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アート・パトロネージ 《華麗なる京蒔絵 -三井家と象彦漆器- レビュー》

2011 年 12 月 28 日 3,026 views No Comment

江戸時代の後期、京都の蓮光寺に白象の背で胡座する普賢菩薩(ふげんぼさつ)を描いた蒔絵額が奉納された。その見事な出来栄えは都中の評判になり、人々はその蒔絵額の作者である西村彦兵衛の「彦」と彼の屋号であった象牙屋の「象」をとって「象彦の額」と呼び讃えた。これが現在も京都にある高級漆器の老舗、「象彦」の名の由来とされている。

象彦といえば、特に関西圏では漆器専門店としてよく知られており、象彦漆器は日常的に使うものからハレの日のものまで、多くの家庭に普及している。また京都という土地柄もあって、歴代の象彦は宮中や上層階級の御用も勤めてきた。そんな象彦漆器だが、幕末から明治維新へと移り変わる激動の時代には存続の危機に晒されたこともあった。それまで高級漆器の主要な注文主であった大名は没落し、残された富豪層も天皇の東京行幸に伴って東京へと居を移していった。加えて、生活様式の西洋化による漆器そのものに対する国内需要の低下もこの事態に拍車をかけた。その結果、多くの職人が離散し、代々続いた有名な塗師屋や蒔絵師も姿を消した。蒔絵の施された漆器を焼いて、残った金を取ることを業としていた者がいたと言われるのもこの時代である。

「江戸店持ち京商人」と呼ばれた三井家は江戸に店を構えながら京都に住み、古くから京文化の一端を担っていたが、明治維新以降の西洋文化の流入に伴う日本の美術工芸の衰退を危惧し、やがて京都の工芸を積極的に支援し始めた。象彦もまた蒔絵の分野においてその手厚い庇護を受け、重用されることとなった。


京都の細見美術館で2011年12月3日から2012年1月29日まで開催されている展覧会『華麗なる京蒔絵 -三井家と象彦漆器-』では、三井家の依頼によって象彦が制作した蒔絵漆器の数々を鑑賞することができる。今秋の9月17日から11月13日にかけて、作品数は異なるが東京の三井記念美術館でも同様の特別展が行われており、今回の展示はその関西版となっている。距離的な問題から一度は見に行くことを諦めていた身としては、京都での開催にうれしさ一入であった。

三井家旧蔵の象彦漆器はこれまであまり一般公開されたことがない。出品作品を一望してみると、実際に使用された形跡がほとんど見られないことに気付く。それらはあくまで三井家の室内を飾る観賞品として製作されており、そこには選りすぐりの材料や技術、意匠が用いられている。

会場に入ってすぐのところに《普賢菩薩騎象図(ふげんぼさつきぞうず)》が展示されている。この絵は最初に述べた「象彦」の名の由来になった蒔絵額の原図と伝えられているものである。残念ながら蒔絵額そのものは天明8年(1788年)に京都で発生した史上最大規模の火災「天明の大火」によって消失したとされている。その蒔絵額を制作した三代目西村彦兵衛は蒔絵技術に精通し、その腕前は朝廷から「蒔絵司」の称号を授けられたほどで、象彦歴代の当主の中でも突出した存在であったという。しかしながら、そもそも象彦は漆器商であり、三代目のように自ら筆をとって制作を行うというよりは、木地師、塗師、蒔絵師など多くの職人を統括し、材料・技法・意匠までを監修するアートプロデューサー的な存在であった。出展作品の作者名が象彦作ではなく象彦製となっているのもこのためである。


八代目西村彦兵衛製の《雲龍文蒔絵経箱》は厳島神社に所蔵されている国宝《金銀荘雲龍文銅製経箱》(1164年)の文様をモチーフにした作品である。蓋表中央に配された二匹の龍が吐く雲気の中から蓮華座にのった五輪塔が現れる、といった意匠はそのまま借用しているものの、経箱の形状や文様の配置にはアレンジを加えている。更に全体に地蒔き(蒔絵の一種)を施すことでオリジナルよりも一層きらびやかな作品になっている。同じく八代目製の《宝相華文蒔絵二重手箱》では、仏教における空想上の花文である宝相華文を左右対称に配置するなど、奈良時代に流行した唐の様式を思わせる意匠が見られる。作品解説によると、正倉院宝物にある《緑地彩絵箱》(8世紀)などに類似点が見られるという。また《緑地彩絵箱》の緑地は顔料の緑青で彩色されているのだが、《宝相華文蒔絵二重手箱》では緑地に緑の色漆を塗っている。漆工技法を使用することによるアレンジがここにも見られる。

