藤本由紀夫さんインタビュー《もっと知りたい!展覧会》
今回インタビューに応じて頂いた藤本由紀夫さんのアトリエは、神戸にある少し古ぼけたビルの中の一室にある。60年も前に建てられ、以前は倉庫としても利用していたという、このビルの外観からは、中にアトリエがあることがちょっと信じられないくらいだ。
それでもアトリエの中に招かれてみると、綺麗に整理された部屋には、藤本さんの作品が数点置かれていて、まるで小さなギャラリーに来たような気分になる。今回はそのアトリエでインタビューをさせて頂くことになった。
◆現在兵庫県立美術館で開催中の『藤本由紀夫 SHADOW— exhibition obscura—展』について
――今回の展覧会はひとつに、視覚障害のある方へ向けたものという位置づけがありますが?
――もともと引き受けたときの美術館への条件として、視覚障害者のためにはやりたくないというのがありました。条件はみんな一緒。例えば暗くなったときには、我々の方が障害者かもしれない。歩きづらい、見えづらい。ところが元々目の見えない人にとって、それは関係ない。誰にためにじゃなくて、みんなが同条件。当然その中には、視覚障害者もいるし、もっと他の障害の人もいる。耳の聴こえない人でもいい。オルゴールの音が聞けなくても、回して、例えばアクリルのところに手を触れると、振動が伝わるわけです。アートの体験っていうのは色々な形でできるし、「見る」のが一番いいかっていうと、そうじゃない。多分一番ランクは下だと思う。
――藤本さん自身、今回の展覧会を体験してみて、何か思うところはありましたか?
――普通は暗くすると、見えにくくなるわけです。けれども作品は、物によっては逆に見えやすくなるというのが分かりました。特にロダンとかブールデルの彫刻、ブロンズの彫刻っていうのは、明るくするよりは、暗くする方がよく分かる。
――それは触ってということでなく、見て、ということです?
――そうです。彫刻っていうのは、ごつごつしていて黒光りする。ああいう素材、色、形で製作するということは、多分作者も光が当たる部分と影になる部分を考えていると思うんです。けれどもそれに満遍なく光を当ててしまうと、影が消えてしまう。ということは、明るくすることで見えなかったものが、暗くすることでやっと見えてきたのではないかと思う。
――それは展覧会の企画段階から想像していました?
――全然想像してなかったですね。特にブロンズの彫刻には興味を持っていなかったし、何故選んだかというと、美術館の収蔵品の中で触ってもいい作品というのがあれくらいしかなかった。特にあの作品を選んだ訳ではないですが、結果的にはブロンズを選んでよかったと思っています。
◆藤本さん自身の作品について

藤本さんのアトリエ
――ええ、複雑な作品にはしたくないですね。仕掛けが分かるということと、どこにでもあるということ。基本的には自分の身の回りにあるもので、それが全然違ったものになるのではなくて、ちょっとずらさているというのが大事なんです。だからオルゴールがくっついているだけとか、水に映っているだけとか、回転しているだけとか、座って当てるだけとか。そんな当たり前のことだけど、何か違うということが伝わるのが大事。だからあまりに見たことのないものだと、それが伝わらない。凄く奇妙なものを体験した、だとただそれだけのエンターテイメントになってしまう。それに何でもないものに、あっ、と思ったら、今度は日常に帰ってそれを見ると、それまでに見ていた時と同じじゃないことが分かる。
――日常に溢れているものを使うことが重要ということです?
――そうですね。それは凄く意識してやっています。あとはオリジナルの物は作らないこと。もしそういうものを作ったら特殊なものになるわけです。そうするとそこだけの体験になってしまって、日常に帰ってこない。そのためにはシンプルでなければならないわけです。
――『EARS WITH CHAIR』についてですが、ただ耳にパイプを当てるだけなのに、体験した者でしか分からないような面白い音がしますよね。あれは藤本さん自身、つくる前から、ああいう音響現象になることを分かっていましたか?
