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閾(いき)の美学 《ジョルジュ・ルオー 名画の謎  レビュー》

2012 年 5 月 29 日 3,507 views No Comment

月を見るために特別に設計された「月見台」を持つ桂離宮。中秋の名月に行われる様々な行事。月に自らの心を重ねるなど、日本人は古来、月に特別な想いを寄せてきた。月を描いた絵画や工芸品も多いが、私にとって忘れられない一枚がある。

江戸中期に活躍した絵師 円山応挙が描いた《秋月雪峡図》と題された屏風絵だ。横3.5メートルをこえる六曲一双の2組の屏風に描かれているのは一面の雪景色。その中に小さく一軒の家があり、雪の積もった岩山を背景にして、松が雪の重みでしなっている。右側の屏風絵には小川が流れ、遠くには雑木林が靄にかすんでいる。雑木林の向こうに今にも沈みそうな月が小さく描かれ、この雪景色は早朝であることを思わせる。白昼の月によって、夜が明け、昼へと移り変わる時の経過を見事に表現しているのだ。

時代も国もまったく異なるが、ルオーの風景画もまた月が印象的だ。今、汐留ミュージアムで開かれている『ジョルジュ・ルオー 名画の謎』展ではルオーの初期から晩年にいたる版画や油彩画などの代表作およそ100点を見ることができる。

道化師や娼婦、踊り子など人間の悲しみや苦悩を油絵や版画など独特のタッチで描くことで有名なルオーだが、実は多くの風景画も残している。

ルオーが最初に描いた風景画が《人物のいる風景》だ。まだ20代のころだったというが、森と湖、それに水浴する人々を夕暮れのあわい光の中で描いた、どちらかというと古典的な風景画だ。まだあの油彩による太い線で大胆に描くルオーらしさはないが、空には三日月が浮かび、昼から夜へと時間の経過を感じさせる独特の雰囲気はすでに後のルオーの風景画を予感させるものだ。

ルオーのほとんどの風景画に登場するのが月だ。黄色あるいは白い月が輝き、その月光のもとに荒涼とした風景。そしてそこに数人の人物が描かれている。月が天高く煌々と輝いているということは、夜に違いない。しかし不思議なことにどの絵も昼間のように明るい。そしてその舞台は都会でもなく田園でもない、場末の街なのだ。  

ルオーにとってなによりも身近な風景が、生まれ育ったパリのセーヌ河畔であり、華やかな都会よりもわびしい郊外の情景だった。有名な版画集「受難」や「ミセレーレ」などで、人間の苦悩や孤独、悲しみを描いたルオーだが、風景画の中においてもまた、人間の悲しみや苦悩を描くという独自の境地を開いていく。

ルオーの風景画に共通して描かれているいくつかのモチーフがある。先ほど述べたようにほとんどの絵に描かれている煌々と輝く月。月はまだ昇ってきたばかりなのだろうか、あたりには昼間の余韻が残っている。
そして舞台となるもの寂しい町はずれ。水平線に向かって遠くへのびる道と、そこにたたずむ数人の人物。遠くには煙突なのか教会なのか判然としないが、塔のようなものが描かれている。ほぼ同じモチーフと良く似た構図。実際にルオーが見た光景というよりも心象風景のような感じすらする。

そして人物の中にキリストの姿が描かれているのがもう一つの特徴だ。キリストといってもそれは普通の人物と同じで見分けはつかない。「聖書の風景」や「孤独なキリスト」などタイトルから想像するだけなのだが、その姿は村人や子供たちに何かやさしく語りかけるようでもあり、どことなくキリストの雰囲気を漂わせている。

月が照るのに昼のように明るい神秘的な光のもと、静かに語りかけるキリストの姿が描かれているルオーの絵は、それが宗教画であることを意識させるが、その絵にはキリストの誕生や聖書の物語などを描いたいわゆる宗教画の雰囲気はなく、描かれているのは「聖書風景」と呼ばれる独特の世界なのだ。

