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真の報道写真とは 《ジョセフ・クーデルカ プラハ1968  レビュー》

2011 年 6 月 28 日 2,780 views No Comment

あらためて歴史を紐解くと1968年という年は現代史において特に多くの出来事があったことがわかる。日本国内では東大紛争が激しさを増し、海外に目を向ければアメリカによるベトナムへの介入など国家と国家の衝突で様々な悲劇が生まれた。報道写真の世界でも忘れることができない作品は多い。ベトナム戦争の従軍カメラマンがとらえた戦火に巻き込まれた民衆の姿や、銃殺刑に処せられる兵士の姿など、戦争の悲惨さと、人間の隠された魔性を見せつけた。

1968年という年はヨーロッパの人たちにとっても忘れられない事件が起きていた。東西冷戦という厳しい現実の中で起きた「チェコ事件」である。「プラハの春」と呼ばれた人間の顔をした社会主義国を目指したチェコスロバキアに、ソ連を中心にしたワルシャワ条約機構軍が侵攻、首都プラハは1500台もの戦車と50万の軍隊に占拠されたのだ。大国の横暴に対してプラハ市民は素手で抵抗した。当時プラハでこの事件を目の当たりにした評論家の加藤周一はその著「言葉と戦車」の中で次のように述べている。

「1968年夏、小雨にぬれたプラハの街頭に相対していたのは、圧倒的な無力の戦車と無力で圧倒的な言葉であった。その場で勝負の付くはずがなかった」

加藤周一が言う「言葉」とはプラハ市民が抗議の意思を力ではなく言葉で示したことをさす。当時のラジオ放送局は市民に冷静さを保つよう訴え、力ではなく言葉で抵抗するよう呼びかけた。街のあちこちにソビエトの指導者に対する激しい抗議のポスターがはられ、壁には侵略した戦車がモスクワを目指して帰るよう促すスローガンも書かれた。多くの市民は侵攻した兵士たちに膨大な「言葉」を浴びせ、抗議したのだ。

いま東京都写真美術館で開かれている『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968』展では侵攻した軍隊に対して抵抗を続けた市民の1週間にわたる戦いの様子をあますところなく伝える迫力のある写真を見ることができる。当時30歳だったクーデルカは戦車が街に侵入した8月21日から1週間ほどの街の様子を克明に白黒写真で撮影した。今回展示されているのはこの短い期間に集中的に撮影された170枚近い写真だ。
 
クーデルカは1938年生まれのチェコ人。父親が愛用していたカメラに興味を持ち、小さい頃から写真に興味を持っていたという。一時は航空技術者になったが、カメラへの夢を捨てきれず独学で写真を学び、カメラマンとして活躍をまだ始めたばかりだった。クーデルカはもともと報道写真家を目指していたわけではなかった。舞台写真やロマ族と呼ばれるジプシーに魅かれていた。事件が起きる直前もルーマニアで取材しており、たまたま帰国した翌日「チェコ事件」が起き、軍隊の侵攻を目の当たりにすることになったのだ。

展覧会場に入ると白黒の写真が目に飛び込んでくる。多くの写真に街を占拠した戦車が写っている。印象的なのが戦車の上から顔をのぞかせる兵士とそれを取り囲むように群がるプラハの市民をとらえた写真だ。これらの写真に共通しているのは、侵攻した兵士とそれに抗議する市民の両者の表情が実によくとらえられていることだ。

戦車の上の兵士とにらみ合うように視線をあわせる若い女性の姿をとらえた一枚。戦車の搭乗口から顔を出した兵士はまだ若い。女性は背伸びをしてこの兵士とにらみ合っている。あまりの突然の事態にお互い言葉を失ったようにも見える。

激しく兵隊をののしる市民の表情をとらえた写真。写真からはもちろん声は聞こえないが、あたかも市民が発する抗議の言葉が聞えてきそうな写真だ。多くの声が市民から発せられる中、侵略した側の兵士の多くは黙ったままだ。侵略される側の怒りや悲しみと同時に、激しい言葉の抵抗にあって困惑する兵士の表情がとらえられているのも印象的だ。

戦争の記録写真にありがちな殺害された犠牲者や、流れた血の写真もあることはある。しかしよく写真を眺めて見ると市民と兵士の両者をごく近くで撮影した写真が多いことに気付く。敵の影におびえ、見えない敵を空から爆撃するという現代の対テロ戦争に見られる戦争のイメージはそこにはない。「チェコ事件」そのものの状況が、現代の紛争とは違う事情があるからかもしれないが、クーデルカの写真からは突然の軍隊の侵攻に対して「言葉」で抵抗した一市民となって撮影したという気迫のようなものさえ感じられる。

