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フランス式の窓/なりたての未亡人 《フレンチ・ウィンドウ展 レビュー》

2011 年 4 月 29 日 6,563 views No Comment

本展覧会の名称『フレンチ・ウィンドウ』は、デュシャンの《フレッシュ・ウィドウ》という作品に由来する。デュシャンは、「フレンチ・ウィンドウ」と呼ばれるフランス式の窓を、黒い皮で目隠しし、それを「フレッシュ・ウィドウ(=なりたての未亡人)」と名付けた(黒=喪)。単なる言葉遊びによって結びついたフレンチ・ウィンドウとフレッシュ・ウィドウ。単なる音の類似性が、フランス窓と未亡人にまつわる意外な歴史性を顕在化させる。時は第一次世界大戦直後のパリ。市街には実際に、喪に服する数多くの未亡人たちの姿が見られたことだろう。そして戦時中、空爆に備えて貼られていた窓の黒い目隠しは、戦後には喪を示すための目隠しとして利用されたことだろう。いわば、パリ中の窓という窓が、さらにいえば当時のフランスという国そのものが、すっぽりと喪に包まれたなりたての未亡人と化していたのだ。また両者は、他者の視線、他者の欲望を遮ることによって、よりいっそうその視線を、その欲望を引き付けてしまうという逆説的な官能性をたたえた存在でもある。窓も未亡人も、こちら側とあちら側(此岸と彼岸)との境界を生きる存在であり、両者は、秘められた「あちら側」への欲望を、遮ることで煽り立てる、閉ざされた通路なのだ。———————フレンチ・ウィンドウとフレッシュ・ウィドウという単なる言葉遊びが引き起こした数々の観念の連鎖。普段は決して出会うことのなかった二つのモノが、言葉の類似性を介して不意に出会い、そこに幾つもの新しい意味が産み落とされてゆく。モノが普段とは別の関係性や文脈の中に置かれることで、それまでには見えてこなかった様々な潜在的な可能性が開発されてゆくのだ。六本木ヒルズに唐突に現れたフレンチ・ウィンドウは、現代フランスを覗き込む「窓」として、あるいは、フランス的な思考の「枠組み」として、現代フランス(の芸術界)のどのような秘められた可能性を顕在化させるのか。


カデル・アッティア《アラベスク》:この作品も、ある偶然の一致から生まれた。2005年のフランス暴動。パリ郊外では、社会の周縁に追いやられた移民たちとその暴動を鎮圧する警官たちとの激しい衝突が続いていた。一日に千台もの車が燃やされ、警官たちはそれに催涙弾で応戦した。移民たちは手にパイプを握りしめ、警官たちは警棒を握りしめていた。アッティアはその混乱の中で、ある光景を目にする。移民たちの身体を容赦なく打ちのめしていた警棒が、路上のあちらこちらに散乱しているのだ。その光景は彼に思わぬ連想を引き起こす。警棒のトの字型が、アラベスクの幾何学模様を連想させたのだ。アッティアは警棒を拾い集め、壁面に規則正しく並べてゆく。するとそこに見事な幾何学模様が姿を現す。イスラム系移民の身体を日頃から容赦なく打ちのめしていた警棒。国家権力による暴力を「痛み」として身体にしみ込ませる警棒。その警棒が、自分たちのイスラム寺院の壁面を飾る、見事な材料となったのだ。

形における偶然の一致が、警棒と移民にまつわる悲劇的な歴史を開示する。警棒のアラベスクは、警棒が「殴る」こととは別の用途に用いられるようになった平和な世界を象徴するかのようでもあり、逆に、移民たちが国家権力から奪った戦利品を誇示する振る舞いであるかのようにも見える。またそれは、暴動にたおれた同胞たちへの沈黙の弔いのようでもあり、あるいは六八年のようにひとつの運動には組織化されえなかった暴動の散発性や離散性の表現であるかのようにも見える。だがそれは同時に、国家権力とイスラム世界との間にある意外な共通性をも浮かび上がらせる。イスラム世界がアラベスク模様の「幾何学」を発達させてきたのと同様に、国家権力もまた、支配のための「幾何学」を発達させてきたのだ。

移民たちを「同心円状」に中心から排除する都市の幾何学。移民たちは「郊外」に閉め出され、「人」ではなく「地区」よって管理・表象される。視線の「非対称性」を利用した監視の幾何学。移民たちは実際の監視によってではなく「いつ視られているかわからない」という内面化された視線によって常に監視状態に置かれている。そして身体の規律化という訓練と矯正の幾何学。移民たちの身体は、効率的な労働力として強制的に最適化されている。手足がベッドからはみ出すなら、ベッドのサイズにあわせて手足を切断すればいい。それが、国家権力が長い時間をかけて醸成/洗練させてきた幾何学的な支配の論理なのだ。