西南学院大学の後藤新治教授はルオーの風景画286点の調査を行った。その結果によると風景画に付けられたタイトルは「古びた町はずれ」や「夜景」「夕暮れ」「たそがれ」「秋」などが多かったという。そして次のような興味深い指摘をしている。

「ルオーは滅びゆくもの、消えゆくもの、暮れゆくもの、朽ち果ててゆくものの象徴として風景を捉えていた。その風景はある状態から他の状態への移行、推移、漸進的な変化でもある。都市から郊外への、夏から秋への、光から闇への、現在から過去への、日常から非日常への、すなわち中心から周縁への、俗から聖への、生から死への移行であり、推移であり、・・・・あるかなきかのあわいの中に目を凝らしていかなければ見失ってしまいそうな閾の上にルオーの風景は出現する。」(展覧会図録より)

「閾」とは少々難しい言葉だが、国語辞典によれば「あることが意識されるか否かの境目」とある。つまり「閾」の世界とは、以前の状態の面影が残り、これから移りゆく状態もまだ完全には表れていない不思議な時間が流れる空間ということになる。

月が出ているのに明るい風景、都市の面影を残しながら寂しげで荒涼とした雰囲気の漂う郊外という舞台・・・・。ルオーの風景画に描かれているのは、どちらともつかない境界領域、後藤教授が言うところの「閾」の世界なのだ。

実はこうした独特の雰囲気は風景画にとどまらない。ルオーの描く人物像もまたこのどちらとも言えない不思議な表情をたたえている。

例えばルオーが好んで描いた「道化師」。本来であれば人を楽しませる役を担っているはずの道化師だが、その静かに目を伏せた表情や全身像からはどこかあきらめとも悲しみとも言える雰囲気が漂っている。

威厳をもって裁く者としての立場を誇示しなければならない「裁判官」。確かにルオーの太い線描からは威厳が伝わってくるが、一方で人を裁くことの虚しさというか、本心ではないところで物事を決めなければならない宿命を背負わされた人間の悲しみのようなものすら感じさせる。踊り子を描いた作品もある。美しく着飾ったサーカスの踊り子たちの姿を舞台裏で描いた作品だが、舞台での華やかさはなく、どこか孤独でもの寂しげな表情が印象的だ。ルオーは自ら書いた手紙の中で次のように述べている。

「道化師それは私だ・・・我々だ。あの贅沢な金ぴかの衣装、それは人生が私たちにくれるものなのです。私たちは程度の差こそあれ、皆道化師なのです。」

ルオーが描いたのは人間の存在自体が実は2面性を持ち、そのどちらも併せ持つからこそ人間なのだという不条理な事実なのではなかろうか。描かれているのは2つの状態を行ったり来たりして悩みぬいて生きなければならない人間の宿命にも似た姿であり、そこにこそ古今東西共通して私たちが心の奥底で感じる何かがあるのだ。

冒頭に書いた円山応挙の絵に戻ろう。この絵には白とも黒ともつかない、あるいは昼とも夜ともつかない世界が描かれている。多くの人はそうした風景に美を見出し魅力を感じている。

大胆なタッチで描かれたルオーの油絵と応挙の墨絵では、結果としてまったく正反対の世界を描いているように見えるが、実は「閾」の世界を描くということにおいては共通の何かがあるのではなかろうか。

これまでに多くのルオーの作品が日本に持ち込まれ、美術展も数多く開催されてきた。日本人にはルオーの絵のファンが多いのだ。「キリスト教のことはわからなくてもともかくルオーは好きだ。」という人も多いと聞く。

実は私もその一人だが、ルオーの絵の魅力は、生きるということの本質を、あるいは生きるということの悲しみを絵を見る人が感じるからではなかろうか。国や時代を越えて訴える力は「閾」の世界の美学に潜んでいるように思えてならない。

参考文献:「ジョルジュ・ルオー 未完の旅路」(日経BP企画)、展覧会図録


text:小平信行


『ジョルジュ・ルオー 名画の謎』の展覧会情報はコチラ


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