「チェコ事件」の様子はクーデルカ以外にもたくさんの目で映像記録に残されている。事件の翌年開かれた世界報道写真展で、「チェコ事件」の報道写真を見た写真評論家の重森弘淹さんは「チェコ事件と三者の立場」(カメラ毎日1969年8月号)という評論の中でチェコの写真家とソ連の写真家、西側の写真家で同じ事件を撮影しても映像がこれほどまでに違うことに驚き、次のように書いている。

「同じ現実がこれほど見事に映像として対立している報道写真を一堂のうちに見られるということは、それだけでも劇的なイベントというべきであろう。(中略)事実というものの性格が、それを受け止める主体の側によって変貌するということ、そしてその変貌の仕方がかつてないほど複雑であるということ・・・」

つまり客観的な事実を前にして撮影し伝えるはずの報道写真でさえも、それを撮影する側の立場や撮影の目的でその内容は大きく変わってしまうというごく当たり前のことをこの事件は図らずも私たちにつきつけているのだ。

例えば西側の写真家H・バベルが撮影した「チェコ事件」の写真を見ると、重森氏も指摘するように写真は時々刻々と変わる事件の全容を客観的に記録するかのごとく撮影をしているように見える。街を占拠した戦車やそれを取り巻く群衆はとらえていても、クーデルカの写真のように市民と兵士の表情は希薄だ。バベルの写真からは力に対して非暴力の抵抗を貫いたというこの事件の本質のようなものは見えてこない。

残念ながら侵攻した側、すなわちソ連の写真家の撮影した写真を見つけることはできなかったが、重森氏によればそれは明らかにクーデルカの写真とは異なり「画面全体や構成そのものがなんとなくのんびりいる」(重森弘淹「チェコ事件と三者の立場」より)というのだ。

「チェコ事件」が起きる前、チェコスロバキアは社会主義国の一員ながら当時としては画期的な言論の自由「プラハの春」を謳歌していた。こうしたチェコの動向に対してソ連を始めとした東側の国々は1968年8月、「チェコ事件」が起きる前にはソビエト軍が国境近くに軍を集結し、緊張が高まっていた。クーデルカは隣国ルーマニアでジプシーの人々を取材しながらこうしたチェコスロバキアを取り囲む動きをひしひしと感じ取っていたに違いない。彼の「チェコ事件」に対する視線はこのような体験の積み重ねの結果もまた大きく影響を及ぼしているのだ。

クーデルカの写真の迫力を語る上でもう一つ忘れてはならないことがある。それは彼の頭の中あったのは単に侵攻した軍隊に対する怒りだけではなかったということだ。この事件に対してクーデルカはある種、覚めた眼も持ち合わせていたのだ。東京都写真美術館の学芸員丹羽晴美さんは今回の企画展の図録の中で「チェコ事件」の当時を振り返って語るクーデルカの言葉を次のように紹介している。

「戦車に乗った自分と同じ歳の若い兵士たちに対して不思議と怒りを感じなかった。悲劇は彼らも私も同じシステムの下にいるということであり、彼らにおきることは私にもおきうることだ。ある日戦車にのってブタペストやワルシャワにいるのは私かもしれない」。

なんという冷静さであろうか。一市民としての怒りの感情とともに、侵略した側への人間としての感情もまたクーデルカは決して忘れていなかったのだ。これもまたクーデルカの写真を特徴づける重要な要素になっていたに違いない。

「言葉」を武器に闘った1968年8月のプラハ市民の1週間を伝えるジョセフ・クーデルカ」の写真は、当時たまたまプラハを訪れていたスミソニアン博物館の学芸員によってアメリカに持ち出された。そして写真はニューヨークの写真家集団マグナムに送られ、なんと事件から1年後に世界中に配信されることになる。その写真には事件の概要と同時に次のようなキャプションが付いていた。

「ここに掲載された写真はマグナムフォトスの手を経て集められ、最近始めて発表された昨年夏の10日間にわたる彼らの勇敢な抵抗の記録である。」(アサヒカメラ1969年10月号)

迫害を恐れ、クーデルカの名前は伏せられたままだったのだ。実名が公表されたのはなんと16年後の1984年。真実を語ることがいかに難しい時代だったのかをこのエピソードは物語っている。クーデルカの写真は、とかくセンセーショナルな出来事を単にとらえるだけに終わってしまいがちな報道写真のあるべき真の姿を改めて私たちに問いかけているように思えてならない。

参考文献:加藤周一「言葉と戦車」ちくま学芸文庫、カメラ毎日 1969年8月号 毎日新聞社、アサヒカメラ 1969年 10月号 朝日新聞社、世界報道写真展  1956年―1995年 朝日新聞社、展覧会図録 丹羽晴美「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」平凡社  


text:小平信行

「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968 -この写真を一度として見ることのなかった両親に捧げる-」の展覧会情報はコチラ


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