明王からのメッセージ 《空海と密教美術展 レビュー》
昔から人々に「お不動さま」と呼ばれ親しまれてきたお寺が私の家のすぐ近くにある。密集した住宅地の真ん中、ここだけは緑が多く都会のオアシスだ。元旦などは大勢の初詣の人でにぎわうが、普段は訪れる人は少なく境内は静まりかえっている。長い石の階段を上ったところにご本尊が安置された本堂がある。まだ子供だった頃、薄暗い本堂の奥を覗いたことがある。本堂の奥に黒々としたシルエットが見えた。ご本尊の不動明王だ。近づいてよくみると実に不気味だ。鬼のように怒った顔、手には剣や鎖をもち、両目をかっと見開き何かを凝視している。背景には燃え上がる炎のような形もみえる。あたりが薄暗くなる夕暮れ時などはその不気味さはいっそうつのった。家に帰り何故あんなに怖い顔をしているのか両親に聞くと、いつも決まって「悪いことをした人間をしかりつけているのよ」という答えが返ってきた。
「お不動様」と呼ばれて今も人々の信仰の対象となる不動明王。この明王信仰の原点と言われているのが京都の東寺の講堂に安置される仏像群だ。現在、東京の国立博物館で開かれている『空海と密教美術展』では京都の東寺の仏像など、空海が日本に持ち帰った密教美術の数々を見ることができる。
空海は31歳のとき遣唐使船にのり中国の唐にわたった。当時の大陸への旅は当然のことながら命がけであった。7月に日本を出て唐の長安に到着したのはその年の暮れであったという。唐で出会ったのが密教に詳しい僧侶恵果。恵果は密教の教えを広めるためには文字ではなく図や形が必要だと空海に語ったという。空海が日本に持ち帰った仏具や経典、絵画などの目録「御請来目録」の中にはそれを裏づける空海の次のような言葉が記されている。
「密教の教えは奥深く文章で表すことは困難である。かわりに図画を借りて悟らないものに開き示す。」
東寺の講堂造営に携わった空海は、恵果の教えに従って密教の教えの基本を語る曼荼羅の世界を絵画ではなく実際の仏像で再現する立体曼荼羅を創造することを企てた。
立体曼荼羅は大日如来を中心に21体の仏像で構成される。大日如来を囲むように安置されるのは5体の如来「五知如来」、その両脇には5つの菩薩と5つの明王を配し、さらにその周囲には守りを固める意味で四天王など6体が安置される。今回の展覧会で紹介されるのはこの21体の仏像のうち菩薩や明王、四天王など8体であるが、私が特に注目したのはあの子供の頃から「お不動さま」として馴染みの深い明王像だ。
展覧会場に入るとまず目に飛び込んでくるのが明王像の一つ「降三世明王」だ。高さは台座を含めるとおよそ2メートル。今回展示されている仏像の中では特に大きなものではないが、近くに寄ってみるとその存在感に圧倒される。吊り上げるように見開いた目、むき出にした牙、焔髪と呼ばれる逆立つ髪などあらわにした怒りの表情が見る者をとらえる。背後の燃え盛るような炎の赤い色もよく保存されており、生々しく強烈だ。
普段は正面からしか見ることしかできない仏像だが、今回の展覧会では仏像の周りをどんな方向からでも見ることができる。「降三世明王」像も前から見る限り、正面と左右の顔3面しか見えないが、背後にまわると実はもうひとつ顔があり、4面であることに気が付く。そしてこの4面ともに激しい怒りの表情が特徴だ。
さらに「降三世明王」像には腕が8本ある。それぞれの手には「三鈷杵」と呼ばれる密教独特の仏具や、弓矢などの武器をもち、周囲の者を威嚇する。その様子は様々な道具を持ち変えながら、8本の腕を振りまわしているような錯覚を見る者に与える。
このように多くの顔や手を持つ像は「多面多臂」と呼ばれている。東寺の講堂にはこの「降三世明王」など4体の明王が安置されるが、不動明王を除くと全てが「多面多臂」像で、明王像の典型的な姿とも言われている。「多面多臂」の仏像はもちろんあの有名な興福寺の阿修羅像など数多くあるが、東寺の明王像は何れも怒りの表情が特徴で、一体の仏像に怒りのあらゆる諸相を持たせ、それらを誇示しているかのようだ。
