青銅器文明と「倣古(ほうこ)」《悠久の美 ―唐物茶陶から青銅器まで レビュー》
それにしてもなぜここまで文様で覆い尽くすのだろうか。虎や蛇、フクロウといった実在の動物から龍や鳳凰などの想像上の動物、それに唐草文様や幾何学的な図形まで見るものをたじろがせるような文様の洪水だ。中には器の形がふくろうや怪獣の顔になってしまったものもある。今から3000年近く前、日本ではまだ縄文時代だった頃の古代中国では、精緻で奇妙な文様に彩られた青銅器文明が栄えていた。
青銅器は主に豪族など地域の支配者の墓などから発掘されたものが多かったため酒や肉などの神への捧げものを入れる器として作られていたらしい。神々への供物を守ってもらうために、わざと恐ろしげな文様を青銅器に刻んだのではないかとも言われている。
複雑な文様が刻まれた青銅器を作るには高度な技術が必要だ。2つの鋳型を作りそのすきまに銅と錫の合金である青銅を溶かして流し込んで作るのだが、内側に相当する鋳型に細かい文様を刻みこまなければならない。複雑な形の器の場合、鋳型をつくるのでさえ高度な技術が必要な上に、そこに細かい文様を刻み込むとなると、いったいどれだけの時間が必要だったのだろうか。
こうした青銅器を作ることができるのは強い権力を持った支配者だ。おそらく大きな青銅器に細かい文様がたくさん付けられるほど強い力を誇示にしたに違いない。様々な勢力が群雄割拠する古代中国で支配者たちは自らの力を誇示するために絢爛たる文様の入った青銅器を作り、人々の畏れを集めようとしていたのだ。青銅器文明の神髄はこの文様にあると言っても過言ではないだろう。
はるか昔、古代の中国で作られた青銅器の数々。どこか日本人にはなじみのない遠い世界の品々だが、実はかつての日本の文化にも影響を与えていたのではないかというのが今、出光美術館で開催中の「悠久の美」展のねらいの一つだ。
鎌倉時代から室町時代にかけて、「唐物」と称して陶磁器製の茶碗や花器、銅製の瓶、漆塗りの盆など、茶道具を中心に多くの工芸品が中国から伝えられた。こうして日本に茶を楽しむ喫茶という伝統が持ち込まれ、その後日本独自の茶の湯文化の誕生のきっかけにもなった。
実はこうした「唐物(からもの)」と呼ばれた中国から持ち込まれた品物の中でも特に釉薬の美しさできわだつ青磁の花器や、胡銅と呼ばれる銅製の瓶の器形は実は古代の青銅器の影響を受けていたのではないかというのである。
今回の展覧会は3部構成で出来ている。まず第1部では「唐物荘厳」と題され、「唐物」の数々が紹介される。こうした「唐物」、特に青緑色が美しい青磁の花器や天目茶碗、ふっくらとした形が特徴の茶壺などは、当時の富裕層には新しい文化として憧れの的だったという。
第2部は「三代憧憬」と題され、夏(か)から殷、周という三代にわたる文化に思いをはせて中国で作られた主に青磁や銅製の花器や瓶と、古代中国の文明を象徴する青銅器や玉器が比較して紹介される。ここで重要なキーワードとなるのが「倣古(ほうこ)」だ。「倣古」とはあまり聞きなれない言葉だが、古代の青銅器や玉器の形態を別の素材すなわち陶磁器や銅などで再現することだという。
「太古の技と美の伝統を当世風にアレンジして各種工芸作品が誕生し・・・後世へと受け継がれることとなった」(図録より)
「倣古」とは中国の古代文明を継承するある種の芸術運動だったというわけだ。
その代表的な例として紹介されているのが殷の時代に作られた「尊(そん)」と呼ばれる高さ26センチほどの酒を入れる青銅器だ。大きく開いた口、胴から足にかけての形と器の全体をおおう獣面をデザイン化した文様が特徴だ。
そしてこの「尊」と呼ばれる青銅器の形を再現して作られたのが殷の時代から2000年以上後の南宋の時代に作られた青磁の花器、そして元や明の時代の陶磁器製の瓶であるという。青銅器の形が陶磁器で再現される・・・。まさにこれこそが異なる素材で形態を写すという「倣古」なのだという。
