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横尾忠則のとらえがたさ、そして横尾忠則現代美術館への期待《開館記念展I 横尾忠則展「反反復復反復」 レビュー》

2012 年 11 月 28 日 4,263 views No Comment

今年11月3日、神戸に横尾忠則現代美術館がオープンした。建物は兵庫県立美術館王子分館の西館をリニューアルしたものだ。1階はオープンスタジオを兼ねたホール、2,3階は展示室、4階はアーカイブルームとなっている。館内スペースはそれほど大きくない。しかし横尾作品の一点一点の密度の高さを考えると、展示場所としてはこれくらいの大きさが適切なのかもしれない。かつて国立国際美術館で横尾の全ポスター展を観た際、満足度は十分だったものの、観終わるころにはバテバテになっていたことを思い出す。横尾作品はその放つエネルギーが大きいだけに、鑑賞する側もそれを受け止めるのにそれなりの体力を使うのだろう。ひとつひとつの作品と向き合い最後までしっかり味わえる分量の展示を行うには、横尾忠則現代美術館のサイズはちょうどよい具合だといえる。

横尾忠則展「反反復復反復」は本館の開館記念展で、横尾作品の大きな特徴の一つである「反復」に注目したものである。横尾の作品では特定のモチーフが複数の作品で繰り返し描かれる。代表的なシリーズで例を挙げるなら、60年代からの「ピンクガールズ」や2000年以降の「Y字路」などがそれにあたる。また他の作品においても、幼少の頃に目にしていた少年雑誌の挿絵や、西洋絵画の一部あるいは全体、三島由紀夫のような具体的個人の像など、様々なものが繰り返し描かれている。なお反復的な作品はひとときにまとめて描かれるとも限らず、「ピンクガールズ」のように60年代に描かれたものが90年代になって再び描かれ始めるということもある。

横尾自身が語るように、既存のイメージを写し取る「模写」は彼の創作の原点である。少年時代の印刷物の模写に始まって、横尾は作品制作において世の中にあふれる各種のアイコンを模写し引用し、同様の感覚でコラージュも行う。(横尾作品における反復は、自身の作品の模写としてもとらえられるだろう。)彼の模写や引用の根元にあるのは、自分が完全にゼロから創り出したオリジナルなものなどない、という考え方だ。このオリジナリティへの不信をはじめとする反モダン的な態度は、反復とも大きなつながりをもつ。横尾が「自己贋作」とも呼ぶ自己の作品の反復は、本物とニセモノの区別、新しさの信奉といったものを皆蹴飛ばしてしまう。また、間隔をおきつつ数十年にわたって同じモチーフの作品を描き続けるという行為は、「一人の作家の中で作品は年代を追って展開していく」という単線的なとらえ方も拒否する。「未完の横尾忠則」展(金沢21世紀美術館)で言われているように、横尾は「複線的で、可逆的な時間概念の上に成り立った画家」(*1)なのである。横尾は固定したスタイルをもたず、作品の様式も考え方も時とともに変わり続けていく。そして変化し続けていたと思えば、突然過去のモチーフを再び描き始めたりもするのだ。ゆえに複線的とはいっても、その複数の線もまた急に消えたり現れたりするわけである。そのような不確定でとらえどころのない横尾の活動を、この展覧会は「未完」と表現した。実際、横尾は過去の作品の手直しをしてみたい、ということも述べていて、また過去には『未完への脱走』という著書もある。横尾にとっては、人生に完成がないように、作品や様式、思想にも完成はないのだろう。それぞれの作品が未完であるがゆえに、同じモチーフが描き終えることなく何度でも繰り返し描かれ続けるのだ。そして、全ての作品が「未完である」ということを考えれば、同じモチーフを描いた反復的作品も、どれがオリジナルでどれが再制作か下絵かはたまた贋作か、という区別は無効となる。

80年代から多くの美術館において、横尾の作品を取り上げた展覧会は開かれている。しかし、上に述べたような横尾の活動のとらえどころのなさゆえに、その本質を取り出して説明することには困難さが伴うようだ。「横尾 by ヨコオ」展(京都国立近代美術館)では、それを「横尾忠則作品の本質に迫りその業績を美術史の中に組み込もうとする「美術館」側の誠実な努力にも関わらず、投げかけられる様々な解釈の網を、いつも作品がくぐり抜け逸脱してしまうことのストレス」(*2)ではないかと指摘している。同じ文章の中では、「横尾忠則という作家を全体としてとらえることは不可能である…(中略)…横尾忠則を理解する最良の方法は、おそらく、匿名的な作家としてとらえて、作品を一点一点、数多く観るしかないのではないだろうか。」(*3)という「横尾忠則 森羅万象」展(東京都現代美術館、広島市現代美術館)の展覧会担当者の言葉も挙げられている。横尾はその活動において一貫性やまとまりを見せず、まるで一人の作家の中に何人もの個性をもった人間がいるかのようである。横尾の作品中でコラージュされたそれぞれの図像が明確な関連をもたないままに並べられているのと同様に、横尾の活動や個々の作品も、それぞれを明確に関連づけてまとまった流れとして語るのは容易ではない。

そのように単線的に語ることができない横尾の活動を考えていくためにも、横尾忠則現代美術館の企画には期待がかかる。一度の展覧会ではとらえきれない全体像も、一つの美術館が連続性をもちつつ様々な活動に様々な角度から光を当てていくことで、複線的なままに提示することができるのかもしれない。横尾忠則現代美術館の次回以降の企画も楽しみに待ちたい。

(*1)秋元雄史「はじめに」(「未完の横尾忠則—君のものは僕のもの、僕のものは君のもの―」展図録p.3, 金沢21世紀美術館, 2009)
(*2)河本信治「展覧会について」(「横尾 by ヨコオ」展図録pp.22, 京都国立近代美術館, 2003)
(*3)同上、原文は出原均「コラージュから」(「横尾忠則 森羅万象」展図録pp.20, 東京都現代美術館、広島市現代美術館, 2002)

主要参考文献:本展覧会図録、上に挙げた展覧会図録、横尾忠則『横尾流現代美術 私の謎を解き明かす』(平凡社, 2002)


text:佐々木玄太郎


『開館記念展I 横尾忠則展「反反復復反復」』の展覧会情報はコチラ


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