漆の文化交流《開館50周年記念特別企画展Ⅲ 漆工展 レビュー》
奈良県奈良市の大和文華館は近畿日本鉄道(近鉄)の創立50周年を記念して建てられた、東洋古美術を幅広く網羅する美術館である。1960年の開館からさらに50周年目となる2010年に館はリニューアルオープンを行った。それに関連する記念展示が期間ごとに内容を変えながら、今年の秋まで開催されている。今回取り上げる『漆工展』はその3期目にあたり、大和文華館所蔵の漆工品を中心にした計85点を一堂に集めたものとなっている。日本を始め、中国・韓国・タイといった様々な国の漆工品を扱っている点が見所である。
漆といえば昔から私たち日本人とって馴染みの深いものである。近年ではしだいに縁遠いものになりつつあるものの、生活の中で漆塗りの食器を使用したり、あるいは山で漆の木に触れて痒い思いをした経験は多くの人にあるだろう。歴史を遡ってみると、日本人が塗料として漆を利用した最古の例は北海道の垣ノ島遺跡から出土した約9000年前の漆器だとされている。それ以来、漆を使用する技術は様々な発展をしながら今日まで受け継がれてきた。
一般にウルシの木から採れる樹液を漆と呼ぶが、これを伝統的に利用してきた地域は東アジアや東南アジアに集中している。これは漆の木の生育分布がこれらの地域に偏っているのが理由だが、さらに採れる場所によって漆の樹液としての成分が異なっている。国別に比べてみると日本・中国・韓国で採れるものにはウルシオール、台湾・ベトナムのものにはラッコール、タイ・ビルマのものにはチチオールと呼ばれる物質がそれぞれ主成分として含まれている。そのことがどういった違いを生むのかに関しては具体的な資料が見つからなかったのだが、タイのチェンマイ地方に滞在経験のある漆芸作家の方の話によると、タイの漆は日本の漆に比べて粘り気が強くゴム質であったそうである。
その一方、日本・中国・韓国で使われている漆には成分的違いはない。それは現在日本国内に流通している漆のほとんどが安価な中国産に占められていることからも分かる。しかし全く同じ漆を使いながらも、これら三国ではその地域における特色を持った独自の技法が発達し、その国を代表する贈答品や献上品の装飾として用いられてきた。今回の展覧会では会場内に日本・中国・韓国そしてタイの漆工品ごとのセクションが設けられ各国の技法の特色や変遷、互いの影響関係を鑑賞できるようになっている。
順路に沿って最初に展示されているのは日本の漆工品である。ここで扱っている作品は奈良時代のものから明治時代のものまで非常に幅広い。その中で最も古いものが《瑇瑁貼螺鈿花鳥文八角筥》である。宝相華や鳥の左右対称な紋様、ウミガメの一種タイマイから採れる「鼈甲(べっこう)」の使用など、意匠や材料から唐王朝の特徴が色濃いことが分かる。《瑇瑁貼螺鈿花鳥文八角筥》の類品は東大寺正倉院の宝物と個人蔵のものの2点であったが、2009年に後者が香港のオークションに出品されたことでちょっとした話題になった。これら類品と展示品の大きな違いは後世に修復作業がされなかったことで当初の状態を維持している点にある。螺鈿や鼈甲部分の剥落が多く、他の2点に比べて少々見劣りはするものの、新しい材料で修復しなかったことで不自然な明るさがなく、全体的に落ち着いている。普通は修復家のみが目にするであろう剥落部を見ると、どのくらいの厚みのものを埋め込んでいたのかという技術的な側面が読み取れて面白い。
奈良時代の遺品は同時代の唐のものも含めて数が少なく、正確にどこの国で作られたものなのか判断しにくい。《瑇瑁貼螺鈿花鳥文八角筥》は展示では日本の漆工品に位置づけられていたが、先に挙げたような特徴やその高い加工技術から唐で製作された伝来品と考えられる。ただ、このような唐の技術の粋を集めた漆工品が当時の日本人に大いに刺激を与え、彼らがそれを模倣し研究したことで日本の漆工技術を発展させる要因になったことは間違いない。
《沈金桃樹文盤》は漆器全体の形やそこに描かれた意匠が他の日本製漆器とは一線を画している。これは江戸時代に沖縄で製作されたいわゆる琉球漆器で、外観は盆の下に高台が付いた独特な形状をしている。沖縄ではこれを焼酎台と呼び、重箱などと共に使用した。台の部分には七宝繋(しっぽうつなぎ)と桃樹が「沈金(ちんきん)」と呼ばれる漆工技法で加飾されている。この技法は硬化した漆の面に刃物で紋様を彫り、その彫り溝に金粉や金箔を充塡するというもので、中国で誕生した。(中国名では鎗金と呼ばれる)沖縄特有の生活様式を思わせる形状と中国からの強い影響を感じさせる意匠や加飾技法の組み合わせは、第二次大戦によりそのほとんどが消失したとされる琉球の漆工芸の歴史を知る重要な手掛りと言える。
