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手の平サイズの美の世界 《印籠百展 レビュー》

2012 年 3 月 29 日 2,442 views No Comment

京都市東山区にある八坂神社から清水寺まで続く町並みは、市内でも特に京都らしい雰囲気が感じられることもあって、常に大勢の人々で賑わう人気スポットとなっている。清水寺の門前町として発展してきた三年坂にある清水三年坂美術館は比較的小規模な美術館ではあるが、幕末から明治時代にかけて作られた細密華麗な美術工芸品を数多く収蔵していることで知られている。その展示作品の質の高さから、何気なく立ち寄ったものの思わず長居してしまう旅行者も多い。この美術館の主な収蔵品は金工、七宝、蒔絵、京薩摩などの工芸品で、それらの一部は館の一階にある展示会場で制作工程や材料、道具類の丁寧な解説とともに常設展示されている。館の二階には特別展・企画展の会場があり、現在は清水三年坂美術館が誇る印籠コレクションの中から名工達の逸品を選抜した『印籠百展 - The Myriad World of Inro』が開催されている。

印籠はもともと印鑑や印肉を入れるための容器として、室町時代に中国から伝わったとされている。その後薬を入れる箱としても使用されるようになり、印籠=薬籠としても通用するようになった。腰提げの印籠は武士が戦場へ赴く時や正装時の必需品であったが、江戸時代になると町人の間でお洒落を演出する小道具として流行した。そのためこの頃の印籠には実用性のみならず、注文主の趣向を反映した、装飾的で美術工芸品としての側面が強いものが現れるようになった。やがて江戸文化の成熟とともに印籠の装飾技術は最高潮に達したが、生活様式が劇的に変化した明治維新以降は浮世絵などの分野と同様に急速に廃れていった。人々の生活に不要となった印籠は、その多くが海外のコレクターの手に渡り、現在に至っている。清水三年坂美術館が誕生するきっかけとなったのも、現在の館長がかつてニューヨークのアンティークモールで目にした印籠に感銘を受けて蒐集を始めたことにある。


《紅葉に烏蒔絵三段印籠》は江戸の蒔絵師古満寛哉による烏の黒と紅葉の朱の対比が鮮やかな印籠である。銀地に描かれた烏の黒は木炭粉や銀粉を用いて水墨画のような濃淡を出す「墨絵蒔絵」によって表現されている。普通、水墨画風に仕上げる墨絵蒔絵では金と黒、あるいは銀と黒といった2色のみを使用するそうだが、この作品ではあえてその慣習を破り、大胆な朱色が加えられている。古満寛哉が所属していた「古満派」は3代将軍徳川家光の治世から幕府御抱えの蒔絵師の名門として知られていた。印籠蒔絵師として流派の名に恥じない活躍をしていた寛哉には何人かの弟子がいたが、そのうちの1人が後に幕末から明治期を代表する漆芸家・画家となった柴田是真であった。是真は11歳で古満寛哉の弟子となり、その蒔絵技術を学んだ。16歳の時には江戸で円山応挙の流れを汲む鈴木南嶺にも弟子入りし、写生画を学んでいる。是真の号である「令哉(令=嶺)」は2人の師の名に由来している。

今回出品されている是真の作品の1つに《千社札図蒔絵印籠》がある。この印籠は何よりもまず形状が筒型であるという点が独特である。印籠の形にはいくつかのバリエーションが見られるが、筒形の印籠は是真の作品以外に例がない。加えて《千社札図蒔絵印籠》では全体に朱色がかけられ、その上に注文主であろう袋物商の屋号を記した「千社札」が描かれている。千社札は神社や仏閣に参拝した際の記念に社殿に貼りつける紙札で、氏名や住所、店名などが書かれている。金銀蒔絵と黒漆で扉に貼られた千社札や扉の金具、金具に張られた縄を表し、それぞれが余白を大きく取って配置されていることで背景の朱が際立っている。金や銀を惜しみなく使って装飾を施した印籠が多い中で、是真の作品は形状・モチーフ・構成とどれをとってもその異色ぶりを感じさせる。


