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世界に満ちる模様 《芹沢銈介展 レビュー》

2012 年 5 月 29 日 2,915 views No Comment

1956年に染織の分野で重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた芹沢銈介は、人物や自然、文字や道具類といった身の回りにある様々なものの中に模様を見出し、それらを独自の視点で意匠化して作品に取り入れた。伝統的な染色技法を基にしつつも作家の個性に満ちた芹沢の作品は、染色の世界に大きな足跡を残しただけでなく、現在もいわゆる「芹沢文様」として多くの人々に親しまれている。京都文化博物館で6月3日まで開催されている『宗廣コレクション 芹沢銈介展』には、芹沢作品の蒐集家として知られる宗廣陽介氏のコレクションの中から約150点が出品されている。会場では代表的な染色作品はもちろん、ガラス絵や板絵といった肉筆画、下絵やアイデアスケッチなど、芹沢本人と交流のあった宗廣氏ならではの蒐集品も見ることができる。


静岡県の呉服太物御商に生まれた芹沢銈介は、芸事や書を嗜んだ祖父や父のもとで育った。芹沢の作風において重要な要素の1つになっている文字への関心はこの頃から既に芽生え始めていたのかもしれない。1916年に現在の東京工業大学を卒業した芹沢は、友人との朝鮮旅行の道中で読んだ柳宗悦の「工藝の道」に感銘を受け、やがて彼が先導する民藝運動に加わっていった。宗悦を中心とした民藝思想に賛同する人々との親交を深めて行く中で、芹沢の作品制作に大きな影響を与えたのは、1928年の大礼記念国産振興東京博覧会に宗悦らが出品した民藝館に展示されていた「紅型(びんがた)」との出会いであった。

紅型は沖縄で15世紀頃から行われている伝統的な染色技法である。中国の型紙の技法を取り入れた型染の一種であり、京友禅の手法やインド更紗・ジャワ更紗の影響も受けながら発展した。
まさに海上交易が盛んであった沖縄の特色をよく表している技法といえる。紅型という名称は近代に入ってから使われ始めたもので、「紅」は多彩な色を「型」は多様な模様を指していると言われる。紅型の持つ南国ならではの明快な色彩や模様構成は、当時の芹沢に「こんな美しい楽しい染物以上の染物があるのか」と思わせるほどの衝撃を与えた。紅型と出会った翌年に制作された《柳文帯地》では、柳の葉や枝の伸びやかな模様の中に赤・青・黄といった晴れやかな色がいくつもの層になって現れており、芹沢が紅型を強く意識していたことがうかがえる。

紅型に強く魅了された芹沢が念願であった沖縄の地を訪れることができたのは、紅型の発見から11年後のことであった。沖縄での滞在中、芹沢は実際に紅型の作業工程を学んだだけでなく、沖縄の風物やそこで働く健康的で明るい人々の様子などを目にし、盛んにスケッチを行った。それらを元にして制作された模様の数々は、芹沢が帰京後に発表した《沖縄風物》などの作品群に見てとれる。会場では商店や名所、陶工や往来する人々をモチーフにしたものが展示されている。

《壺屋風物文着物》は南国植物に囲まれた壺屋の窯の様子を意匠にした作品である。鮮やかな赤や黄に染められた建物や樹木が背景の青地に交互に配置されることでリズム感を演出している。壺屋を意匠にした作品はいくつかあるが、比較的後年になって制作された本作では建物の屋根に瓦ではなく唐草文があしらわれるなど、より自由で円熟した文様化が見られる。沖縄旅行で芹沢が出会った魅力的な風物は年月が経つほどに変化を見せ、作品の中に登場し続けた。 


