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《真珠の耳飾りの少女》との対話 《マウリッツハイス美術館展  レビュー》

2012 年 7 月 30 日 3,477 views No Comment

かつて小学校の校長室には必ずといっていいほど歴代校長の顔の絵、すなわち肖像画が壁にかけられていた。私が通っていた小学校は明治の創立だから初代の校長は和服姿、ほとんど白黒の肖像画だ。天井近くの高いところの壁にずらりと並んだ歴代校長の顔に見下ろされると、あらたまった気持ちになり、少々緊張したものだ。

人々は婚約や結婚、子供の誕生、名誉ある称号をもらった記念などに画家に肖像画を描かせた。画家の前で正装し、かしこまった姿を画家に描かせる。中にはかわいい子供の肖像画もあるが、肖像画のほとんどは富や名誉を誇示したものが多い。

画家の目当てはお金だ。モデルの注文どおりにかっこいい姿を描く。そこからは描かれた人の真の姿はどうも見えてこない。見ている側と絵の中の人物とのいわば心のやりとりはそこにはない。

しかし時代を経るにつれ、こうした伝統的な肖像画ではなく、その人の表情を見事にとらえ、人間像をあますところなく表現した人物画が出現した。描かれた人と見る者との間にコミュニケーションが成立する、そんな人物画が登場したのだ。その変化の兆しが現れたのが17世紀のオランダ、フランドル絵画の時代である。

今、東京都美術館でオランダ・フランドル絵画の至宝「マウリッツハイス美術館展」が開かれている。今回見ることができるのは、オランダのハーグにあるマウリッツハイス美術館が大規模な改修のため長期にわたって閉館するのにあわせて日本に貸し出された、レンブラントやフェルメールなどオランダ17世紀を代表する画家の48作品だ。

17世紀オランダでは経済発展にともない、それまで西洋絵画の主流を占めていた歴史画ばかりでなく、肖像画や風景画、静物画など様々な絵画が描かれるようになった。経済の発展にともない富裕層があらわれ、彼らはきそって自分たちの姿や気に入った風景を画家に描かせたのだ。

今回の展覧会は作者や年代別ではなく、この時代の絵画を風景画、歴史画、肖像画、静物画、風俗画という5つのジャンルにわけて展示しているのが特徴だ。中でも注目されるのが人間の様々な心の中までもとらえた見事な人物像を描いた肖像画や風俗画だ。

当時の美術書によれば、西洋絵画の世界では聖書や神話、古典文学などに書かれた物語を絵として表現した歴史画の評価が一番高かったという。歴史画を描くためには物語を正確に理解し、構図やモチーフを想像力たくましくして考案していかなければならず、画家には総合的な高い表現能力が求められたのだ。

しかし17世紀という時代は、こうした西洋絵画のヒエラルキーが微妙に変化を始める時代だったとも言われている。画家たちはそれまでの歴史画にはあきたらず、身近な日々の暮らしに眼を向け始めたのだ。

絵の主題は想像力に頼った神話の世界から、日常目にする人々の生活や、人物、風景などへと変わっていく。肖像画の世界でもそれまでの伝統的な手法による人物画も数多く描かれた一方で、モデルとなった人物像をあますところなく描きだした新しい絵画が登場したのだ。

当時のオランダでいわゆる肖像画の世界で名をはせた画家の一人がアンソニー・ヴァン・ダイクである。ルーベンスから最も優れた弟子とも言われ、神童の呼び声が高かったヴァン・ダイク。その代表作の一つが《アンナ・ウェイクの肖像》と《ベーテル・ステーフェンスの肖像》の2枚だ。今回の展覧会でも注目を集める絵画で、いわゆる伝統的な肖像画に分類される名作と言ってよい作品だろう。

当時裕福な織物の商人だったベーテル・ステーフェンスは自らの結婚記念に若き妻アンナ・ウエイクの肖像をヴァン・ダイクに描かせた。黒味を帯びた壁の前でダチョウの羽を手に、当時フランスのファッションの最先端をいく衣装に身を包んだ若妻の眼は、画家のほうをしっかりと見つめるポーズで自信に満ち溢れている。

一方のベーテル・ステーフェンスは少々赤らんだ顔をわずかに妻のほうに向けたポーズで描かれており、富める商人の余裕すら感じさせる表情だ。主人公となった人物のいわば富と地位の強大さが強調され、見ている者はその存在感をいやというほど感じざるを得ない。

こうした伝統的な人物画に対して、17世紀のオランダには野心的な画家たちが現れた。その一人がレンブラントであり、そしてもう一人が今、日本で最も人気が出ている画家、ヨハネス・フェルメールである。

