり方にも影響を与えた。《天橋立・住吉社遊楽図屏風》は江戸時代に描かれた八曲一双の屏風作品である。丹後の天橋立、摂津の住吉大社という信仰上の二大聖地をそれぞれ描くが、肝心の寺社は画面の端に押しやられており、参詣する人々の行列とその道中に立ち並ぶ商店や屋形船が絵の中心となっている。全体に金地が施された画面の至る所では酒宴が開かれ、人の輪の中で踊る者や酔いつぶれて両脇から抱えられている者など人々の楽しげな様子が描かれている。ここからは寺社への参詣の道すがら、人々が物見遊山を兼ねていたことが読み取れる。

遊山という言葉は文字通り山野に遊び出ることを言い、現代でも多くの人が花見や紅葉狩りをしに屋外へと出かけていく。普段の生活から離れた先で感じる四季の移ろいに昔から人々は心を震わせてきた。桜と紅葉を1つの器の中に描いた《色絵銹絵桜楓文大鉢》は幕末に活躍した京焼の名工・仁阿弥道八の手による作品である。季節感の異なる桜と紅葉の文様を共に配した華やかで美しい文様は雲錦手(うんきんで)と呼ばれ、道八が考案し尾形乾山なども作品の意匠として取り入れた。

雲錦手という名は古今和歌集の中で柿本人麻呂が吉野山の桜を「雲の如し」と喩え、ならの帝なる人物が竜田川の紅葉を「錦の如し」と喩えたという記述に由来する。ならの帝の御歌とされるのは「竜田川 もみぢみだれて 流るめり 渡らば錦 なかや絶えなむ」(竜田川は様々な色の紅葉が入り乱れて流れているように見える。もしそこを渡れば、その錦の帯は途中で断ち切れてしまうだろう)というものであることがはっきりしている。一方、柿本人麻呂が吉野の桜のことを詠んだ歌は残念ながら確認されていない。

《色絵銹絵桜楓文大鉢》の作者である仁阿弥道八は当時流行していた中国趣味に傾倒せず、温和で純日本的な作風で一家を成した人物とされている。 雲錦手の意匠はまさにその代表例であると言える。道八の作風は各藩で作られていた御庭焼にも影響を与え、自らも各地の藩窯に足を運んでいる。《色絵銹絵桜楓文大鉢》の高台には「讃窯」の印があり、これによって道八が讃岐高松の松平家に招聘された際に現地で焼かれたものであることが分かる。


中国で好まれ、日本でも広く描かれた画題の1つに琴棋書画がある。手を使う四つの芸である琴・囲碁・書道・絵画を極めつつ、それらを生活の糧としないことは東洋における文人の理想の姿とされてきた。そして同好の士と諸芸を競い合うなかで、知性を磨く清遊の世界が形作られた。掛け物や襖絵、屏風絵の題材として琴棋書画が盛んに描かれるようになるのは日本では室町時代以降のことである。

円山派の祖として江戸時代の中期に活躍した円山応挙による《唐子遊図襖》は、4面の襖に中国風の髪型や身なりをした子供達(唐子)が無邪気に遊ぶ様子を琴棋書画の図に見立てて描いた作品である。囲碁をしている机に頭をぶつける子や、他の子供が琴を弾くのを邪魔する子などが可愛らしくもおかしく描かれている。知識人のたしなみを幼い子供が行っていることに意外な面白さがある一方で、無心に遊ぶ子供の姿は応挙の繊細な線描と相まって清らかな遊びの世界を感じさせる。

応挙の高弟として知られる長沢芦雪もまた師と同じく唐子と琴棋書画を扱った襖絵を描いている。会場には展示されていないが和歌山県の無量寺に残されている《唐子琴棋書画図》がそれで、応挙の名代として南紀に滞在した際に手掛けた多くの障壁画のうちの1作品である。芦雪が自身の画風を確立していく時期の作品でもあり、機会があればぜひ応挙の作風と見比べてみたい。

芦雪の作品として今回出品されていたのは《群猿・唐子図屏風》である。六曲一双の屏風の左隻にはころころとした子犬と水辺で遊ぶ子供達が、細い筆で淡く繊細に描かれている。それとは対照的に、右隻では画面の半分を占める黒々とした巨大な岩が太い刷毛によって荒々しく描かれ、その岩の上には3匹の猿が互いに背を向けた姿勢で腰かけている。唐子の服や髪留めの紐、岩を這う蔦にさされた朱色もまた墨の濃淡の中でよく映えている。描くモチーフによって筆致を明確に使い分け、画面の中に極端な大小を配置し、黒や白といった色彩で鮮やかに対比させる手法は、師である応挙から離れて独自の境地に至った芦雪の画風をよく伝えている。左隻のかわいらしく和やかな絵と右隻の大胆で迫力ある絵の二面性に、思わず見入ってしまった人も多かったのではないだろうか。


京都国立博物館の収蔵品を中心に「遊び」という言葉に焦点を当てた今回の展覧会には、普段はあまり展示されることのないような、一風変わった作品が多く出品されていた。これら作品には現代の「遊び」に対する一般的な認識からは想像もできないような先人たちの思いが込められているのかもしれない。昔の「遊び」の姿を通して遊びとは何かを改めて考えさせられる機会になった。

参考文献:展覧会図録
   

text:上田祥悟

『特別展観  遊び』の展覧会情報はコチラ


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