また同じく殷の時代に作られた蓋のついた青銅製の壺は、明の時代に作られた「管耳」と呼ばれる銅製の瓶や、南宋時代に焼かれた青磁の花器へと写されているという。
こうした「倣古」の例を比較して見てみると、その形態には確かに共通したものが感じられる。青銅製の「尊」の胴のふくらみは、そのまま青磁や銅製の花器や瓶によく似ているし、青銅製の壺の全体の形は「管耳」と名付けられた瓶に似ており、さらに胴体についている耳のようなつまみも良く似た形のものが両者についていて、確かに形態を写しとった「倣古」の例だといってもよいだろう。
材料が青銅ではなく陶磁器や銅に変化しているものの、形態は再現されており、まさにこれこそが「倣古」と呼ばれる芸術運動の一つ、すなわち伝統の継承であり、古代中国のデザインが数百年あるいは数千年後に甦っているのである。
さらに「倣古」には形態ばかりでなく、色合いもまた写しとっているという。青銅器のあの独特の青が青磁の青として再現され、これもまた「倣古」なのだという。
古代のデザインが長い時を経て後の世に受け継がれ、人々のあこがれの的となっていることは事実であろう。工芸の文化が時をこえてお互いに影響し合う不思議な関係がほのかに垣間見えると言ってもよいのかもしれない。
しかし確かに青磁の花器や銅製の瓶の形が青銅器の形の影響を受けているかもしれないが、青銅器にこめられた人々の精神まで後代の人々は受け継いでいるのかというと疑問がわいてくる。私が重要だと思うのはそこに刻まれた不可思議でどこか霊力を持つようにさえ思える文様が、後の世の工芸品にはあまり感じられないということだ。
今回の展覧会の第3部で並べられているのが、器物の全体を埋め尽くすほどに刻まれた精緻な文様が付けられた青銅器の数々だ。冒頭にも書いたように、およそ人類が作り出したデザインの中でも、青銅器に刻まれた文様ほど見るものを圧倒するものはないだろう。古代中国の青銅器を特徴づけるのは器の形ではなく、刻まれている文様であり、これを抜きにして青銅器文明を語ることはできないとさえ思えるのだ。
デザイナーの原研哉氏は青銅器に刻まれた圧倒的な文様には集団の結束を維持するための強い求心力が秘められているのではないかという。
「複雑な青銅器はその求心力が目に訴える形象で顕現したものと想像される。普通の人々が目のあたりにすると思わず「ひょええ」と畏れをなすオーラを発する複雑・絢爛なオブジェクトはそのような暗黙の役割を担ってきた。」(「日本のデザイン」より)
青銅器に刻まれた文様。それは美を追求して生まれたものというよりも、権力の誇示であり、さらに言えば「古代の抑止力」(「日本のデザイン」より)という指摘があたっているように思えてならない。青銅器を作った人々の思いはそこに刻まれた文様に込められていると言っても過言ではないのだ。
「倣古」と呼ばれる芸術運動がもたらした古代の文明へのあこがれと再現。それは中国の文明が生み出した青磁の花器や茶碗のあの流れるような美しいシンプルな形態の写しであり、青銅器の神髄ともいえるあの複雑怪奇な文様が対象ではなかったのではなかろうか。
日本では「唐物」がはやった時代のすぐあと、室町の後期から桃山時代にかけてシンプルを通り越し、何もない空間をめでる「わび」「さび」という、ある種革命的とも言えるデザインの文化が誕生した。今はやりの「シンプル」を数百年も前に創造していた日本のデザイン文化が、こうした時代に生まれたということを踏まえると、なおさら「倣古」という芸術運動の真の意味はいったい何だったのか、もう一度考えざるを得ないのである。
参考文献:「日本のデザイン」原研哉著(岩波新書)、「やきもの鑑賞入門」出川直樹著(新潮社)、展覧会図録
text:小平信行
『悠久の美 ―唐物茶陶から青銅器まで』の展覧会情報はコチラ
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