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日本研究とコレクション 《ハンブルク浮世絵コレクション展 レビュー》

2011 年 6 月 28 日 2,982 views No Comment

1860年秋、オイレンブルク伯爵率いるプロイセンの東方アジア遠征団が江戸湾に来航した。翌61年1月に江戸幕府とプロイセンとの間に修好通商条約が締結され、ここに日本とドイツの国交が樹立した。今年2011年はそれから数えて150年目となり、日独両国で様々な記念行事が行われている。京都市上京区の相国寺承天閣美術館で開催中の『ハンブルク浮世絵コレクション展』もその1つである。

今回この展覧会のために約200点もの収蔵品を提供しているのは、ドイツ第二の都市ハンブルクにあるハンブルク美術工芸博物館である。1877年に開館したこの館はヨーロッパにおいて最初に日本美術を体系的に購入、展示した美術館のひとつに位置づけられている。美術館の創立者にして初代館長でもあったユストゥス・ブリンクマンは、浮世絵をはじめ陶器や漆器など広範な日本の美術・工芸品を蒐集したが、そのきっかけは1873年のウィーン万博にて日本美術と出会ったことであった。ブリンクマンは日本美術における自然を正確に観察する眼とその表現方法、職人たちによる高い技巧に感銘を受け、そしてそれらを国内の芸術家たちに紹介し、学ばせることで新たな芸術を生み出す糧にしようとした。その現れともいえるのが校合摺、版下絵、画稿、板木といった浮世絵制作の過程がわかる資料がコレクションに含まれている点である。彼の理念はハンブルク美術工芸博物館のその後の作品・資料蒐集の方向性を決定し、現在では浮世絵関連の収蔵品だけでもその数は4500点以上にのぼっている。
 
幕末から明治へと移行する中で、生活様式の変化から日本人が興味を失いつつあった美術・工芸品を積極的に入手したのは欧米の美術商や芸術家たちであった。彼らによる日本美術のコレクションは世界中に散在し、数も膨大である。特に江戸中期以降に最盛期を迎えた浮世絵、印籠、根付などの研究は海外に足を運ばないとできないとまで言われているほどだ。今回出品されている作品のほとんどが日本における未公開作品であることからもその一端がうかがえる。こういった当時の風潮は私たちにとっては貴重な作品の国外流出という面があるものの、結果として同時代のヨーロッパ芸術に大きく影響を与えることとなった。ジャポネズリーとそれに続くジャポニスムの誕生である。

1856年頃フランスの版画家フェリス・ブラックモンが、日本から磁器を輸送する際に詰め物として使われていた《北斎漫画》を発見し、知人に見せて回った。このことが浮世絵とヨーロッパの画期的な出会いとされている。加えて1867年の第2回パリ万国博覧会に初めて日本からの参加があったこともあり、フランスでは他国に先立つ形でジャポネズリー(異国趣味としての日本趣味)が流行していた。ハンブルク美術工芸博物館館長ブリンクマンも作品蒐集にあたって、パリに滞在していた美術商との関わりがあったとされている。当初は珍奇な表現法として話題を集めたジャポネズリーに最も関心を寄せたのは画家たちであった。1827年に発明され急速に発達した写真技術によって写実性を求める絵画は行き詰まりをみせていた。そのような折にもたらされた浮世絵などにみられる日本独特の描写方法、空間表現、色彩感覚は、絵画は写実的でなければならないとする制約から画家たちを開放する後押しをし、その作品の中に取り入れられ、ジャポニスムへと発展していった。

 
画家たちがどのように日本美術を取り入れたかはそれぞれ異なるが、例えば歌川広重の名所江戸百景は浮世絵の中でも特に大胆な構図でもって、様々な画家に影響を与えた。展示作品にある名所江戸百景のうち《亀戸梅屋舗》や《大はしあたけの夕立》をフィンセント・ファン・ゴッホが油彩で忠実に模写したことはあまりに有名である。極端な遠近法や画面上部に斜めに走る水平線、実際には不可能な位置からの視点、鮮やかな色彩など、そこには革新的な表現がいくつもみられる。また熱心な浮世絵の蒐集家であったゴッホは、1888年に弟であるテオに宛てた手紙の中で次のように述べている。「日本人の仕事のすみずみにまでゆきわたる、驚くべき明晰さを羨ましく思う。決して鈍重なものではなく、また決して大急ぎでやった仕事にも見えない。それは息をするのと同じくらいに簡単で、彼らはまるでチョッキのボタンをとめるように楽々と苦もなく、狂いのない2、3本の線で人物を描いてしまう…。」この手紙から浮世絵の中で人物や物体の輪郭が線で表現されている点に注目していることが分かる。しかし、当時の西洋にはないこういった描画方法を詳細に知るためには、完成品以上に制作過程の分かる資料が必要であったと考えられる。

前述したように、ハンブルク美術工芸博物館のコレクションの貴重な点は浮世絵の制作段階における資料を所有しているところにある。三代歌川豊国による《四代目市川小団次の天日坊》や《五十三次ノ内草津追分》の展示場所には完成品と並んで草稿である版下絵が展示されている。それらに見られる人物や衣服、波や岩の活き活きとした線は完成品よりも際立ってみえる。さらに主役の人物の画面への入り方が、完成品では若干修正されているのも読み取れて面白い。ちょうど近くにいらっしゃったご夫婦からは下絵の方がいいという声も聞こえていた。また髪や衣服に部分的な黒を入れることはあっても、陰影を表すような黒は全く使われていないことも特徴的である。6月5日まで大阪市立美術館で『歌川国芳展』が開催されていた(現在は静岡市美術館で開催中)が、彼の《脇差を振り上げる武士》の版下絵と画稿もここに展示されている。画稿は版下絵よりもさらに粗い線で走ったように描かれているが、その人体の大まかな形の取り方はどこかコミカルで、現在の漫画やイラストに通じるものを感じた。こういった草稿の他にも版木や試摺品が数は少ないながらも展示されている。ヨーロッパに渡り、重要な研究対象とされたことで現在まで残されたこういった希少な資料にもぜひ注目してほしい。
 

最後にこぼれ話になるのだが、葛飾北斎の富岳三十六景のシリーズの中で特に印象的な色に藍色がある。会場でも同シリーズの《下目黒》や《礫川雪ノ旦》など数点を鑑賞することができる。それらに使用されている独特の藍色は「ベロ藍」と呼ばれ、18世紀後半以降日本国内においてしだいに普及し、浮世絵の中に取り入れられて人気を博した。出品作品の中にはないが、富岳三十六景のシリーズには藍摺絵と呼ばれるベロ藍を基調にした作品が10図も存在し、その流行ぶりを伝えている。この色は1704年にドイツのべルリンにおいて開発されたことからベルリン・ブルーと呼ばれ、日本に紹介された際にベルリンがベロとなまったと言われている。現在では別名のプルシャン・ブルーが一般的な呼び方になっているが、プルシャンも当時のドイツにあたるプロイセンに由来している。浮世絵の持つ鮮やかな色合いの1つが、実は西洋の人々にとって身近な顔料によって生まれていたというのも面白い。


参考文献:展覧会図録、ゴッホと日本展 展覧会図録


text:上田祥悟

「ハンブルク浮世絵コレクション展」は相国寺承天閣美術館で2011年9月11日(日)まで開催中です。▶▶▶


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