Home » 小平信行, 展覧会レビュー, 関東

キャパが戦争写真家になったわけ 《ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー  二人の写真家 レビュー》

2013 年 2 月 28 日 2,064 views No Comment

ここに2枚の写真がある。写っているのは談笑する男女の兵士。公園のベンチだろうかつかの間の平和の穏やかなひと時の様子が伝わってくる。不思議なのはこのシーンをとらえた2枚の写真がほとんど同じ角度から同じ瞬間をとらえているにもかかわらず、実は別の人物が撮影しているというのだ。撮影したのはあの有名な報道写真家ロバート・キャパと、一時期キャパと行動を共にしていた女性カメラマンのゲルダ・タローだ。

横浜美術館では2013年3月24日(日)までロバート・キャパの生誕100年を記念して写真展『ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家』が開かれている。

ロバート・キャパはスペイン内戦をはじめ、日中戦争や第2次大戦など戦争の世紀とも言われた20世紀を代表する報道カメラマンだ。そしてもう一人キャパに同行して1930年代中頃のスペイン内戦の様子を撮影していた女性がいた。女性カメラマン、ゲルダ・タローだ。

今回の展覧会はゲルダ・タローとロバート・キャパの二人の個展のような体裁をとっている。最初の部屋にはタローの写真や資料などおよそ90点、そして2番目の部屋には横浜美術館が所蔵するロバート・キャパの写真や資料などを中心におよそ230点が展示されている。

今回の展覧会で最も興味を惹かれるのは、キャパとゲルダが二人で撮影していた時代、すなわちスペイン内戦の様子をとらえた写真である。スペイン内戦の写真に限って言えば今回見ることができるのはキャパ33枚、ゲルダ83枚のあわせて116枚。特にゲルダは本格的に写真を撮り始めた翌年の1937年の7月に取材中、戦闘に巻き込まれて27歳という若さで命を失っており、83枚という写真はわずか1年半ほどの間に撮影されたものである。

ロバート・キャパは1913年のハンガリー生まれ、本名アンドレ・フリードマンという。左翼運動に触れたことで国外追放となり、ドイツで写真の仕事に就いたあと1933年パリに移住した。そこで出会ったのがドイツから逃れてきたゲルダ・タローだ。

意気投合した二人の前に起こったのが36年に始まったスペイン内戦だった。二人ともユダヤ系の難民だったということもあり、スペインの内戦でドイツのナチスの支援を受けた反乱軍に対して戦っていた共和国軍への思い入れが強かったという。

実はロバート・キャパという名前は、当時まだ無名の報道写真家だった二人が、雑誌社などに写真を売り込むために作り出した架空の名前だったという。ゲルダが存命中の二人の写真にはロバート・キャパ撮影というキャプションがついたものが多く存在し、実際にはどちらが撮影したのかよくわからないものもあるという。

今回の展覧会でも1936年から37年にかけて撮影されたスペイン内戦の写真を見ると、二人はほとんど同じ場所へ足を運んでいることがわかる。しかも中にはほとんど同じ光景を同じ角度から撮影していたものがあるのだ。

冒頭に書いた2枚の写真は、この時代に二人が撮影したゲルダ・タローの「共和国軍兵士たち バルセロナ」とキャパの「共和国軍兵士の男女」だ。一見したところ同じネガから焼き付けられた写真ではないかと思えるほどよく似ている。

ほとんど同じ写真に見えるこの2枚の写真だが、図録に掲載された写真で比較してみると、時間にして数秒ほどのずれがあることがわかる。キャパが撮影した男の兵士の笑い顔のほうよりも、ゲルダが撮影したとされる写真の男の兵士の顔のほうが、より微妙に笑いの頂点に達している感じがするのである。

当時のカメラには現代のカメラのような連写の機能はないことや、2枚の写真のサイズが違うことからこの2枚の写真は2台のカメラで撮影されたものだという。

この時代まだ手持ち用の小型カメラはごく一部の機種に限られていた。キャパとゲルダが取材用に持ち歩いていたのは当時の小型カメラの代名詞ともいえる35ミリカメラのライカと2眼レフタイプの箱型のカメラ ローライフレックスだった。キャパはライカを、ゲルダはローライフレックスを使っていたという。

確かに今回の写真展でも1936年から37年の2月にかけてのゲルダのコーナーに展示されているものは正方形に近いサイズの写真が多い。この正方形の写真はローライ・フッレクスで撮影したものであり、現在主流を占めるカメラの横長のサイズとは明らかに異なる。男女の共和国軍兵士を撮影した2枚の写真の一枚はサイズが正方形に近くゲルダが撮影したものと考えられているのだ。