《雲龍文蒔絵経箱》や《宝相華文蒔絵二重手箱》 をはじめ、会場にある象彦漆器はそのすべてが明治時代から昭和初期に制作された比較的新しい作品である。それらの意匠は様々な時代の作品を研究し参考としているため、部分的にどこか見覚えのあるものも多い。作品一つ一つに参考にしたものの時代性が色濃く現れている。

《楼閣山水蒔絵文台硯箱》は江戸時代の中期に大名たちの間で流行した「常憲院時代蒔絵」の様式を彷彿とさせる。五代将軍徳川綱吉の院号に因んだこの蒔絵の特徴は、金銀を多量に使い技巧の限りを尽した精密な蒔絵にある。文台と硯箱を一具とする《楼閣山水蒔絵文台硯箱》も全面を金銀で装飾し、特に見せ場である楼閣や山、流水部には金銀金貝(薄板)で緻密な加飾が施されている。また作品全体が金銀に覆われた中で唯一椿の花には珊瑚が埋め込まれ、その薄紅色が絶妙なアクセントとなっている。このような珊瑚の使い方は、表現に合わせて適切な素材を巧みに扱った琳派の作風を思わせる。近い例で言えば「常憲院時代蒔絵」が流行したのと同時代の京都の琳派蒔絵師、永田友治は兎の目などに珊瑚を使用している。

珊瑚の他に鉛や厚貝、陶片などの素材を埋め込む技法は江戸時代から既に行われていた。しかし、象彦による《月宮殿蒔絵水晶台》では何種類もの鉱石を蒔絵の中に埋め込むという更に大胆な手法がとられている。この台は三井家が所蔵する水晶玉を飾るために制作された。月宮殿とは仏法守護の十二天の一人である月天子(月を神格化したもの)の宮殿のことで、台の中板に楼閣として表されている。またこの台には肝心の月が描かれておらず、天板に飾られる水晶玉を月に見立てて鑑賞することを意図して作られている。そのような趣向に加えて、波打ち際の岩の表現には孔雀石、水晶、方解石、方鉛鉱、黄銅鉱といった鉱石が使用されており、それらが放つ独特な光によって神秘的な雰囲気が演出されている。これらの鉱石は「三井の御三家」の一つとして三井財閥の発展に貢献した「三井鉱山」が所有する鉱山から産出したものと言われている。

鉱石に限らず、三井家が象彦に特別注文をする際には、蒔絵の材料となる金塊や銀塊なども三井鉱山から支給されていたことが分かっている。このことが貴重な材料を惜しげもなく使った、お金に糸目をつけない制作を可能にしたのだろう。三井家の財力と象彦が培ってきた技術力、そして古き時代の名品研究によって生み出された絢爛豪華な象彦漆器の数々は、まさしく京蒔絵の最高峰と言える。


細見美術館から北に向かって100メートルも行かない所に、今年で創業350周年を迎える象彦の本店がある。10月にリニューアルオープンが行われ、従来の店舗スペースに加えて象彦漆美術館(2階一部分)が新たに併設された。こちらでは現在、開館記念特別展として『象彦所蔵の逸品—淀君から現代まで—』が開催されている。ここに展示されている作品数は少ないものの、ガラス越しではなく直に作品を鑑賞できるのが非常に魅力的である。また店舗スペースではスイスの老舗時計メーカーとのコラボ商品など象彦の最新情報を得ることができるので、興味のある方はぜひとも足を運ぶことをお勧めする。


参考文献:展覧会図録


text:上田祥悟

『華麗なる京蒔絵 -三井家と象彦漆器-』の展覧会情報はコチラ


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