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「混沌の中の秩序」カオス的絵画の魅力《ジャクソン・ポロック展  レビュー》

2012 年 3 月 29 日 7,610 views No Comment

カオスという言葉を広辞苑でひくと2つの意味が書かれている。「宇宙誕生の前の混沌とした状態」ともう一つ「初期条件のわずかな差が長時間後に大きな差となってあらわれ、予測ができない現象」である。

カオスという言葉を私たちはよく「混沌」とか「無秩序」という意味で使うが、そこにはもう少し深い意味、すなわち「一見混沌とした状態に見えても、その先には秩序が予想される」あるいは「ミクロな視点で見ると無秩序であるが、長い時間をかけて観察するとそこには秩序が存在する」という意味もこめられているのだ。

今、東京国立近代美術館でアメリカの20世紀抽象絵画の巨匠ジャクソン・ポロック展が開かれている。生誕100年にあたる今年開催されているこの展覧会はアクション・ペインティングの様式で知られるジャクソン・ポロックの日本で初めての大規模な回顧展だ。

中でも注目されるのが1950年頃のいわゆるポーリングと呼ばれる技法でキャンバス全体を線で埋め尽くすポロック独自の絵画だ。

床に置いた大きなキャンバスに流動性のある塗料を流し込んで描く絵画はそれまでの絵画にはなかった新しい手法で描かれている。私にはこの時代のポロックの絵画はまさにカオス的な絵画ではないかと思えるのだ。

原始時代の洞窟壁画から宗教絵画、印象派の絵画、写実絵画、さらにはキュビズムなど近代から現代の絵画にいたるまで目の前の対象やそこから受けた印象、さらには対象と自分との関係や心の内面などが描かれてきた。描かれた絵画は何らかの形で対象物と作者の関係が表現されていた。

しかしポロックの1950年頃の画面全体を同じようなパターンで描く絵画はこの概念を大きくくつがえすものだ。具象的なイメージはもちろん、抽象的な形態すらないまったく新しい絵画の領域に踏み込んだのだ。
そしてこうしたポロックの絵画に対して当時様々な批評が飛び交った。その代表的なものが「カオス」という言葉を使った次のようなものだ。

「カオス、ハーモニーの絶対的な欠如。構造上の組織化の完全な欠如、どんな初歩的なものであろうと、とにかくテクニックのまったくの不在。再びカオス」

当時のタイム誌はこの批評を「カオスだ。くそったれ」という刺激的なタイトルで掲載した。そしてなんとポロック自身が次のように反論したという。

「カオスなんかじゃない。くそったれ」。(以上展覧会図録より)

冒頭にも書いたように「カオス」という言葉には「宇宙の誕生の前の混沌とした状態」であり「一見混沌とした状態に見えても、実はある一定の範囲の中で秩序だって変化している現象」という意味を含んでいる。

タイム誌に掲載された批評は「カオス」をただ単なる無秩序、混沌という意味で使っており、ポロック自身の反論もまた同様だが、これはカオスという言葉の真の意味を理解していない結果出てきたものだといえよう。

今回の展覧会にはポロックの「オールオーヴァー」な構成の絵画の代表作がいくつも展示されている。その中の一つテヘラン現代美術館所蔵の《インディアンレッドの地の壁画》。大きさ横2.4メートル、縦1.8メートルの大きな作品だ。赤褐色のような独特の色の地の上に白い線がメインになり、黒い線が入り乱れ、点々と黄色や青、赤などの色彩が印象的な1950年、ポロックの絶頂期の作品だ。壁画と名付けられた作品はこのほかに1枚あり、ある邸宅の壁にかけられる目的で制作を依頼されたものだという。

細かく重ねるようにキャンバス一面に描かれた線は一本一本に独自の動きがある一方で、その無数の線が重層的に重なることで、どこか生命の躍動感すらも生まれている。そして絵を見ているというよりも絵に包み込まれているといったほうがよいかもしれない不思議な感覚に襲われる。ポロックの絵画の最大の魅力の一つがここにある。

その背景にあるのがまさにカオス、すなわち「混沌の中の秩序」なのではなかろうか。ポロックの「オールオーヴァー」な構成の絵画がカオス的絵画というのは混沌の中にも秩序を感じさせる何かがあるように感じられるからなのだ。

上下も左右もない。作者自らの意思を離れてキャンバスンの上を動きまわる筆の軌跡。そこに生命の躍動感すら感じさせる秩序が感じられるのは何故なのだろうか。ポロックは絵を描いているときの心境を次のように語っていたという。

「画家は文字通り絵の中にいる。自分の絵の中にいるとき自分が何をしているのか意識はない。絵にはそれ独自の生命がある。私の務めはそれを画面に出現させることである。」(千足伸行著「20世紀の美術」より)

今回の展覧会では会場の一番奥の部屋に一枚だけ展示された《インディアンレッドの地の壁画》。近くに寄ってみる人、あるいは遠くから眺める人など様々だが、印象的なのは絵と反対側に置かれた椅子に腰かけ、長い間絵を前に瞑想する人が多いことだ。

大きな空間に一枚だけ掛けられた大作。それはどこか祭壇に掲げられた宗教画のような雰囲気さえ漂わせている。描かれた線の意味や、その線のひき方の法則などを探っても無駄だろう。確かに混沌、無秩序という評価があたっているかもしれない。

しかし遠くから長い時間眺めていると不思議と様々な思いが甦ってくる。それは都会の喧騒であり、時間に追われ、様々なしがらみの中にいる私たちの心の中であったり・・・。

一枚の絵が様々な想像力をかきたてる。そしてしばらくするとどこか心を落ち着かせるような静謐さが浮かび上がってくる。

「その一見したところの荒々しい混沌の向こうに、何らかの種類の静謐な秩序を見る者に感じさせる」(展覧会図録より)

ポロックの線を交錯させた「オールオーヴァー」な構成の絵画の魅力。それは混沌の中に秘めた秩序の存在であり、まさにカオス的絵画だからこそ持つ表現の賜物なのではなかろうか。

参考文献:千足伸行著「20世紀の美術」(東京美術)、展覧会図録


text:小平信行


『生誕100年 ジャクソン・ポロック展』の展覧会情報はコチラ


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