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伝統との多様な距離《渓山清遠―中国現代アート・伝統からの再出発 レビュー》

2013 年 1 月 29 日 2,554 views No Comment

中国の現代アートと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、「ポリティカル・ポップ」や「シニカル・リアリズム」といった、中国の政治や社会の状況を反映した作品だろうか。あるいは、過激なまでの生々しさをもったパフォーマンスを連想する人もいるかもしれない。これら強烈な印象を残す作品は世界の注目を集め、中国現代アートブームを巻き起こした。だが福岡アジア美術館で2013年2月24日(日)まで開催中の『渓山清遠―中国現代アート・伝統からの再出発』展はそれらとは方向性を大きく異にし、山水画を主とする伝統絵画を学び、そこから自らの表現を作り上げていこうとする作家たちを取り上げ、それを中国現代アートの新たな潮流として提示する。

なぜ伝統を見直すことが現在になって取り上げられるのか?伝統を見直すという発想自体はありふれたものであり、現在それをわざわざ傾向として取り上げる必然性はどこにあるのだろうか?政治的なテーマ同様、国際美術業界で受け入れられやすい中国らしさを打ち出すために、伝統的なものを参照しているのではないか、という声も聞こえてきそうだ。しかし現在伝統の見直しが一つの流れとして注目されるのには、それなりの事情がある。中国では戦争及びその後の文化統制によって、伝統が長期間にわたって捨て置かれ断絶状態になっていた。そのような状態から回復して伝統を学ぶ環境が再び整い、近年になってとりわけ若い世代に伝統を深く理解しつつ自らの創作に反映する作家が増えてきている、というわけだ。

中華人民共和国建国後、国内の美術は社会主義リアリズムの主題と手法に限定され、伝統的なものは反動・反革命のレッテルを貼られることになった。そして「芸術は人民に奉仕するためのものである」という毛沢東の思想のもと、年画をはじめとする民間芸術を取り入れつつ「毛様式」と呼ばれるプロパガンダ芸術の様式が形成されていった。とりわけ文化大革命期にはプロパガンダ性がさらに強まり、毛沢東と革命を讃えるポスターが無数に制作され流通した。この間、国内の美術は毛様式一色に統制されていた。文革が終わり改革開放が始まる70年代末になって、ようやくこの厳しい表現統制は解かれることになる。

当然ながら、文革後から現在に至るまで、中国の美術界で伝統が注目されることが全くなかったわけではない。例えば80年代後半には南京から「新文人画」の動きが起こっている。その作家たちは、文人画の水墨の手法の要素を用いつつも、その淡泊さや高尚さを退け、それぞれに現代人の感覚を表現しようとした。しかし本展企画者の呂澎は、彼らを「伝統に息を吹き返させる可能性を孕んだもっとも早期の人々だった」としつつも、「その知識面の準備や修養が非常に限られたもの」だったと述べる。また当時は、体制の干渉や批評家の無理解など、環境的にも厳しいものがあったという。本展の出品作家には70,80年代生まれの者が多く含まれるが、彼らの世代はそれ以前の世代に比べて政治的制約がはるかに少なく、伝統に触れそれを学ぶ機会にも恵まれている。そして彼らは実際、伝統を深く理解し自らの創作に反映している。以下、本展の作家の例をいくつか見てみよう。

視覚的なおもしろさで言えば、本展最年少1988年生まれの張亜(ジャン・ヤー)の作品がまず目に止まる。彼女は《桃源郷》と題してアクリルで山水を描くが、その形態は全く奇妙である。山岳は蛇皮のような模様の帯を巻き重ねたようであり、木々はワラビのような幹にアメーバ状の葉をまとっている。山には古風な建物に混じって高層ビルのようなものもあるが、よく見れば縞模様の二つ折りの板にすぎないようでもある。そして画面の中に小さな羽をもった虫のようなものが何やらたくさんいると思えば、これが実は桃源郷の住人である。それぞれのものの造形にしても、執拗に描き込まれた模様にしても、明るめのグレーを基調とした色彩にしても、非常に奇怪なのだが、全体としては不思議と調和が取れていて落ち着きすら感じる。それは背後に確かな山水画学習があるからなのだろうか。

