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風景画が語る人と自然 《メトロポリタン美術館展  レビュー》

2012 年 10 月 30 日 2,745 views No Comment

風景画というジャンルの絵画が成立したのはいったいいつ頃だったのであろうか。中国における山水画を風景画とすれば、8世紀の中ごろ、唐の時代にはすでに多くの名作が描かれていた。山水画の技法は朝鮮や日本にも影響を及ぼし、風景画の一つのジャンルとして確立されていたのだ。

山水画の世界で印象的なのは、単なる自然の光景だけでなく、人間の生活もまた小さくではあるが、描かれていることが多いことだ。家畜を連れて歩く農夫の姿や、湖で漁をする漁民、雪道を旅する人々・・。そびえる山や悠然と流れる大河など圧倒的な自然の大きさに対して、人の姿はよほど目を凝らして注目しないと見過ごしてしまうほど小さい。

どのような人々がどのような想いで生活しているのか、モノトーンで小さく描かれてはいるが、見る者の想像力をかきたてる。自然の雄大さ、大きさを表すために人物を小さく描いたという見方もあるが、山水画には単なる山や川、森といった大自然の光景にとどまらず、人物を描くことで、画家の人生観や世界観さえもがそこに込められているようにも思える。

西洋画の世界では、宗教画や人物画の背景に山や森、川が描かれることはあっても、自然の風景とそこで暮らす人たちを描いた絵画の登場は意外に遅い。

16世紀のドイツの画家アルブレヒト・アルトドルファーによる「風景」と題する絵がある。巨木の間から見える遠くの山や湖、そしてうずまく雲の間に見える夕焼けに染まった空と暗い森の対比が印象的だ。この時代、純粋に自然の風景だけを油彩で描くことは美術史上、画期的なことだったとも言われる。

自然をどうとらえ、そしてその中に人間をどう描きこむのか。今、東京都美術館で開催中の『メトロポリタン美術館展 大地、海、空—4000年の美への旅』は西洋美術における自然のとらえ方を、古代から近代までの絵画や工芸作品133点で紹介している。中でも興味をひかれるのが風景画における自然と人間の関係だ。

今回の展覧会で最初に出会うのが17世紀の半ばに描かれた《日の出》と題されたフランスの画家クロード・ロランの絵だ。生涯の大半をローマでの制作活動に費やしたというロランは、おそらく西洋画において風景の中にごく普通の人間の営みを描いた最初の画家だったのではなかろうか。

ほんのり赤く染まった空と雲、そして手前のうっそうとした木立と清らかな水が流れる川。川を渡ろうとするのは羊を連れた羊飼いたちだ。朝日に照らされた空やまだ光がささない薄暗い森、遠くに見える丘など、雄大に描かれている自然に対して、人間の姿はごく小さい。丘の上にはよく見ると城のようなものもみえる。しかしそれも朝靄にかすんで判然とはしない。自然の中でつつましく暮らす人たち。人間の存在は小さいが、大地に根ざした確かな生活の営みが伝わってくる。

ごく見慣れた風景に感動し、そこに生きる人々の日常の当たり前の生活を描こうとする動きはこの時代、他の国でも少しずつ広がっていた。17世紀半ばオランダで活躍したヤーコブ・ファン・ライスダールもその一人だ。

今回の展覧会では《穀物畑》と題された一枚を見ることができる。画面を大きく占める空と流れる雲。その下に一面に広がる穀物畑と雑木林の中を雑草の生い茂る荒れた一本の道が走る。肩に荷を背負い、犬を連れて歩く農夫の姿。遠くには風車のついた小屋や教会の尖塔のようなものがかすんで見える。広大な畑、大きく広がる空や雲、それに対して農夫の姿を小さく描くことで、雄大な自然を強調しているかのようだ。

今回の展覧会では、19世紀のアメリカの画家の風景画も何枚か見ることができる。さすがに広大な国土を持つアメリカだけに景色も雄大だ。ヨセミテ渓谷の風景を描いたアルバート・ビアスタットの絵には鋭くとがった峰々を持つ岩山と、山を映し出した大きな川が描かれ、まるで絵はがきを見るようでもある。川岸には人の群れが小さく描かれている。この地域に住む原住民の姿だという。この絵でも小さな人間と大きな自然という対比が見事だ。

