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コレクションをいかに活かすか《美の響演 関西コレクションズ レビュー》

2013 年 5 月 28 日 2,517 views No Comment

どの美術館にも自慢の所蔵作品というものがあり、それらは多くの観客の目に触れるべく大抵その館の常設展で公開されている。しかしながら企画展に足を運ぶ人は多くても、常設展については一般の観客の関心は薄く、所蔵作品の知名度も高くないというのがほとんどの館の現状であろう。質の高いコレクションが存在しながら、それらが十分目を向けられていないとすればそれはひどくもったいないことだ。しかし、一つの館の所蔵作品だけでは常設展の展示替えをしたとしても見せ方が限られていて、観客の目を引きつけるような新鮮な展示を行うのは難しいのも事実である。展示構成によって作品同士を有機的に結びつけ魅力を引き出して見せるのがキュレーターの仕事とはいえ、いかんせん一つの館の中だけではそのコマ自体が非常に限られている。どうにかして、館の所蔵品の魅力を効果的に伝え、より多くの観客にそれらへの親しみをもってもらうことはできないだろうか?『美の響演 関西コレクションズ』の企画の背景となったのは、そのような問題意識である。

本展では、関西を代表する六つの美術館(大阪市立近代美術館建設準備室、滋賀県立近代美術館、兵庫県立美術館、和歌山県立近代美術館、京都国立近代美術館、国立国際美術館)の主に20世紀以降の欧米美術のコレクションが一堂に集められ、組み合わせて展示されている。一つの館だけでは固定されがちな作品の位置づけを一度ときほぐし、それらの作品間で新たな文脈を生み出すことで、作品の特質をより立体的に示そうというのが本展の試みである。

展示は形式的には欧米の近現代美術史の流れに沿って構成されているが、展覧会の目的はコレクションによって近現代美術史を通観しその展開を理解してもらうことではない。企画者側も認めているように、もとより約80点の出展作品のみで近現代美術史をさらいきれるわけもない。展覧会の目的はコレクションの魅力を効果的に伝えることであり、歴史の流れに沿った構成は作家の系譜や作品同士のつながりを明確に示すためのものと捉えるべきだろう。主役はあくまで作品自体である。

作品は六つの館のコレクションが集まっているだけあって、「20世紀初頭のセザンヌ、ピカソ、マティス、ブランクーシらの名品から、ロスコ、ルイス、ウォーホルらのアメリカ美術、そして現在活躍するリヒターやタイマンスにいたるまで」(本展図録より)見応えのあるものが数多く出展されている。


会場に入ってすぐの部屋には、セザンヌ、ピカソ、マティス、カンディンスキーと美術になじみのない人でも知っているであろう20世紀初頭の有名画家の作品が並ぶ。しかしここで最も注目すべきは大阪市立近代美術館建設準備室から出展されているウンベルト・ボッチョーニの《街路の力》ではないだろうか。今回は、なかなか公開されない同館の所蔵品を目にすることができる貴重な機会であり、しかもこの作品は館のコレクションの目玉の一つといってよい優品である。本作では筆致、色彩、構図、そして形態分割も利用した独特の運動表現によって、未来派の賞賛する機械文明のダイナミズムやスピード感が巧みに描き出されている。なお画面をよく見ると、作品が1912年当時イタリア未来派絵画展で展示された際に、興奮した観客の傘の先によって空けられたという穴も確認できる。これは実物を前にしてこそ感じられるリアリティーだろう。

本展ではこの他にも、京近美からはマティス、兵庫県美からはロダン、和歌山近美からは館外初展示となるクルーガー、滋賀近美からはロスコやルイスの大作、といったようにそれぞれの館が自慢の所蔵品を出展しており、普段なかなか訪れる機会のない館の重要作品も目にすることができるのがうれしい。

また、このような個々の作品の魅力もさることながら、これら複数の館の作品の「響演」の効果も大きな見所だ。ブランクーシの卵型の頭部の彫刻や、コーネルのコラージュ的な箱のシリーズ作品のように、同一作家の作品は複数の館の作品を並べて観ることにより、作風のパターンや問題意識がより鮮明に見えるようになる。それとは逆に、ピカソの「青の時代」の作品とキュビズムの作品のように、作風の変化を対比的に目にすることもできるだろう。ロスコのコーナーやそれに続くルイスの部屋は、巨大な画面をいくつも並べることによって展示空間をそれ自体一つの作品と呼んでいいような独特の雰囲気をもつ場へと変えているが、これも複数の館の作品が集まってこそ可能な展示である。ロスコは自らの作品のみで一つの部屋の壁を埋めることを望んだというが、今回の展示はそれには及ばないものの大きな効果を生んでいる。自分自身と同じかそれ以上の大きさをもつ複数の画面を前にすると、それらが身体全体を包み込んで来るかのように感じられ、意識は自然とその静謐な作品世界に引き込まれていってしまう。これらの他、マルセル・デュシャンが兄弟をモデルとして描いた絵画《チェス・プレーヤー》と並べて、その作品のモデルの一人である兄レイモン・デュシャン=ヴィヨンの彫刻を並べてみるというような配置も面白い。

ところで、本展を観ているとこのように各館のコレクションを同時に観られることをうれしく思う一方で、逆にこれらの作品がそれぞれの館に分散して収蔵されているという普段の状況がはたしてベストなのだろうか、という疑問も頭をよぎった。初めに触れたように本展の企画の動機は各館の常設展の集客力不足問題であったが、多くの観客を集めようと思えば、各館がコレクションを形成してそれぞれ少しずつ拡充し、それらをうまく配置して常設展をやりくりするよりも、既存のコレクションを集めて一つの館に収蔵し本展のようにまとめて公開する方が、観客動員には有効なのかもしれない。地元作家の作品の収集のような仕事は地域の館が行うべきだろうが、欧米の過去の作品についてはある程度集中させることを検討してもいいのではないだろうか。以上のような思いつきは非現実的かもしれないが、少なくとも、過去の作品を収集する施設としての美術館(クンストハレ式の館はまた別)は、数が増えることばかりがよいことでないのは確かだろう。コレクションはあちこちに分散しているよりもある程度ひとところにまとまっている方が、本展に見られるように体系立った展示もしやすく、集客力もあるというのは事実なのだから。このような問題の他、企画者側も言及しているように、本展からは日本の美術館のコレクションの欧米作品への偏りなども見て取ることができる。欧米以外の地域の作家やキュレーターの影響力が日々強まっている現在の状況を考えれば、このような偏重を見直し新たな収集方針を考えていくことも大きな課題である。本展は、出展されている各館のコレクションの作品はもちろん、美術館のコレクションの収蔵・収集や公開のあり方そのものについても関心を向けさせられる展覧会であった。


text:佐々木玄太郎


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