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友禅と和様 《千總コレクション「描かれた小袖」展 レビュー》

2012 年 7 月 30 日 2,495 views No Comment

京都市中京区にある京友禅の老舗「千總」の創業は戦国時代後期の弦治元年(1555年)にまで遡り、京都に数ある老舗の中でも極めて長い歴史を誇っている。創業当初には主に京都の大寺院に納める法衣(ほうえ)装束などを取り扱っていた千總だが、後に江戸時代の元禄年間(1688年〜1703年)に登場した「友禅染」に着目したことにより、織物から染物への大きな転換を果たした。江戸時代から現在に至るまで、千總が自らの歩みとともに蓄積してきた染織品・絵画・古文書などの資料は「千總コレクション」として知られ、それらは各時代における染織の状況を知る上での貴重な資料であるとともに、現代における千總の新たな創作活動を支えている。

千總本社の2階にある千總ギャラリーで現在開催されている《千總コレクション「描かれた小袖」展》では、明治時代に千總が制作した友禅染を中心に、ただ単に着用されるだけではなく、絵画の主題となったり衣桁に飾られたりして鑑賞の対象にもなっていた友禅染の作品が展示されている。


会場に入って最初に目を引かれるのが《松に友禅染張り物図屏風》である。この作品は修学院離宮の中御茶屋にある小襖絵を参考にしつつ、友禅染の各種技法を駆使したアレンジを加え、屏風に仕上げたものである。画面上では唐草と宝袋文様を描いた豪華な反物と、草花の文様をすっきりと洒落た感じに描いた反物が見事に対比されている。松の木に結びつけられたそれぞれの反物には「伸子(しんし)」と呼ばれる竹串が見られ、この場面が「伸子張り」という和服を洗濯した後の仕上げの工程の様子を表したものであることが分かる。

《松に友禅染張り物図屏風》の元になった修学院離宮の小襖絵を描いたとされているのは、元禄年間(1688年〜1703年)に京都で活躍した扇絵師、宮崎友禅である。会場にはその小襖絵を忠実に模した《松に友禅染張り物図地袋》が《松に友禅染張り物図屏風》と並んで展示されている。当時、宮崎友禅の手によって機知に富む絵が描かれた扇は「友禅扇」と呼ばれ、男女を問わず大いに人気を博していたという。これが次第に着物の意匠にも取り入れられたことで着物の文様や染色技法を指す言葉となり、友禅染の名の由来になったと言われている。しかし、宮崎友禅については生没年や経歴に不明な点が多く、友禅染の技術的確立に直接関与したという確証も得られていない。そのために染色家と言うよりも、友禅というブランドを確立したデザイナーであったのではないかと考えられている。着物を干すということが日常的に行われていた時代において、そのありふれた景色の中に意匠としての面白さを見出して巧みに取り入れた宮崎友禅のデザインは、そういった光景とはほとんど無縁になってしまった現代人にとっても、新鮮さあるいは懐かしさを感じさせる魅力を持っている。

昭和38年から40年頃にかけて宮崎友禅が活躍した元禄時代の文様は再び注目され、それらを模した「元禄風」と呼ばれる柄が流行した。その状況を端的に表したのが、当時を代表する画家であり図案家でもあった神坂雪佳による《元禄舞図屏風》である。この作品では色とりどりの衣裳を見にまとった老若男女が、金一色に着色された六曲一双の画面の中を大きく湾曲しながら一列に連なって踊っている様子が描かれている。およそ50人にものぼる登場人物達の衣裳を見てみると、現在の物に比べて帯が細く、ゆったりとした着付けがされていることが分かる。そして1人1人に特徴的な大柄で色鮮やかな文様が描き込まれており、人々の表情とも相まって元禄時代の享楽的な雰囲気を醸し出している。

《元禄舞図屏風》に見られる文様の中には「元禄風」の流行以前に千總が制作していた友禅染の文様と酷似するものも確認できる。会場に展示されている《縮緬地円環模様型友禅染裂》もその1つであり、ここに見られる円環模様とまさに瓜二つな模様が《元禄舞図屏風》に描かれた人物の衣裳に見ることができる。「元禄風」の流行に伴って、当時の千總も復古調の着物を多く制作したが、その際に先人達が積み重ねてきた資料が大きく貢献していたということは想像に難くない。

会場には江戸時代の後期に作られた友禅染による着物類もいくつか展示されている。《網干に飛鶴文様帷子》や《納戸麻地春秋景に御所車殿舎文様帷子》の名前にみられる「帷子(かたびら)」とは夏に着る着物の一種で、ざらざらした張りのある上質な麻の生地を用いて作られていた。《網干に飛鶴文様帷子》では白い生地の上にのどかな夏の景色が広がっている。肩の部分には雲間に飛び交う鶴が、裾の部分には荒波と芦や網干がそれぞれ藍と金を基調にして描かれており、夏に着るのにふさわしい涼しげな印象を与えている。

《納戸麻地春秋景に御所車殿舎文様帷子》では、春や秋の風景の中に日本の古典文学にまつわる様々なモチーフが散りばめられている。このような文様は「御所解文様」や「江戸解文様」と呼ばれ、江戸時代後期に武家の女性たちが着用した衣服の意匠としてよく見られる。文様自体は身分に関係なく使用されたが、その多少によって一定の区別がされている。《納戸麻地春秋景に御所車殿舎文様帷子》では肩から裾に至る全体が精密な文様で埋め尽くされているが、このようなものは「総文様」と呼ばれ、姫君などが使用する最高位の着衣であった。御所解文様では風景の中から文学と結びつく文様を探し出し、その意味を明らかにすることが鑑賞の楽しみとされ、また当時の女性達はそれによって互いの美意識や教養の高さを競い合っていた。解説によると、右後袖に描かれた殿舎や琵琶からは能楽の「蝉丸」や「玄象」といった琵琶に因む主題が、右腰下の枝折戸(しおりど)垣や夕顔の花からは源氏物語の「夕顔」の帖や同物語を本歌にした能の各曲との関連が考えられるそうである。現代人がこれらを瞬時に読み解くというのは、なかなか大変な作業であるだろう。

友禅染の着物によく見られる文様の1つに「網干文」と呼ばれるものがある。この文様は先に挙げた《網干に飛鶴文様帷子》や《納戸麻地春秋景に御所車殿舎文様帷子》にも描かれている。「網を干す」とあるように、網干とは漁に使う網を三角錐状に吊るして干した姿のことを指しており、こういったものを文様化した例は日本以外には見られない。古くから漁業で使われていた網には植物や動物などから作られた天然繊維が使われており、水中でも腐敗しないポリエチレンやポリエステル系の合成繊維でできた網と違って腐りやすかったため、干す作業が必要とされていた。合成繊維の網が普及した現在では網干の様子を実際に見る機会は無くなってしまったが、兵庫県姫路市の沿岸部には網干と呼ばれる地区が残されており、かつて網干の風景が広がっていた名残を感じさせる。また工芸や建築の分野では今でも網干文が頻繁に使用されているが、《網干に飛鶴文様帷子》に描かれた鶴が長寿を願う吉祥文であるのと同様に、網干文にもまた文様としての面白さ以外にも豊作や豊漁の願いが込められた。染織品などに網干文が登場するのは江戸時代に入ってからのことであるが、その背景には戦乱が終わって世の中が落ち着きを取り戻したことで、これからの生活が豊かになるだろうといった人々の希望が反映されていたのかもしれない。

参考文献:千總コレクション 京の優雅 ~小袖と屏風~  展覧会図録
   

text:上田祥悟

『千總コレクション「描かれた小袖」展』の展覧会情報はコチラ


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