だが、現代のパリの郊外では、より複雑な事態が生じている。産業形態の変化により、移民労働力は不要となり、郊外はスラム化し、最低限の秩序すら保たれなくなった。郊外は国家によって見捨てられたのだ。暴動に参加した移民たちは、もはや国家の強制による秩序を「破壊
することではなく、むしろその「回復」を求めていたのだ。国家権力が彼らに振り下ろす暴力は、もはや「幾何学的に洗練された暴力」ではなく、差別的な警官たちによるいわれのない殴打という最も「野蛮」な暴力に変わってしまったのだ。警棒でできたアラベスクは「警棒の幾何学性」つまり「暴力の洗練された幾何学性」をふたたび国家に訴えようとする、移民たちの何重にもねじれた悲痛な叫びでもあるのだ。

警棒のトの字型と、アラベスクの幾何学模様。両者の「形」における偶然の一致が、両者の歴史にまつわる無数の観念の連鎖を引き起こすと同時に、その歴史性を超えた、両者の秘められた構造や特質を顕在化させた。だがよく見ると、アラベスクの警棒と警棒の間には、わずかな「隙間」が開いている。移民たちは、それでもなお、国家権力から逃れるための逃走線を引くことを忘れはしなかったのだ。


ブリュノ・ペナド《The Big One World》:肌を褐色に染め、アフロをはやし、笑顔で右手を掲げるミシュランマン。そこにはいつもの見慣れた「白い」ミシュランマンの姿はない。そしてその胸には「MICHELIN」ではなく、「The Big One World(大きなひとつの世界)」と書いてある。だがよく見ると、The Big One Worldという文字は「裏返し」になっている。つまりそこには、通常とは異なる「裏返し」の意味が幾つも与えられているのだ。

The Big One Worldという言葉も、ある言葉遊びから生まれた。この言葉は、マイケル・ムーア監督の映画『The Big One』に由来する。この映画は、ミシュラン社による大量解雇に対する抗議運動を記録したもので、そこでは、「The Big One(=デカイやつら=巨大企業)」の都合によりトカゲの尻尾のように切り捨てられてしまう労働者たち(多くは移民労働者たち)の苦悩と闘争の日々が描かれている。ミシュランマンの肌の褐色とは、「ストライキのピケで燃やされたタイヤから立ちのぼる黒い煙の色」でもある。実際のストライキでは、ミシュランマンのこぶしには、ミシュラン社に抗議するプラカードが握られていた。そしてムーアによれば「The Big One」とは端的に「アメリカ」のことでもある(Great Britainに対抗したシャレ)。「ひとつの大きな世界」という理想は、「The Big One’s World(デカイやつらの世界)」という理想と表裏一体なのだ。しかもThe Big One Worldという文字は赤い。「大きなひとつの世界」という白人たちの理想は、裏返してみると、数多くの人々の犠牲によって赤く血塗られているのだ。

ミシュランマンは、古ぼけた汽船の写真の上に載せられている。その船首にはリベリアの首都「モンロビア」と書いてある。褐色のミシュランマンは、アメリカで解放された黒人奴隷たちが初めて祖国に築き上げた「自由の土地(=リベリア)」に向かって航海しているのだ。褐色のミシュランマンとは、黒人たちの自由と解放の象徴に他ならない。だが皮肉なのは、モンロビアという名前が、アメリカ大統領のモンローに由来するという点。黒人奴隷たちが初めて手にした「自由の土地」とは、「自分たちの自由を奪ったアメリカによって与えられた自由の土地」という両義的な土地でもあるのだ。そして黒人たちの自由と解放を表現するためのシンボルもまた、白人たちから与えられたもの、つまりミシュランマンでしかないのだ。

だが、よく考えてみると、ミシュランマンを利用することは、黒人たちの巧みな戦略であるとも言える。シンボルがシンボルとして有効に機能するには、そのシンボルに対する人々の共通理解、歴史の共有が必要だ。だがそのようなシンボルを作り上げるにはあまりにも時間がかかる。ならば、すでに存在しているシンボルを「利用」してしまえばよい。つまり誰もが知っているミシュランマンを利用して、そこに通常の意味とは逆の意味を載せれば、その意味が通常の意味と激しく衝突することで、鮮烈な印象をもって、しかも公汎に素早く流通するようになる。つまり黒人たちは、既存のシンボルに「寄生」することによって自らのシンボルを作り上げたのだ。よく見るとミシュランマンの台座には「再利用可能な梱包」と書いてある。ミシュランマンとは、様々なシンボルを表現するために「再利用可能」な、豊かで力強いシンボルなのだ。