東寺の講堂に安置された21体の仏像の中で、怒りの表情を見せるのは実は明王像だけではない。「持国天」や「増長天」などの四天王像もまた口を大きく開け、目を吊り上げた形相はすさまじく、その怒りの表情はこの時代頂点に達したとさえ言われている。しかし私にはこの四天王の怒りよりも明王の怒りのほうが一段上に思えてならない。それは「多面多臂」という造形的な特徴からくるのではなかろうか。日本建築史を専門とし、仏像彫刻にも詳しい宮元健次氏は次のように語る。
「人々の煩悩や欲望を断ち切るための究極の怒りの表現をいかにしたら生み出せるのか。人々は様々に考えあぐねたに違いない。その結果生み出されたのが「多面多臂」という造形だったのである。」
密教の明王像の原型は遠くインドのバラモン教にあると言われているが、空海が中国から持ち帰った密教の教えを説く曼荼羅図からも大きな影響を受けている。今回の展覧会でも注目の的になっている「高尾曼荼羅」。4メートル四方もある大きな曼荼羅図だ。現存するこの種の曼荼羅図では日本最古とも言われるだけあって表面の文様はかすれて読み取りにくいが、薄い赤紫がかった独特の風合いが印象的だ。そこに描かれているのは大日如来を中心にした数千の仏たちだ。仏は胸の前で手を合わせ祈るだけではなく、腕を高くあげたり、手に何かをささげ持つような身振りをするなど、実に様々なポーズをとる。これを一枚一枚パラパラ漫画のようにならべていくと、そこに現れるのは躍動する仏たちの姿だ。そしてこの躍動する仏を仏像に置き換えようとして考えられたのが「多面多臂」という造形だったのではあるまいか。
様々な仏の動きを一体の仏像に表現し、仏の持つ力をより大きく強くしたい。密教の教えを国中に広めようと格闘していた空海は、いくつもの顔で四方をにらみ、何本もの腕を振り上げ威嚇する明王の姿を作ることで、仏像に命を吹き込もうとしたのではなかろうかとさえ思えてくる。
「降三世明王」の足元に踏みつけられ顔を歪めるのは煩悩や欲望の象徴であるという。明王の激しい怒りの表情が向かうところは、私たちの煩悩や欲望なのだ。長い年月、人々の煩悩と欲望を見守り続けてきた明王。1,200年という歳月を経た今も、明王像の前に立つと私たちは身の引き締まる想いがするのである。
参考文献:宮元健次著「仏像は語る」光文社新書、展覧会図録
text:小平信行
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空海に会いに上野の東京国立博物館に行ってきました。
台風接近で、秋の気配漂う9月2日(金)AM9:30。
朝一番だとゆっくり見られると早起きして意気込んで行ったのに…結構込んでいる(汗)
端正な文字の書など文献物は軽く流して仏像に。
東寺と醍醐寺と金剛峰寺からの出展が多いようだ。
東寺は真言宗の総本山、金堂内の立体曼荼羅はお邪魔した当時、まだ仏像に余り興味の無かった私にも圧倒的な力で迫ってくるものがありました。 きっと仏像だけでなく建物の持つ迫力もプラスされてだと思うのですが…。
今回の展示のクライマックス、仏像曼荼羅も良かった…特に仏像を360度廻って見られたのは最高!
日本の仏像は基本的に正面重視。
でも結構後ろにも気を使ったものも有ったり、西洋の彫刻のように360度の動きのある仏像を角度を変えて見られるのも興味深い、これは博物館だからなしえたこと。
今回の目玉?東寺の立体曼荼羅のイケメン「帝釈天騎象像」は東京・上野のあちこちに自分の写真が貼られているのを見て、ちょっと気恥ずかしそうに座っておられました(笑)
やはり、住まいの東寺で拝見するほうが堂々としてかっこよかったような…
でも改めて見たけれど、やはりイケメンでした(苦笑)
私なりには「如意輪観音菩薩坐像」もかっこ良かったと思うのですけれど。
それと今回の会場照明や展示方法も良かった!
時間は無くゆっくり見られなかったけれど 特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」も当時の写真を中心に紹介されていて、江戸以降の日本の歴史の一端を知ることが出来面白かった。
>> ヒゲポニー様
ご感想ありがとうございました!!
確かに360°どこからでも拝見できるのは、
このような展示の魅力ですよね。
またのご感想お待ちしております。
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