――あの作品は元々、失敗から産まれて。昔長野県の山奥に、せせらぎの水の音を録音しようと思って行ったのですが、土手があって降りて行けない。それでなんとか水の音を近くで録音しようと、たまたまあったパイプを持ってきて、マイクを突っ込んで水面に近づけてみたんです。それで家に帰ってから再生してみると、あんな音がしていたというわけなんです。それが切っ掛けですね、確か70年代の終わりくらいだったと思う。それから十年くらいして、作品をつくるときに思いついて、それを作品にしたんです。
――作品のアイデアというのは、普段のそういった経験からですか?
――ほとんどそうですね。具体的なアイデアは、ぼくの頭の中にはないんです。頭の中に完璧な作品像があってそれを実現していくのではなくて、たまたまあるものをちょっと変えてみるとどうなんだろう、というところから生まれてくる。凄く特殊なことをしているわけではなくて、ただそれを提示しているだけ、というのがぼくの作品ですね。
――『EARS WITH CHAIR』は展示する場所によって、椅子を違うものに変えているように見えるのですが、それはどうしてです?
――あれは展示する場所がまず問題なんです。人によると、あの作品がよく見える場所に展示するんですけれど、そうじゃなくて座った人に何が見えるか、という場所に置かないと意味がない。だから今回のような室内の場合だと、コーナーが大事になってくる。展示室全体が見渡せる場所だからです。もう一つ椅子ですが、椅子っていうのは座っていなかったら見るものだけれど、座ったら今度は存在がなくなる。使っているときは存在を忘れてしまうけれど、使っていないときは形とか色とかを楽しむことができる。だから椅子が面白いのは、形とか色とか素材とか色々な椅子があることと、実際に座った時の座り心地であったり、ギャップがあったりするところです。だからそういう意味で色々椅子は選んでいるけれど、この椅子でなくてはならない、ということはないですね。よくやっているのは、その展示する会場の椅子を使う。そういうこともあれば、自分で面白いな、と思った椅子を選ぶこともあります。色んな椅子があるけれど、同じ作品でも椅子によって違う。座り心地も変わる。それに当然『EARS WITH CHAIR』で聞くことのできるのはその場所の音なので、設置場所でも変わってくる。
――やはり音と、その時見えているものや、感触っていうのは切り離せないですか?
――切り離せないですね。例えば直角の木の椅子だったら、リラックスして音は聞けないだろうし、体がぐっと入るような柔らかい椅子だとリクライニングの状態で聞くことができる。人間はそのくらいで精神が変わってしまうところが面白い。自分の意思ではないのに。暗くすると、何故かみんな落ち着くんですよね。興奮する人はあまりいない。ぼくたちは、ちょっとしたことで、ころころと精神状態が変わってしまう。
――少し質問を変えますが、実際に『EARS WITH CHAIR』を設置してみて面白かった経験はありますか?
――色々ありますよ。大阪のギャラリーで展示したときのことですが、音についてではないけれど、それを面白いって言った人が、あのパイプを持ったまま外に行ってしまって。
――藤本さん自身は、自分の作品をどう見てもらいたいかというのは?
――そういうのはないですね。オルゴールだって別に回さなくたっていいと思っている。やらないと意味がないというのじゃなくて、例えば座らなくてもいい。見に来た人に対して、スイッチを押してくださいとか、こうして下さいとか、やらされている感じにしてしまうのが嫌なんです。
――自分の意思で作品には触れてほしいということです?
