カメラの視線・もうひとつの目《安井仲治の位置 レビュー》
写真はそれを撮った人が、どのように世界を見ているのかを教えてくれる一つの手がかりになる。そのことは技巧を凝らしたプロよりも、われわれのようなアマチュアの写真の方が理解しやすいかもしれない。たとえば親しい友人と旅行したときのことを思い出してみるといい。旅を終えてお互いの撮った写真を見比べてみたとき、ほとんど同じ景色を共に見ていたはずの相手の写真が、不思議なほど自分のものと異なっていることに驚かされた記憶のある人は少なくないだろう。しかもそれは目線の高さや、被写体の選択、あるいはカメラの機能といった外的な要因に限ったものではない。話し方や筆跡にどことなくその人の性格が浮かび上がるように、写真にはそれを撮った人独特の空気感のようなものが反映されているのである。その意味で、写真とはその人のものの見方を映し出す鏡に他ならない。
『安井仲治の位置』で取り上げられている安井仲治(1903-42)は、戦前の日本を代表する写真家である。新興写真、もしくは1930年代の前衛写真を代表する存在のひとりとして知られている。彼が活躍したこの時代はまさに、写真が写真としての独自性を主張しはじめた時期であることは先に触れておかなければならないだろう。報道写真や広告写真といった概念が人口に膾炙しはじめるのもこの時期である。芸術としての写真の価値についても述べるなら、それまでのぼかしや被写体の配置によって写真の絵画的な表現を目指したピクトレアリズムから、写真独自の表現様式の獲得を目指したストレートフォトグラフィへと時代の趨勢は移っていく。
たとえば1941年の《流氓ユダヤ 窓》と題された作品からも、彼の目指した方向性の一旦を窺い知ることができる。日本に亡命し、神戸に一時滞在していたユダヤ人を捉えたこの写真は、鋼鉄のような冷たい質感が鑑賞者の目をひきつける。写真そのものには、とりたてて作為的な部分は感じられない。偶然の一瞬を捉えたものか、少なくとも細やかな演出で飾り立てたものでないことだけは確かである。しかし曲線的な要素の一切ない縦長の窓と、そこに何かから隠れるようにして外を窺うユダヤ人の視線には、写真でしか表現できないような冷徹さがある。窓の向こうの暗闇から、画面の左隅に僅かにのぞく面影。黒く塗りつぶされた室内の画面と窓枠の白のコントラスト。「報道写真」という訳語の生みの親である伊奈信男が、写真の独自性として挙げた「機械性」と「社会性」という言葉に、これほどふさわしい作品もそうはないだろう。
この写真を見れば分かることだが、絵画的な要素を拒絶する傾向が新興写真にはあるとはいえ、それは単に無作為にカメラを構え、見たままに写真を撮ることとは全く違っている。少なくとも安井にとっては、それは写真独自の表現を狙うものであって、単なる即物主義とは一線を画したものであったことだけは間違いない。写真がその人のものの見方を映し出す鏡であるとすれば、彼はむしろその独自性を大胆に活用することで、一般の人々が共有しているような世界の見方を押し広げようとした写真家であった(そしてここにこそ、アマチュアの記録用の写真と、芸術としての写真の決定的な違いがあるのかもしれない)。いわば彼にとってカメラは、人間の目とは異なる、もうひとつの世界を見る目なのである。だから彼の写真にはつねに、単なる目でみる光景とは違った、異質感のようなものがへばり付いている。
《惜別》(1939-40)と題された写真でも、彼は写真の効果を活用し、列車から見る出征兵を見送る人々の姿を切り取っている。輪郭がぼやけ歪んだ群集に写る列車の速度、中央にただひとりピントのあった女性の姿。この写真には大胆なトリミングがほどこされているというが、ここにも彼が写真独自の特性と効果を画面に取り入れようとした痕跡を見ることができる。この写真は同時代の出来事をとらえるという意味では確かに報道写真ともいえる。しかし明確な主役(つまり一人だけピントのあった女性)の設定と、速度が人々を取り残す様には、疑いようもなく安井個人の意思が介在しているように見える。それは社会的な記録であると同時に、彼個人が見たひとつの世界の姿に他ならない。そしてそれは写真という機械を通すことによって、初めて誰もが見ることのできるものになるのである。
本展では彼の作品とならんで、彼の蔵書や同時代人の作品がいくつか展示されている。面白いことに安井の蔵書の中には、当時紹介されていた最新の画集や美術書が数多く含まれている。そのような画家の中からいくつか名前を挙げるなら、ピカソ、マックス・エルンスト、アンリ・マティス――、日本で出版されたものに限らず、海外の美術雑誌まで収集しているくらいだから、彼の西洋画に対する関心の高さが窺える。恐らく彼は、これらの画家たちから写真の構成法や、物体をとらえる技法などを学んだこともあったのだろう。絵画的な表現を離れ写真独自の表現を獲得する際に、逆説的に絵画の表現法を学ぶことが有効であったという事実は興味深い。実際に彼の写真には、しばしば先に名前を挙げた画家たちに特有の構成感覚が生かされているようなところがあるように思える。《斧と鎌》や《シルエットの構成》の影の捉え方など、写真的であると同時にどこか絵画的でもある。立体を平面へと落とし込むセンス、あるいは敢えてその平面性を強調することで画面の構成を狙う手法。こういった要素は、まさに20世紀絵画が試みてきたものに他ならないだろう。
実際の創作期間はそれほど長くはないものの、多岐に渡る安井の写真を総括することは難しい。そこには純粋に報道写真と呼んでも差し支えないものから、明らかに画面を構成するために対象の配置を人為的につくりあげたものまで多彩である。しかしいずれにせよ、それらの写真には、どれも何らかの意図をもった視線が介在している。最後に彼の写真をもう一点だけ紹介しておこう。《雪》と題された1941年の作品。そこに映し出されているのは、タイトルの示すとおり、積もった雪の表面だけである。この写真に写されたのと似たような光景は、恐らく適当な雪山に行けば簡単に見つかることだろう。けれどもこの作品にある雪肌のざらついた表現や、深く表面をえぐる影の表情は、安井のカメラを通してしか見ることのできないものであることもまた事実である。それはわれわれが普段知覚している風景ではあるが、このような知覚の仕方は今までされなかったものなのである。カメラはその人が見たものを写すと同時に、そこに映し出されるものはその人の瞳に映るものとは絶対に同じものにはならない。釉薬を塗った陶器のように、現像してみるまでそれは撮影した本人にすら分かることはない。写真は現実でありながら、ひとつの虚構に過ぎないのである。そしてここにこそ、写真という媒体の独自性は存在しているのかもしれない。
彫刻家で詩人でもあった高村光太郎は、次のような言葉を述べている。
「路傍の瓦礫の中から黄金をひろい出すというよりも、むしろ瓦礫そのものが 黄金の仮装であった事を見破る者は詩人である」
確かにわれわれの周囲には、密かに光り輝く瓦礫はいくらでも溢れている。しかしそれは普通の目では見ることができない。少し立ち止まって、じっくり見つめてみるくらいでは、それは永遠にただの瓦礫のままである。あるいは高村が言うように、その瓦礫の正体を見破る感覚を持ったもののことを、われわれは芸術家と呼ぶのだろうか? それならば安井にとって、カメラとはそれを見破るための道具であったのかもしれない。
参考文献:展覧会パンフレット
text:浅井佑太
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