彼らは多くの人物や人々の生活を描く一方、描いたのが「トローニー」と呼ばれる絵画だ。「トロ-ニー」とは頭部の習作を意味するオランダ語で、ある特定の人物を描いたものではなく、画家のイメージする表情や性格を架空の人物像として描いたものだ。

この「トローニー」を描くために、画家は自らの顔や、時には理想の女性を思い出してモデルにすることもあったという。レンブラントとフェルメールはこうした「トローニー」と呼ばれる人物画でいくつかの名作を残している。

レンブラントの残した「トローニー」と呼ばれる絵画2枚が今回の展覧会にも出品されている。《笑う男》と《羽飾りのある帽子をかぶる男のトローニー》の2枚だ。

レンブラントは人の生き生きとした表情を描くことでは並外れた才能を持っていたという。《笑う男》という小さな作品もまたその代表作の一つだ。遠くからではわからないが、近くに寄ってよく見ると、顔の皮膚にも髪の毛にも筆の跡がくっきりと残り、大胆な筆さばきで描いていることがよくわかる。どこか小役人風ないでたちの人物の笑い声さえもが聞こえてきそうな作品である。

もう一つの《羽飾りのある帽子をかぶる男》は華麗な羽飾りのある帽子をかぶった横顔の男の肖像画だ。少々高い位置から見下ろすような視線といい、刺繍のような模様入った衣服といい、誇らしげな男の雰囲気がただよう。

しかしそこには伝統的な肖像画に見られたような一方的な威圧感は感じられない。どこか不安げな自信のなさすらもただよう複雑な感情が込められているように見える。見ている者は絵の中の人物に話しかけると、絵の中の人物は何かを私たちに語りかけてくるような雰囲気すら漂うのである。

こうした描かれた人と対話したくなるような感情を抱かせる人物画の最高峰が今、人気を集めるフェルメールの《真珠の耳飾りの少女》ではなかろうか。

これまでに確認されているフェルメールの絵はわずかに37点だと言われている。その多くが室内に差し込む光の中にたたずみ手紙を書いたり、家事をする女性の姿や、学者が室内で研究をする姿を描いたものが多いが、3点だけ「トローニー」といってもよい作品がある。

その一点が今回話題を呼んでいる《真珠の耳飾りの少女》だ。振り向いた横顔の微妙表情や色彩の美しさ、モデルは誰なのかなど話題に事欠かないが、この絵の本当の魅力はいったいどこにあるのだろうか。

様々な見解が語られているが、その中の一つが美術評論家の高階秀爾氏が提起する少女の目に注目したものである。高階氏は写実的な画家の例としてフェルメールを取り上げているのだが、しかしよく見ると少女の目には不自然な光が小さな白い点として描かれており、そこに少女の表情を魅力的にする最大の秘密が隠されているというのである。

「見ているはずの私たちが振り向きざまの少女に逆に見つめられているようにすら感じられる。それはこの白い点として描かれた不自然で人為的な光の効果によるところが大きいだろう。自然にはありえない白い点として描かれた光が瞳に生き生きとした輝きを与え、その瞳の輝きに見る者は心奪われ立ちすくむのだ。」(高階秀爾著「誰も知らない名画の見方」より)

《真珠の耳飾りの少女》と私たちの間には、描かれた人物が見る者に語りかけるという感情のやりとりが生まれており、その秘密は目に描きこまれた小さな光の反射のような白い点によってなのだというのである。
「自然の通りの即物的な光を描写するかわりに、かならずしも自然のとおりではないが人物に生命感を与えるような光を描き加える。そのことによって瞳は単に外光に反応する一器官としての「目」ではなく内部に精神を宿した「まなざし」となる。そのとき画家は自分が見た対象としてではなく、画家を見ている「人間」を描くことに成功したのである。」(高階秀爾著 同書より)

画家に向かって作った顏ではなく、振り向いた瞬間の少し困惑したような独特な表情。《真珠の首飾りの少女》と私たちの間には目と目があったその瞬間から、実は少女との間で対話が生まれており、そこにこの絵の最大の魅力があるというのだ。

今から300年以上前に描かれた17世紀のオランダ・フランドル絵画。それまで続いてきた神話や物語を絵に表現するといういわゆる歴史画の世界から現実世界を描く新しい表現が芽生えた時代だった。

そうした時代に登場したレンブラントやフェルメール。彼らは対象を忠実に写し取るだけではなく、受けた印象を絶妙な筆さばきで表現した。彼らは描かれた人と見る人の間に対話が生まれるような新しい人物画を描き、現代に生きる我々をも魅了し続ける絵画を残したのだ。

参考文献:誰も知らない「名画の見方」高階秀爾(小学館ビジュアル新書)、展覧会図録 ほか


text:小平信行


『マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝』の展覧会情報はコチラ


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