二人は同じ場所へ行き、同じ被写体にレンズを向けたばかりでなく、ほとんど肩を寄せ合うように並んでシャッターを押していたことになる。

ロバート・キャパといえば、兵士が銃弾を受け倒れる瞬間をとらえた写真を思い出す人も多いだろう。実はこの写真が撮影されたのもスペインの内戦が始まって間もない1936年だった。

銃撃を受け、バランスを崩して倒れる瞬間をとらえた「崩れ落ちる兵士」と呼ばれるこの写真にはこれまで多くの謎が指摘されてきた。

銃弾に倒れる兵士をほぼ正面からとらえるということは撮影者の背後に銃を撃った人間がいるということであり、そもそもこのような位置関係では撮影は不可能ではないのか。そして何より撮影したキャパ本人がこの写真について以後何も語っていないのだ。

この写真について最近、現地での調査や関係者への詳細な取材を行った作家の沢木耕太郎氏によれば、この写真は撃たれた瞬間をとらえたものではないこと、さらに撮影したのはキャパ本人ではなく同行していたゲルダ・タローだったという。

詳細は沢木氏の最近の著書「キャパの十字架」に譲るとして、あの有名な「崩れ落ちる兵士」が撮影された現場にも、実は2人のカメラマン、すなわちキャパとゲルダがいた。

そして「崩れ落ちる兵士」(原タイトル「共和国軍兵士、コルドバ戦線、スペイン)を撮影した瞬間、もう一枚の写真が撮影されていた。それは「突撃する兵士」と題された写真で、写真のサイズなどからこれがキャパ、そしてその直後にゲルダがあの「崩れ落ちる兵士を撮影していたというのだ。この時もまた二人はほとんど同じ位置に並んで、2台のカメラを同じ被写体に向けていたことになる。

ゲルダが翌年、戦闘に巻き込まれ不慮の事故死をした後、この写真は一人歩きをはじめる。1937年にはアメリカの有名な雑誌の一つ「ライフ」にロバート・キャパ撮影というキャプションがついてこの「崩れ落ちる兵士」が掲載されるやいなや、キャパの名前は一躍世界的報道カメラマンになっていくのだ。
「いずれにしてもキャパはこの「崩れ落ちる兵士」の一枚で無名のアンドレ・フリードマンから世界的に有名なロバート・キャパになることができた。」(沢木耕太郎「キャパの十字架より)

今回の展覧会で圧倒的に目を引くのが、ゲルダが命を落とした後、世界的な報道写真家として有名になったロバート・キャパが戦場で撮影した多くの写真だ。

日本軍の侵略で戦火に巻き込まれた中国の人々や第2次世界大戦中のアメリカ従軍記者として撮影したノルマンディー上陸作戦の兵士の姿など、キャパは戦争につかれたように世界中をかけめぐる。

そこには命がけで戦場を追い求め、戦争に巻き込まれた人々をカメラで捉えようとするキャパの戦争写真家としての姿がある。戦争という事象ではなく、戦争に巻き込まれた人々の怒りと悲しみ、苦痛が強烈に伝わってくる写真ばかりだ。キャパをそこまで駆り立てたのはいったいなんだったのか。

そこにはキャパが初めて戦争を取材したスペインの内戦が色濃く影を落としているように思えてならない。わずか1年半という短い時間だったがゲルダと行動を共にしていた時代だ。

寄り添うように肩を並べて撮影に挑んでいた二人の間にはどのような会話がなされて、撮影はどのように行われていたのだろう。

キャパはまだ22歳という若さでスペイン内戦の取材に向かった。そしてそのわきには公私ともにパートナーとも言ってよい存在だったゲルダがおり、翌年不慮の事故で突然ゲルダを失った。二人の写真を見ていると、この時の強烈な経験が、その後のキャパの戦争と向き合う姿勢を様々な意味で形作っていたように思えてならない。

今回の展覧会、ちょっと残念なのはキャパとゲルダの写真がまったく別の部屋に飾られていることだ。スペイン内戦中の1936年から37年にかけての1年半ほどの短い期間のゲルダとキャパ二人の写真、できれば並べて見たかったという思いもするのである。

主要参考文献:「キャパの十字架」沢木耕太郎著 文芸春秋、展覧会図録


text:小平信行


『ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー  二人の写真家』の展覧会情報はコチラ


ページTOPへ戻る▲     

コメント投稿欄

以下のタグが使えます:
<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">