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「工芸表現」の語り方《交差する表現 工芸/デザイン/総合芸術 レビュー》

2013 年 3 月 28 日 3,632 views No Comment

私たちはジャンル分けが大好きだ。何事も何らかのジャンルに分類せずにはいられない。料理なら和食、洋食、中華、音楽ならポップにロックにクラシック、映画ならアクション、コメディ、ホラー、サスペンス…といった具合に。美術なら大きくは伝統美術と現代美術に分けられ、あるいはメディア別に絵画、彫刻、写真、映像、インスタレーションなどに細かく分類することも可能だ。また、工芸やデザインといったものをファインアートと別のジャンルとして考えるのも常識的感覚といえるだろう。このように一生懸命分類しようとするのは、そうして整理することはその物事の理解を容易にし、価値の判断もずっと楽にしてくれるからだ。ジャンルは物事にある程度の価値判断の基準を与えてくれる。ジャンル分けはその物事が置かれる文脈を決定し、その物事は該当ジャンル内の原理に沿って、理解され判断されることになる。

しかし、ジャンルの分類というのはあくまで便宜的なものである。現実はそれほど明確なものではなく、分類は常に必然ではないし、分類可能であるとも限らない。またジャンル分けによって見逃されるものや失われるものもある。というのは、ジャンル分けは文脈や基準を明確にする反面、それによってその物事を語る文脈の可能性を限定してしまうこともあるからだ。

京都国立近代美術館(以下、京近美)は、京都という土地柄もあり、館の活動の軸に工芸を置き、工芸とその周辺領域を扱った展覧会を数多く開催してきた。さらにそれと並行して、近代美術館として絵画や彫刻をはじめとする近現代のいわゆるファインアートの作品収集と展示も行っている。つまり、かなり広範囲の「ジャンル」のものをとり扱ってきたといえる。そのせいもあってか、京近美はそれらジャンル間相互の関係性への視線やジャンルの分類そのものへの反省的視線も十分持ち合わせているように見える。例えば2010年の『マイ•フェイバリット』展は、館の収蔵品の中の【その他】という分類種別の作品によって構成されたものだったが、そこでは作品を既存の区分に収めず【その他】という種別を作り曖昧さを残したことは「積極的選択」であったと述べられている。それはすなわち、作品を既存の美術史の文脈に無理に当てはめてしまうことを避け、作品が語られる文脈をオープンなままにしておこうという意図があった、ということである。

今回の『交差する表現 工芸/デザイン/総合芸術』展は、京近美の開館50周年を記念して開かれた「工芸展」であるが、この工芸というジャンルも一筋縄ではとらえられない。日展における「日本画」「洋画」「彫刻」「書」と並ぶ「工芸美術」という部門名が象徴的に示すように、絵画や彫刻といったいわゆるファインアートとは異なり、「工芸」という言葉はそれだけでそれが「美術」作品であることを含意しない。しかしながら、工芸が創造でありそこに様々な形での「表現」があることは間違いない。本展は、京近美の50年の活動を振り返りつつ、工芸における多様な「表現」をテーマとして、それらを工芸というジャンルの外にも目を向けながら色々な角度から検証するものである。

展覧会の序章「博覧会の時代」では、竹内栖鳳の《ベニスの月》と山元春挙の《ロッキーの雪》という二つの巨大な(ともに222×174cm)日本画作品が出展され、それぞれの隣には両作品の模写とおぼしき二つの絵が展示されている。しかし一見模写と見えるそれらの作品は、注視してみると実は染織であることに気付く。技巧を駆使することによって染織ながら墨の濃淡まで再現され、霧や雲も原画同様に描き出されている。ここでは染織という工芸が日本画にも迫る(美術的な)表現力をもつことが示される。

またこの章では伊東忠太による平安神宮の建築図面も紹介されている。伊東は「アーキテクチュール」の訳を「建築」とすべきであると主張し、「アーキテクチュール」は「美術」であるとともに「工芸」であると説いた。伊東が平安神宮を手がけたのと同時代に、京都では田村宗立という画家が活躍し京都の洋画界を引っ張っていた。田村が描いた油絵も当時京都の「新古工藝品展覧会」に出品されていたという。つまり油絵は工芸と見なされていたわけである。これらの事例を通して、工芸という概念が絵画や建築とも交錯していた当時の状況が見てとれる。