印籠は、例えばそれが御上への献上品であっても、例外的に作者の銘を入れることが許されていた。いつ頃からそうなったのか正確な時期は分かっていない。ただこの習慣があったことで、現在多くの名工とその作品を結びつけることが可能となっている。幕府が置かれ、武家も多かった江戸では特に印籠の需要が高く、古満寛哉や柴田是真を含め、名が残っている蒔絵師が多い。反対に武家の少なかった京都では当時多くの蒔絵師がいたことが想像できるが、印籠があまり作られなかったために名が残っている蒔絵師も江戸に比べると少ない。

《祇園祭礼図蒔絵印籠》は京都の印籠蒔絵師、塩見政誠の作品である。祇園祭は京都市東山区祇園町にある八坂神社の祭である。祭の主役である「山」や「鉾」には今も昔も町ごとに趣向が凝らされた様々な国の装飾品が飾られる。この印籠の正面には、豪華に飾り付けられた山や鉾の上で祇園囃子を奏でる人々が、金銀粉や切金、青貝、色漆などによって色彩豊かに表現されている。裏面には東山の山並みや社寺仏閣、鴨川とそこに架かる橋がこまめに描かれており、京都の蒔絵師ならではの作品となっている。またこの作品のように季節感を強く意識した印籠は一年を通してではなく、その季節に限定して身につけられていたと考えられる。

《八橋蒔絵四段印籠》の作者である山本春正もまた京都で活躍した蒔絵師である。作品では燕子花の花が咲いている八橋を傘を差して渡る2人の女と、それを前方から振り返って見ている男が描かれている。春正が得意としたのは赤や緑、青といった色粉を使用する「色絵研出し」の技法であり、この作品でも傘や着物の細部まで色鮮やかに仕上げられている。八橋と燕子花と言えば伊勢物語中の「八橋」の場面を連想させるものとして、絵画や工芸品によく取り入れられてきたモチーフであるが、今回の作品に登場する人物とその服装から判断すると、春正は物語との関連性よりも、自身が目にした当時の八橋の様子を浮世絵的に表そうとしたように受けとめられる。


多くの印籠では紙を重ねたものを胎(紙胎)としている。紙胎には軽くて丈夫な上に木地と違って経年変化しにくいという利点がある。また蒔絵による装飾も施しやすい。会場内には紙胎印籠の制作過程のサンプルが展示されており、工程を知る上でとても参考になった。一方で、紙胎ほどではないが木・象牙・陶磁器・金属を胎にした印籠も存在する。そういったものには蒔絵以外の装飾がされていることが多い。

《笹にカタツムリ図木彫印籠》は根付職人であった自侃眼文(じかん がんぶん)の手によるものである。「根付」は印籠や巾着、煙草入などを帯に挟んで提げる時に用いる留め具で、象牙や硬い木を彫って作られる。印籠の装飾性が増したのと同時期に根付にも様々な趣向が凝らされ、小型で精微な彫刻作品とみなされるようになった。当時は印籠と根付の組み合わせを変えたりして楽しんでいたようだが、現在では別々に鑑賞することも多い。眼文の印籠にはいかにも彫り師らしい特徴が多く見られる。古くから銘木として珍重されてきたタガヤサンをくり抜いて胎とし、それを土台に緑色に着色した象牙や黒檀を埋め込んで笹の葉を表現している。枝には金、変色した笹の葉には銀、笹を這うカタツムリには牛角を使用し、精密に加工したものを埋め込んでいる。中でも牛角の持つ独特な質感を絶妙な形でカタツムリに取り入れているところに、その技量の高さを感じた。この印籠に付属している根付も当然眼文が手掛けており、竹の根と黒檀で作ったキノコの形に金や銅で腐っているような表情を加えている。作者が同じなだけあって印籠と根付が見事に融和した作品であった。

この《笹にカタツムリ図木彫印籠》が個人的に気に入ったこともあり、眼文についてネット上で調べようとしたが、作品はおろか作家のプロフィールすら見当たらなかった。そこでアルファベットにて Jikan Ganbun と打ち込んでみると、海外にある様々なギャラリーのサイト上に眼文の作品やその簡単な解説文を確認することができた。作品が見られてうれしかった反面、国内における印籠・根付に関する研究が難航している理由の一端を改めて知ることとなった。

参考:緑青(Vol.39)
   

text:上田祥悟

『印籠百展 - The Myriad World of Inro』の展覧会情報はコチラ


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