多くの漆工技法の成立には中国と言う国の存在が欠かせない。中国の漆工品の展示場所では、そのことを証明するかのように形・技法ともに多種多様な作品が並んでいる。しかし、もしその中から中国を象徴する漆工技法を1つ選ぶとするなら、それは「堆漆(ついしつ)」になるのではないだろうか。日本では「彫漆(ちょうしつ)」と呼ばれるこの技法は漆を何百回と塗り重ねて作った層に彫りを入れ、様々な模様を作り出す技法である。元の時代に製作された《堆黒屈輪大盆》は直径が60センチにもなる大型の盆である。木地の上に黒漆を塗り重ね、ワラビ形の連続文様である屈輪文を放射状に彫り込んでいる。名前にある「堆黒」とは堆漆に黒漆を使った場合の名称で、他に「堆朱」「堆黄」などがある。《堆黒屈輪大盆》に見られる余白を埋め尽くすような徹底した文様構成は、中国の堆漆の大きな特徴になっている。また漆を塗り重ねて層を作るためには膨大な時間が掛かり、なかには皇帝へ献上する堆漆の品を親子3代に渡ってようやく完成させたという話も残っている。まさに強大な権力を誇った中国の皇帝であったからこそ可能な漆工品であったのだろう。
漆を塗り重ねる作業に長い時間を費やし、また一端彫り始めると失敗のきかない堆漆技法は鎌倉時代に日本に伝わった。しかし当時の人々の持つ技術でその技法を再現することは難しく、そのために堆漆を模して完成させたのが鎌倉彫であった。《鎌倉彫牡丹文香合》に見られる牡丹の立体的な表現は漆の層を彫ったものではなく漆を塗る前の木地に彫りを入れたものである。技術的な問題と時間や漆の節約のために生み出された技法であるが、その独特な風合いを好む愛好家は今でも多い。
中国の漆工品の隣に展示されているのが韓国の漆工品である。韓国と言えば螺鈿技法による繊細な加飾が馴染み深い。螺鈿という言葉の意味は「貝(螺)をはめて飾ること(鈿)」である。もともとこの技法は中近東で起こり、西域から中国へと伝えられ、唐の時代に高度に発達した。先に挙げた《瑇瑁貼螺鈿花鳥文八角筥》の例のように、やがてその技術は周辺国へと伝播した。日本の漆工史上、螺鈿技法が技術的な絶頂期を迎えたのは武家が力を持った鎌倉時代であった。視覚的効果と耐久性が求められた鞍などの武具類に、最も理想的であった装飾技法が螺鈿だったのだ。
それと時を同じくして、朝鮮半島においても螺鈿技法が隆盛をみせた。高麗時代には《螺鈿菊唐草文小箱》に見られるような螺鈿による精妙な「菊唐草文」が誕生した。この頃になると、唐の時代以降衰退を続ける中国の螺鈿に変わって、日本や韓国の螺鈿技術が本家の中国からも高い評価を受けるようになった。やがて鎌倉時代以後、日本の螺鈿が下火になるのをよそに、韓国では李氏朝鮮時代への移行途上においても継続して螺鈿技法の改良が行われた。《螺鈿牡丹唐草文経箱》では高麗時代の装飾的で洗練された菊唐草文とは違う、各文様の間にゆとりを持つ「牡丹唐草文」が見られる。その後《螺鈿葡萄文衣裳箱》が示すように、しだいに絵画的で奔放な紋様へと変容した李朝の螺鈿は、安土桃山時代から江戸時代にかけて日本に紹介され、一時的な流行を招いた。
順路の最後にはタイの漆工品が展示されている。タイには「蒟醤(きんま)」と呼ばれる独特の漆工技法がある。この名称は「ヤシ科のビンロウ樹の実を噛む」というタイ語「キンマーク」に由来する。この行為には清涼剤としての効果があり、地元の人々は日常的に行っているらしい。やがて蒟醤はビンロウ樹の実を入れる容器に施されていた装飾技法を示す名として日本に広まった。漆の層を刃物で浅く線彫りし、その溝に色漆を入れる技法で、後に中国に伝わった際には漆を充塡すると言う意味で「塡漆(てんしつ)」と呼ばれた。琉球漆器で解説した沈金技法によく似ている技法である。
19世紀に作られた《蒟醬花卉文十角高杯》を見てみると、余白を埋め尽くすように施された幾何学文からは中国的な文様構成が感じられるが、細部を見ると1つ1つは中国風ではない単位文様であることが分かる。やや厳密さに欠けた線も見られるが、決して稚拙な線と言うわけでもなく、独特ながら全体的にまとまりのある文様になっているところが魅力である。また冒頭でも述べたように、タイの漆は日本・中国・韓国で採れる漆と主成分が異なっている。しかしタイの技法が普通に中国で取り入れられたことを考えると、成分の差に大きな問題はなさそうである。
今回のように様々な国の漆工品のみを扱った展示構成は珍しい。大和文華館が長年に渡り、個人の嗜好によらない広範囲に渡る質の高い作品を、系統的に蒐集してきた成果と言える。日本・中国・韓国・タイの4カ国は同じ漆の文化を持つ国々であり、かつ各種の漆工技法において互いに影響を与え合いながらも、その国その国で培われてきた漆工芸に対する特有の美意識を持っていた。本展覧会を通してそのことを感じることができる。
text:上田祥悟
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