工芸の表現は伝統的な陶芸や染織の作品の他、日用品における「デザイン」の中にも見出すことができる。本展では竹久夢二を工芸とデザインの文脈から取り上げ、彼を日本のグラフィックデザインの先駆者として位置づける。夢二といえばその独特の美人画がよく知られているが、画家としての仕事の他、風呂敷や絵はがき、便せん、千代紙など日用品のデザインも数多く手がけている。1914年に東京日本橋に開店した「港屋」は「夢二のオリジナル•デザインのブティック」のような店であり、夢二のデザインした様々な日用品が売られていた。本展では夢二のデザインした品々が出品されているが、そこからは日常の生活用品におけるデザイン意識の芽生えをはっきりと見てとることができる。夢二の仕事は今竹七郎や早川良雄といったデザイン界の人々ばかりでなく、抽象表現の先駆者として知られる恩地孝四郎のような前衛作家にも大きな影響を与えた。本展ではその恩地の版画作品も目にすることができる。

夢二がデザインを手がけた日用品もそうであるが、工芸とは基本的に用途が想定されたものである。解説でも言及されているように、工芸においては「用の美」という言葉がたびたび引き合いに出され、陶芸や染織をはじめとする工芸品は用途が鮮明で機能的であることが求められてきた。しかし現代では、本展の八木一夫や山田光の作品のように、用途が想定されず造形性だけを追求した前衛的表現の作品も存在する。八木の代表作《ザムザ氏の散歩》は大きな円環に小さな円筒をいくつもとりつけ焼き上げたものだが、どう見ても実用性からは逸脱している。これは何なのだと問われれば「オブジェ」だとでも答えるほかない。そしてこのような純粋造形と呼ぶべき作品が、現代の工芸の一つの柱となっているのも事実なのである。

本展の最後を飾るのは、上野伊三郎・リチ夫妻の作品及び資料と、彼らの合作による《スターバー》の内装の再現展示である。建築設計やデザイン、工芸品制作などで活躍した上野夫妻に関するコレクションは、すでに2009年に京近美でまとめて紹介されている。ここでは彼らの「建築から工芸へ」という軌跡を振り返りつつ、伊三郎が設計しリチが内装を行った《スターバー》を、建築と工芸が交差した総合芸術として位置づける。《スターバー》は、ジュラルミンのメタリックなカウンターにカラフルな椅子が組み合わされ、酒瓶を収めるガラス製のケースにも鮮やかなブルーが配される。壁面や天井は、それをデザインしたリチが自ら「ファンタジー感覚」と呼ぶ所の、草木や花、果実などをあしらった色とりどりの装飾模様が華を添える。建物自体はモダンなものだがその内装は華やかな装飾性に満ちている。この再現展示では、建築や工芸の諸要素が組み合わされた空間を、総合された全体として体験することができる。

本展は一応「工芸展」を名乗っているが、その「工芸」のとらえ方は非常に柔軟である。企画者が述べているように、本展は「ある〈切り口〉そして〈断面〉で、「一つの原理に還元できない」多様な〈工芸表現〉を再考しようと試みたもの」(展覧会図録p.39)なのだ。一口に「工芸」と言っても、どのような原理のもとに何を目指して制作されるのかは全くもって一様ではない。その「工芸」における「表現」を考察するには、「工芸」や「表現」というものを固定的にとらえていてもうまくいかないし、そのつどそれがどのような文脈(=切り口)で語られ得るのかを考えていく必要がある。本展の解説の中では、「工芸」や「美術」といった言葉は常にかぎ括弧付きで用いられているが、これはそれらが明確なものではなくある程度意味の幅をもたせた上での用語であることを示しているのだろう。本展は、そのようなジャンルの括りの不確定性、そして周辺領域とのつらなりに十分注意を払い、対象によって多様に切り口を変えていく京近美の姿勢がよく表れた展覧会であるように思う。

主要参考文献:展覧会図録


text:佐々木玄太郎


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