《竹に小梅文着尺》では大きく曲がりくねった藍色の竹に目が引かれる。この独特な竹の表現についても紅型の風呂敷などに竹を円状に表現した模様が見られることから、その影響を受けていると考えられる。またこの作品では竹の幹や葉に白い生地の部分が多く見られる。主役である竹や背景に寒色が使われている中で、染め残された生地の部分は画面全体が重く沈み込むのを防いでいる。芹沢は自らが使用する紙や生地を作った無名の職人達の誠実な仕事に対して、常に敬意を払っていた。《竹に小梅文着尺》に見られるように、余計な色を差さずに生地の白さを生かす手法からは、芹沢のそういった意志を感じることができる。余談だが今回の展覧会図録には《竹に小梅文着尺》の下絵から完成に至るまでの工程が貴重な写真資料とともに掲載されており、作品と見比べながら制作の状況を確認することができる。


芹沢の代表的な作品には私たちが日常的に使っている文字を模様化したものも多く見られる。《丸紋伊呂波屏風》は「いろは」の47文字と様々な絵柄の入った丸紋が交互に並べられた六曲一隻の屏風作品である。この作品に見られる文字には「以=い」・「呂=ろ」・「者=は」のように万葉仮名を草書体に書きくずした「草仮名」が使われている。(万葉集に多く用いられたことに由来する万葉仮名は「許己呂=ココロ」「夏樫=ナツカシ」のように漢字の持つ意味とは関係なく、漢字の音や訓を利用して表記するのに用いられた。)草仮名は平安時代に万葉仮名から平仮名が作られる間の段階で生じ、平仮名が確立した後も書道の分野などでは積極的に使用され続けた。《丸紋伊呂波屏風》では草仮名が表記された丸紋の上下に、その文字の音から始まる日本各地の工芸品が、豊かな色彩で描かれている。「以」には田舎屋、「呂」には蠟燭、「者」には刷毛といった具合に組み合わされた47の文字とその絵柄は、あたかも見る人に謎解きをさせているかのようである。

文字を1つの模様と捉える芹沢の表現は晩年になるにつれてますます多様化したが、中でも「布文字」と呼ばれるジャンルはその最高傑作と言われている。《布文字春夏秋冬屏風》 では「春夏秋冬」の1文字1文字が、一枚の布を捻ることによって作られたように表現されている。このような立体的な奥行きを感じさせる書体を芹沢は布文字と呼び、「春夏秋冬」・「天」・「心」・「信」・「人」といった漢字に好んで使用した。布文字は「飛白体」と呼ばれる中国の書法の影響を受けているといわれている。日本では空海の書などにも見られる書体で、平筆を使って一気に書き上げるという特徴を持ち、一枚の布で形作る布文字と確かに近いものを感じる。《布文字春夏秋冬屏風》には下図が残されており、完成品と並べて展示されている。これを見ると春夏秋冬の布文字に関しては下図の段階から入念に構成されていたことが分かり、完成品との差もほとんどない。布文字の周囲に散らされた四季の動植物の下図が、かなり大雑把であるのとひどく対照的で面白い。

 
今回展示されている芹沢の作品には着物、屏風、壁掛や暖簾といった染物以外にも板やガラスに描かれた肉筆画がある。それらのモチーフとなったのも、やはり沖縄の風物や身の回りのちょっとしたものであった。制作年が不明なものが多いが、晩年に腕を痛めたことが肉筆画の制作を促したとも言われている。型さえ残されていれば模様の再現が可能な型染作品と違い、自由奔放な筆致で描かれた肉筆画は一点ものの作品として貴重である。

また今回の展覧会には出品されていないが、芹沢によるその他の制作活動として、マッチ箱のラベルや絵はがき、カレンダーなどの商業的なデザインも手がけていたことが知られている。当時、質の高い工芸を安く多くの人に提供することは、工芸家による個人制作では実現が難しいとされていたが、手頃な値段と優れたデザインで人気を博した芹沢の作品はその数少ない成功例となった。それから50年以上経った現在、会場出口付近に設置されたグッズ売り場は芹沢文様を施したハンカチや絵はがきなどを求める人々でいつになく賑わっていた。芹沢の手によって生み出された文様の世界は、今なお飽きさせることのない魅力を保ち続けている。

参考文献:展覧会図録
   

text:上田祥悟

『宗廣コレクション 芹沢銈介展』の展覧会情報はコチラ


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