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御遠忌800年記念特別展 解脱上人貞慶 -鎌倉仏教の本流-

2012 年 4 月 7 日 1,812 views No Comment

美術館サイト:http://www.narahaku.go.jp/

2012年4月7日(土)〜 2012年5月27日(日)

奈良国立博物館 東新館・西新館第1室(奈良市登大路町50 奈良公園内)
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午前9時30分 ~ 午後5時
※4月27日(金)以降の金曜日・土曜日は午後7時まで開館
※入館は閉館の30分前まで

休館日:月曜日 <4月30日(月・休)は開館>

10組20名様にチケットプレゼント!<終了しました>

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展覧会の見どころ
解脱上人貞慶(げだつしょうにんじょうけい)は鎌倉時代前期に活躍した僧で、興福寺に入って学僧として将来を嘱望されましたが、やがて笠置寺へ移り、のち海住山寺に住まいました。釈迦如来・弥勒菩薩・観音菩薩・春日明神をとりわけ深く信仰し、戒律の復興につとめるとともに、由緒ある寺々の復興や法相教学(ほっそうきょうがく)の確立に大きな貢献を果たしました。朝廷や幕府からの信頼もあつく、さらに勧進僧(かんじんそう)とも力を合わせて、仏教の再生に尽力したことは特筆されます。
そんな解脱上人貞慶の存在の重要性とその魅力を紹介する展覧会。

解脱上人貞慶
平安時代末期、1155年生まれ。
藤原の貴族の家に生まれるも、5歳で生家が政争に敗れ、没落。8歳で興福寺に入り、11歳で出家・受戒した。国から認定された“国家公務員”のエリート僧として将来を大いに期待されたが、39歳で興福寺を去って、“フリー”に。笠置寺に入って“事務所”を構え、54歳で海住山寺に移り、“公務員規定”にとらわれない活躍をした。1213年、59歳で亡くなる。

貞慶ゆかりの寺
興福寺(こうふくじ)奈良市登大路町
8歳で入寺し、30代まで過ごす。藤原氏の氏寺かつ国の寺として位置付けられていた。貞慶は優秀で将来を期待されていた。

笠置寺(かさぎでら)京都府相楽郡笠置町
興福寺を出た後に住んで再興した寺。古代から有名な霊場で、大きな石に弥勒像が刻まれた磨崖仏(まがいぶつ)がある。

海住山寺(かいじゅうせんじ)京都府木津川市加茂町
晩年を過ごした寺。律学の復興に努めた。観音菩薩の霊場で、海住山寺という名は貞慶がつけた。

浄瑠璃寺(じょうるりじ)京都府木津川市加茂町
九体の阿弥陀如来像がずらりと並ぶ寺。秘仏吉祥天立像は、最晩年の貞慶がこの寺の再興にかかわったころに制作された。

貞慶の思想
貞慶が生きた時代、阿弥陀仏がいる極楽浄土への生まれ変わりを願い、阿弥陀仏だけを信じ、阿弥陀の念仏を唱えるだけで救われるという思想が流行していました。
これに対して、貞慶の思想は、仏教の原点であるお釈迦さまへの信仰に基づき、第二のお釈迦さまともいわれる弥勒仏、どんな悩みにも応えてくれる観音菩薩、そして春日大社の神様・・・など多くの神仏に深い信仰をもっていました。興福寺で学んだ法相宗の唯識「すべてのものが心を離れて存在しない」ことを悟るため、あらゆる行をおこなうことも重んじました。

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《関連書籍》

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  貞慶『愚迷発心集』を読む―心の闇を見つめる
多川 俊映 (著)
¥ 1,995

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