――そう。発見するほうが面白い。こうしてみたら音が出たとか。例えば『EARS WITH CHAIR』でも座ってみて、両耳にパイプを当てない人は結構多い。方耳だけに当ててみたり、全く当てなかったり、でもそれはそれでいいと思っています。面白いのはそれを後で人に聞いて、あれはこうするものだったのか、って言う人が結構多い。そうすると今度同じ作品に出会ったら、その人はきっとまた違うように作品に触れてくれる。
◆藤本さん自身について

藤本由紀夫さん
――自分だけかどうかは分からないですけれど、色々とやっていて思ったのは、自分は音を聞いていない、空間を聞いている、というのが分かったんですよ。音がそこで出て、空間があって、それをどう体験するかが大事であって、音の美しさとかは問題ではないんです。ということは音が聞こえなくてもいい、その空間の響きだけがあれば。ほとんどの音っていうのは、空間が作っている。だから目で見るよりも、耳で聞く方が、空間の状態は分かりやすい。広さとか、長さとか。真っ暗なトンネルがあったとして、どのくらい距離か目では見えないわけですね。けれども「おー」とか声を出すと、トンネルの長さが分かる。多分無意識でやってるんだろうけど、みんな空間がどうなっているか音で確かめている。
――アートに対する、藤本さんの考えがあれば教えて下さい。
――ブルーノ・ムナーリが言っていたのですが。アートっていうのは発見なんですよ。そしてデザインは発明。発明っていうのは今までにないものを、創作することですよね。発見っていうのは、今までにあるんだけれど、誰も気がつかなかったことを見つけ出すこと。
――作品を見る人が、何か新しいことに気づくということです?
――気づくということですね。だから見方を変えるだけで、全然違ったものに見える、っていうのが発見です。今までみんなそういう見方はしていなかったけれど、実は違う見方をすると全然違うように見えてくる、というのが発見。アートはそれが役割。発明っていうのは、新しいものを作っていくわけですから、答えを出すということ。だから分かりやすい。けれど発見するということは、違う見方を見つけるということ。それが大事だと思うんですけれど、実際には大事だと思わない人が多い。こんなの誰だって、こういう見方が出来るじゃない、って。そうじゃなくて、誰も今までこういう見方はしていなかった、ということが大事なんです。その価値を認めていかないと、アートには何の意味もなくなってしまう。重要なのは発見するということだと思う。
――それは現代アートにかかわらず、過去のアートも含めて?
――ええ、ずっとそうでしょう。
そういえばラッセルの哲学入門の一章の最後に、哲学なんてやって何のためになる、ってよく言われるって書いてあったんです。確かにそうかもしれない、哲学なんてやったって何の要求にも答えられないかもしれない。しかし問いを作り出す能力はある。答える力はないけれど、問いを作り出す力はある。それもどういう問いかというと、日常生活に潜んでいる不思議と不可思議を見つけ出す能力は哲学にはある。そのことによって、日常が面白い世界だというのを見つけ出すことができる、と。それを読んで、これはアートと一緒なんじゃないかと思いましたね。

藤本さんのアトリエ風景
――大体やりたいことは出来てしまったのですけれど、こじんまりとしたことをやってみたいですね。元々身の回りの何でもないことに注目して、それをちょっとずらすということをやっているわけだから、それを普段の生活の中でやってみたい。
――それは作品として展示するのでなくて、気がついたら身の回りにあるような?
――それでもいいし、作品として展示するにしても、展示していますよ、とアピールしなくてもいいようなものがいい。もっと普通に体験できるようなやり方ですね。規模の問題がひとつあって、1000人呼ぶとなると、かなり考えないといけない。けれども10人くらい呼ぼうと思えば、今日考えて明後日にはできるかもしれない。そういうのがどんな内容のものでもいいから、出来るようになればいいなと思っている。そういうことに今は興味がありますね。勉強するにしても、どこかに行って学ぶわけではなくて、普通に日常で学べるというのがいい。
――ちょうど今この部屋で聞こえている音のようなもので、ということです?
――そうですね。そういう風に聞いてもらえたり、聞きたい人の話をきくことができたり。でもそれで内容を落とすわけじゃない。今だったら出来るんじゃないかな。
――本日はありがとうございました。
聞き手:浅井佑太
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