楊冕(ヤン・ミエン)はCMYK(四色印刷)の方式を模して、古人の描いた花鳥図を拡大した上で四色の点で再現している。彼は、古人の絵画は心の中の画像(を描いたもの)、現代の我々の画像すなわちCMYKは、オートマティックに生成される現実の画像であるとする。彼の作品は心中の画像(古人の花鳥図)を、CMYKの方式を用いつつ、かつオートマティックでない手仕事で描き出しているのである。彼はこれを「図像の安全性についての研究」であると述べる。

このような新奇な描法を用いたり、あるいは図像や視覚について思考を巡らせ実験を行ったりする作家がいる一方で、現代アートと呼ぶのが不思議に感じられるような、山水や風景を穏当に描いている作家もいる。曹敬平(ツァオ・ジンピン)は雪景色や雲間の山水をアクリル画で描いているが、材料こそ違え、その描き方は構図にしろ用筆にしろ、水墨画に酷似している。彼は、現代的な方法で伝統水墨画に似た特色をもつ現代の作品を創造し、観る者を作者の心中にあるリアルな境地へと到達させようとしているという。それは意景を絵画の上に表す、というのと同義だろうか。

蒋国蓉(ジアン・グオロン)は影響を受けた作品として巨然の《秋山問道図》を挙げ、その変化に富んだ気勢やみなぎる生気を讃えており、実際に自らも独特の色使いで生命感にあふれた伸びゆく樹々を描く。彼は自分独自の色彩体系を確立し絵画の言語形式を追求して「画は其の人の如し」を真に実現したい、と述べる。「画は其の人の如し」とは、画は作者の人格の発露であるということである。作品と作者の内面の関係への言及の仕方からもわかるが、曹や蒋が指向する作品の方向性は伝統絵画のそれに比較的近いようだ。

本展の企画者呂澎は2010年北京で開催された「改造歴史 2000-2009年中国新芸術」展の「気質と文明」というセクションにおいても、伝統的材料と道具(主に筆、墨、紙、硯)を用いて創作を行っている作家を集めた展示を行っている。呂は、ここに集めた作家たちについて、「画面の形式の上でそれほど多くの『実験』を行っていないが、彼らにとっては、晩清以前の古人の芸術精神と教養を真剣に理解し、体現し、実践することが非常に重要なのだ」と述べ、80,90年代の水墨を用いて実験的な試みを行った作家たちとの性格の違いを指摘している。つまり、これらの作家の創作態度は文人のそれであり、描き手の人格が作品の出来を左右すると考え、創作を精神修養と結びつけるのである。

長い断絶を経て現在、伝統を深く学べる環境が復活し、伝統から大きな影響を受ける作家が増えているのは事実だろう。しかし彼らの伝統との距離感は様々であるように思える。現代アートの領域に軸足を置きつつ伝統芸術の技術や理論を要素として取り入れようという態度の者もいれば、逆に現代的な手法を用いつつ作品の性格は水墨画のそれを目指す者もおり、さらには手法と芸術観ともに伝統的なそれに則り文人的な態度で制作を行う者もいる。それらをまとめて現代アートと呼ぶことが適切かどうかはわからない。もっとも、「中国現代アート」とはもはや一つのブランド名でもあるのだが。

ともあれ、長い歴史を通して古人が作り上げてきた遺産を深く理解する者が再び現れているのは喜ぶべきだ。程度の差はあれ伝統的な芸術論や発想が導入されることによって、より多様な価値観や基準で作品が作られることになるのだろう。それを何と呼ぶべきかはさておき、そこに豊かなものが生まれることを期待したい。


text:佐々木玄太郎


『渓山清遠―中国現代アート・伝統からの再出発』の展覧会情報はコチラ


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