大自然の中で牧歌的な人物像を描いた《キャッツキル山地の眺めー初秋》。同じく19世紀アメリカの画家トマス・コールの風景画だ。荒涼としたアメリカの風景を好んで描いたコールだが、一方で鉄道の建設で森が消えていく光景を目の当たりにして次のように語っているという。

「斧による破壊は日々拡大している。最も高貴な風景は貧弱になり、しかも時に、文明化された国家にあってはほとんど信じられないような理不尽で野蛮なやり方で失われつつある」

小さかったはずの人間の存在が大きくなる兆しを、詩人でもあった画家コールはすでに強く感じていたのである。

同じ時代ヨーロッパでは印象派が台頭する。モネが好んで描いた連作の一つにドラクロワやクールベなど多くの画家を魅了したノルマンディーの荒々しい海岸線の絵がある。

荒れる海、そして絵の全体の割合からすると大きすぎると思われるアーチ状の岩が印象的な絵だ。波に削られた岩の名前「マヌボルト」が、そのままこの絵のタイトルになっている。荒れる海と大きな岩、この自然をより大きく力強く見せるために、モネも手前の崖の下に小さく斑点のような人物を描きこんでいる。

風景画に描き込まれた小さな人間の姿。それは雄大な自然を強調する手段であったが、逆の見方をすれば、それは人間の存在は自然に比べれば小さなものだという意識が描いた人のどこかにあったはずだ。

しかし、こうした自然と人間の関係はいつの時代からか崩れ始めた。人間の作り出した文明は地球上あらゆるところに進出し、自然をはるかに凌駕する大きな存在になってしまったのだ。人工衛星から見た地球の夜は、明かりに満たされ、文明が地上を覆い尽くしていることをまざまざと見せつけている。

かつて人々は自然を恐れ、畏敬の念を持ち、そこに神の存在を信じて生きていた。そのことを強く感じさせるものが、今回の展覧会では風景画以外にもたくさんある。「動物たち」と題されたチャプターで見ることができる生きものの像もその一つだ。

ギリシャで発掘された紀元前8世紀ころの「馬の小像」。大きさは18センチほどの小さなブロンズ像だが、耳をそば立てている馬の体は見事なほどその身体的な特徴をとらえ、現代彫刻を思わせる斬新なデザインだ。

エジプトの《猫の小像》は高さ27センチほどの紀元前3世紀ころのブロンズの小さな像だ。中は中空で猫のミイラをいれるための容器だったという。当時すでに飼い猫の習慣があり、ネズミを駆除してくれる大切な存在だった猫だが、一方で豊穣と多産の守り神としても崇められていたという。

造形性に満ちた馬の像や、堂々と前を向いて座る猫の像からは、人間が持っていない神秘的な力が自然には潜んでいるのではないかという想いが伝わってくる。

今回の展覧会でただ一点、日本人の作家の作品がある。現代美術作家の杉本博司のシリーズ写真《海景》の中の一枚だ。写真を構成するのは一面に広がる湖の水面と水平線、そして空だけ。もしこれが人類の出現する前の地球だと言われても何の反論もできない。杉本は人里離れた崖に立つために世界各地を巡り歩いたという。

人間の作り出した文明が地球上を覆い尽くしてしまっている現代において、海と水平線と空しか映っていない写真を撮影した杉本の意識にも、自然への強い畏怖の念が込められているのだ。                                     
雄大な自然の中に人の姿を描いた西洋の風景画の数々。そこには図らずも東洋の山水画とどこか共通する自然観が息づいているように思えてならない。

こうした絵画などの美術品に表現された自然と人間の関係は、作者の意図をこえて現代を生きる私たちに、あらためて人間の文明のあり方を問い直している。私たちが4000年の歴史なかで育まれた芸術遺産に美を感じるのも、こうした深い意味においてなのである。

主要参考文献:E.H.コンブリッチ 「美術の物語」改訂16版、展覧会図録


text:小平信行


『メトロポリタン美術館展 大地、海、空—4000年の美への旅』の展覧会情報はコチラ


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