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生命を写す 《山口華楊展  レビュー》

2012 年 12 月 28 日 2,734 views No Comment

近代から現代にかけての京都画壇を代表する画家として知られる山口華楊は、明治32年(1899)に京都の友禅職人の家に生まれた。多彩な色彩でもって絵画的な意匠を施す友禅染に必要な絵の素養を高めるため、華楊は13歳の時に父の勧めで円山・四条派の画家、西村五雲に師事した。その後、明治から大正、昭和へと時代が移り変わっていく中で、本格的に画家としての道を歩み出した華楊は、伝統的な「写生画法」に基づく動物画・花鳥画を得意とした円山・四条派の影響を強く受けながら、近代西洋画や現代的な感性をも取り入れた新たなの日本画を生み出した。

2012年11月2日から12月16日までの期間中、京都国立近代美術館において25年ぶり2回目となる《山口華楊展》が開催された。今回の展覧会には華陽の代表作品や新出作品およそ80点と、それら本画の制作の過程が窺える貴重な構想画や素描、下絵などが数多く出品され、これまでにない大規模な回顧展となった。

山口華楊の本名は山口米次郎といい、「華楊」という雅号は15歳の時に自らの作品を展覧会へ初出品したのを機に、師・五雲に選んでもらったものである。いくつかあった候補の中の1つであり、特に意味はないらしい。もともと家業を継ぐための修行の一環として画を学んでいた華楊だったが、この頃から展覧会への出品を重ね、また師の勧めで京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)に入学するなど、しだいに画家として道を歩み始めていった。

華楊の師であった西村五雲は、虎や鳥獣の絵で知られる岸派の末裔・岸竹堂に学んだ後、円山・四条派の大家・竹内栖鳳に師事し、自身も花鳥画や動物画を得意とした。五雲は華陽に円山・四条派の伝統である徹底した観察に基づく「写生」の大切さを説いたが、この写生重視の姿勢は華楊の作品制作の根幹になった。

大正7年(1918)に開催された第12回文展に出品され、入選を果たした《角とぐ鹿》は華楊が19歳の時の作品である。画面上では中央にある太い老木に一頭の鹿が角を擦り付け、角研ぎをしている様子が描かれている。奈良での写生を元にしたこの作品について、華楊は老木の幹の太さと鹿の角の鋭さの対比や角を前に押し出そうとする鹿の姿勢が面白く映ったことや、搬入の直前まで描いていたために絵の具がまだ乾き切っていなかったことなどを語っている。

《角とぐ鹿》における鹿の描写に注目すると、薄い墨線によって鹿の輪郭をぼかし気味に描き、その上から毛描きを施す手法が見られる。このような描き方は師・西村五雲や竹内栖鳳の作品を彷彿とさせ、華楊が彼らの画風に強い影響を受けていたことを示している。その一方で老木の樹皮の表現には西洋画にみられるような質感の描写が試みられている。華楊が西洋美術に関心を持つようになったきっかけとしては、先述した京都市立絵画専門学校への入学が挙げられる。そこで出会った古今東西の美術を紹介した書籍や、洋画家の教員による実技指導によって、華楊は円山・四条派以外の美術にも目を向けることとなった。特に石膏デッサンの実技において、線ではなく面で対象をとらえることを学んだ後、華楊は写生の際に従来の筆だけではなく、鉛筆を使用するようになった。その変化は華楊が生涯を通じて描いた動物の素描をまとめて屏風にした《貼り交ぜ屏風》の中に確認することができる。京都市立絵画専門学校で新たな美術の領域に触れた華楊は、そこから学んだことを自らの作品に取り入れることに積極的であったが、その一方で栖鳳や五雲の画風を思わせる手法もまた作品に用い続けた。

《角とぐ鹿》から6年後の作品《山羊》では、木槿の木や丘の上で草を食む山羊のいるうららかな風景が描かれている。《山羊》はそれ以前に描かれた作品と比べ、画面全体が明るく黄色味を帯びており、そのぼやっとした表現は大正ロマンという言葉を思い起こさせる。解説の中では、こういった表現の背後には西洋のフレスコ画への意識があったのではないかという指摘もされている。一方、昭和12年(1937)の作品《洋犬図》では、細くしなやかな体が特徴のボルゾイ犬が3頭、背景の空間を巧みに生かしつつ緊密に配置しされ、白を基調とした淡い色彩でもってすっきりと高貴に描かれている。こちらの作品には昭和モダンという言葉がしっくりくる。これら対照的な2つの作品は、制作されたそれぞれの時期における社会的な流行をよく反映していると言えるが、そこに見られる動物の描写には栖鳳や五雲と同様の、輪郭線を薄くぼかした上に毛描きを行う手法が一貫して用いられている。

今回の展覧会に栖鳳や五雲の作品は出品されていなかったが、美術館内の別会場では華楊展にちなんだ所蔵品展が同時開催されており、そちらでは栖鳳・五雲・華楊らの作品が並んで展示され、3人の画家の見比べができる場となっていた。

昭和29年(1954)の代表作《黒豹》では、渋い黄緑色を背景にして眼光鋭い2頭の黒豹が描かれている。1頭は寝そべって頭を持ち上げ、もう1頭はジリジリと忍び寄るような姿勢をとっており、どちらも上から見下ろした鳥瞰図のような描き方をされている。華楊はこの《黒豹》について、様々な角度から素描を重ねた結果、上から見下ろした位置にこそ、豹の特徴がよく出るように思ったと語っている。また実際に鳥瞰する視点からの写生は困難であったため、描き溜めた素描をもとに作った粘土模型を机に置いて、立って見下ろしながら制作を行ったと言われている。しなやかな黒豹の描写に加え、黄色地に黒という色彩的なインパクトや斬新な構図を併せ持つ《黒豹》は当時大きな話題となり、近現代を代表する動物画家としての華楊の名を現在に至るまで広く知らしめる作品となった。

この《黒豹》を含め、50歳を超えてからの華楊の作品には、それまでにはなかった特色が現れ始める。それは油絵のように絵の具を何度も塗り重ねながら動物や背景を彩色するというものであり、この厚塗りの手法によって生み出される独特の表情や雰囲気は、栖鳳や五雲、そして若い頃の華楊の作品と一線を画すものとなっている。その違いが最も顕著なのは、やはり動物の表現においてであろう。晩年の作品では描かれた動物の輪郭線上に繊細な毛描きは行われず、輪郭に沿って絵の具が繰り返し塗られることにより、植物や背景との境界がぼけて曖昧になっている。その結果としてこの時期の作品には全体的にぼやけたような印象を与えるものが多いが、このモヤッとした表現こそが華楊の描く動物に、より一層の柔和さを感じる理由になっているとも言える。

華楊をはじめ同時代の円山・四条派の画家達の間では、多種多様な動物達が頻繁に描かれたが、その1つの要因として挙げられるのが、展覧会場からほど近い場所にある京都市動物園の存在である。調べてみると、同動物園の歴史は東京都にある恩賜上野動物園に次いで日本で2番目に古く、華陽の誕生から4年後の明治36年(1903)に開園している。当初は61種の動物を収容していた。華楊も《黒豹》などの制作にあたり、京都市動物園での素描を繰り返したそうである。まだ一度も行ったことがないので、今度近くまで行った際にはちょっと覗いてみたい。

参考文献:展覧会図録
   

text:上田祥悟

『山口華楊展』の展覧会情報はコチラ


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