ミシュランマンの本名(?)は、ビバンダムという。最初期のポスターを見るとミシュランマンは包帯でぐるぐる巻きにされた怪物紳士のような姿で、食卓を囲む怪物たちに「今こそすべてを平らげてしまえ(ビバンダム)!」と高らかに宣言している。そこで平らげられようとしているものは何か。誰か。昔のタイヤは白かったが、現在のタイヤはもう白くない。ミシュランマンの現在の正しい色とは、黒なのだ。時代遅れな肌の色をして微笑み続けるミシュランマン。その空っぽで無害な笑顔とは裏腹に、ミシュランマンの身体の上では、今日も血で血を洗う壮絶なシンボルの闘争が繰り広げられている。


クロード・クロスキー《フラット・ワールド》:広い円テーブルの上に、地球の様々な場所をとらえた衛星写真が何枚も散乱している。その一枚を手に取ると、裏面にも何かが印刷されている。その多くは波状の模様だ。よく見るとそこには航跡が走っている。そう、この写真は海面をとらえた衛星写真なのだ。聞くところによると、これらはすべて、地球の正反対の場所を写した衛星写真を、紙の表裏に印刷したものらしい。鑑賞者は神経衰弱でもやるかのように、テーブルに広げられた紙を一枚また一枚と裏返してゆく。裏面のほとんどが海なのだが、たまたまそこに美しい地形の模様などが現れると神経衰弱で当たったかのような快感を憶えたりもする。3次元の地球では最も遠い場所が、2次元の地球では最も近い場所に変わる。モノや土地の位置関係、その布置は、人々の表象の仕方によってガラリと変わるのだ。

コペルニクスの地動説を通じて、空間の布置、例えば「上=天」という場所が意味を失ったように、Google Earthの衛星写真によって表象された世界の布置は、大胆な変革を遂げつつある。土地と土地との連続的な繋がりは無効化され、両者の間に横たわる膨大な土地の連続体は記憶から抹消され、すべての土地は「意味のある場所」と「意味のない場所」という二種類の土地だけに分断される。それぞれの土地に染み付いた歴史的な意味は衛生から見た幾何学的な図形に還元され、美的に消費される。不可侵性によって神聖性を保ち続けてきた場所は、衛星のあけすけな視線にさらされ、どこにでもある有限な土地として脱神聖化される。いまや自分の位置を知ために必要なのは、土地の「名前」ではなく、位置情報のみ、つまり緯度と経度(xy座標)のみとなったのだ。人々の空間表象、世界の布置、モノとモノとの関係性やその意味合いが、Googleによる地球表象のあり方、表象のシステムによって、ガラリと変容しつつあるのだ。

だが、円テーブルの上に載せられたGoogleによる世界像は、鑑賞者にふたたび奇妙な一致を思い起こさせる。Googleによる「フラット」な世界表象は、コペルニクス以前の「フラット」な世界表象に回帰しているようにも見えるのだ。円テーブルというフラットな「平面」の上だけで繰り広げられ、完結する世界。テーブルの縁によって縁取られた世界。さすがにテーブルの下にはカメもゾウもいないが、Googleによるフラットな世界像は、コペルニクス以前のフラットな世界像と奇妙に一致してはいないだろうか。しかも両者は、フラットな世界のすべてを見渡し、そのすべてを見通してしまう、唯一絶対的な視点の存在という点でも共通している。そこでは、「神の視点」が「衛星の視点」に変わっただけなのだ。いわば、すべてがふたたび、ただひとつの原理だけに即した世界表象という観念、表象のシステムに還元されつつあるのだ。


言葉の類似性が、窓と未亡人とを結びつけ、形状の類似性が、警棒とアラベスクとを結びつけたように、モノのどの部分に注目するかによって、つまりは、モノをどの文脈において見るかによってモノの現れ方はガラリと変わる。だが注意すべきは、そのとき同時に、モノが置かれた文脈そのものも変化を被る可能性があるという点だ。そしてそれこそまさに、デュシャンの戦略に他ならない。《泉》とは、美術館におかれた便器が新しい美的な質を示すようになることであると同時に、美術館という文脈そのもののあり方、例えばそこで自明の前提とされていた様々なコードの存在を顕在化させる試みでもあり、それは実際に当時の芸術界の文脈を大きく変化させた。そして現在、震災は様々なモノの布置を変えつつある。それはつまり、人々のモノの見方、人々の表象のあり方が変わるということだ。歴史的に見ても震災はモノの見方、捉え方に大きな変化を与えるという。つまり「文化」が変わるのだ。喪に閉ざされた「日本の窓」の向こう側に、新たな変化の兆しが見えてきている。


text:桑原俊介

「フレンチ・ウィンドウ展:デュシャン賞にみるフランス現代美術の最前線」の展覧会情報はコチラ


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