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新奇を求めて《長沢芦雪 奇は新なり レビュー》

2011 年 4 月 29 日 3,374 views 2 Comments

滋賀県のMIHO MUSEUMでしだれ桜が見頃をむかえている。設計を請け負った建築家イオ・ミン・ペイ氏によると、この美術館は「桃源郷」をイメージしているとのこと。(同氏の代表建築としてはルーヴル美術館の「ガラスのピラミッド』などがある)レセプション棟で入場券を買って、桃源郷である展示館へ桜並木を通ってたどり着くというコンセプトからすると、なるほど今の時期が最もふさわしいではないかと送迎用の電気自動車に揺られつつ思った。

現在、MIHO MUSEUMでは3月12日から6月5日まで春期特別展『長沢芦雪~奇は新なり~』が開催されている。長沢芦雪は江戸時代の奇想の画家として曽我蕭白や伊藤若冲と並び称されている人物である。また芦雪は京都画壇、延いては近代日本画の祖と言われる円山応挙の高弟としても有名であり、画法において師の影響を大きく受けている。芦雪の作品の魅力は師ゆずりの卓越した描写技術と、大胆な構図と才気あふれる奔放な画風を併せ持っているところにある。さらに今回の展覧会では82年ぶりに再発見された芦雪の幻の作《方寸五百羅漢図》が初公開され、大きな見所となっている。

第1章「応挙に学ぶ」では円山応挙の作品数点とその写生画法を学びつつ、早くも創意工夫を凝らそうとする芦雪の作品を見ることができる。応挙は「写生画」と呼ばれる画風を確立し、その一派である円山派は京都画壇の主流となった。応挙の「写生」は写実的ではあるが「自然」とは異なる。装飾性を重視した構図や描写されない背景、光学的な陰影の欠如がその理由である。「写生画」の大きな特徴は観察による徹底した細部描写と立体感にある。少し話が逸れるが、昨年の9月25日から11月7日にかけて京都市立美術館で開催された『京都日本画の誕生』展で、円山応挙の代表作《牡丹孔雀図》(相国寺蔵)を鑑賞する機会があった。2羽の孔雀に施された完璧なまでの細部描写が人々を圧倒する展覧会の目玉作品であった。弟子芦雪がそれと全く同じ題名で描いたものが今回展示されている。この《牡丹孔雀図》からは芦雪が師の画風を忠実に学び、我がものにしていることがうかがえる。特に孔雀の描写は、応挙のものと見間違うほど完成されている。その一方で、孔雀の数が1羽になっていたり体勢がそっくり左右反転している点などは、芦雪が師の作品を盲目的に模写したのではないことを示している。また《牛図》のように紙本の横幅約26センチに牛の頭部だけが収まっているという後の画風を思わせる作品も見られておもしろい。
 
芦雪の生涯は自身の画風に似て破天荒であり自由奔放であったとされ、多くの逸話を残している。中でも師弟に関する有名な話に次のようなものがある。
ある時、応挙が弟子のために描いた手本を何も手を入れずそのまま芦雪が師に見せると、応挙は手直しを入れた。そこで次に芦雪が清書して持っていくと応挙はそれを褒めた。このことを芦雪は仲間達に得意げに語ったことで破門にされた。(このような逸話は他にもあり、3回破門されたという話も残っているほどである)この話は芦雪の人柄とその卓越した技量を思わせる。応挙には千人近い弟子がいたとされるが、その面倒に加えて多くの制作に応じなければならなかった。南紀での依頼の際に、多忙で京を離れることができない師の名代として多くの兄弟子を差し置いて芦雪が大抜擢されたことは、その才を既に認められていたことを示している。そして師や京都から離れた地での制作は、芦雪により自由な創作意欲を湧かせるきっかけとなった。この時期の作品が第2章「南紀へ向かう」で紹介されている。

第3章「奇は新なり」以降は芦雪が京都に戻った後の作品群となるが、ここで芦雪の画風はいよいよ確立する。代表作《白象黒牛図屏風》に登場する白い象と烏、黒牛と白い子犬はそれまでにない極端な大小、白と黒の対比で描かれている。この作品の展示のために1部屋をまるまる使っている演出もまた、鑑賞者に強烈な印象を与えていた。《孔雀図》においては第1章で取り上げた《牡丹孔雀図》との画風の変化がおもしろい。黒線を多用することで、孔雀全体の色合いは《牡丹孔雀図》に比べ華やかさを抑えられている。孔雀の体と交差するように枝を配置し、画面上に大きなXを描く大胆な構図には芦雪らしさ出ている。また応挙風でない岩の表情として墨によるぼかしも見られる。画面右下には蟻や蜘蛛を啄む雀がいて《白象黒牛図屏風》と同様1つの画面に極端な大小を描く手法が使われているが、この傾向は晩年になるほどますます極端になっていく。

順路の最後に展示されているのが前述の《方寸五百羅漢図》である。約3センチ四方の紙に白象、唐獅子、虎、竜、そして多くの羅漢が描かれているのだが、もはや肉眼でそれらを確認することは困難である。この絵は芦雪の亡くなる前年に京都東山で開かれた新書画展観に出品され、その極限とも言える微細な描写に人々は衝撃を受けた。(新書画展観とは儒学者の皆川淇園が京都、大阪、江戸の書画が活気づくことを願って開いていた近代の展覧会の走りとも言うべき催しであった)作品の近くには当時一般に出回っていた天眼鏡が展示されており、おそらく芦雪もそれを使って描き、鑑賞者もそのレンズ越しに作品を見ていたのではないかと推測される。いずれにせよ、それまでの芦雪の作品とは一線を画しているような印象を受ける。事実、大作を好んだ芦雪においてこのような小画は絶無であり、貴重である。しかし1928年に売りに出された後の消息が途絶え、長らく幻の作品とされていた。再発見の喜びを反映してか《方寸五百羅漢図》の展示には様々な工夫がされており、作品同様一見の価値がある。

伝統芸能や芸術の世界における「守・破・離」という考え方は現代でも広く認知されていることだろう。まず師匠が弟子に基本形を教え込み(守)、やがて弟子は自らの特性に合うように枠を飛び出し(破)ついには自分なりの境地に至る(離)。芦雪はまさにこのことを体現した画家であったといえる。

参考文献:展覧会図録


text:上田祥悟

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2 Comments »

  • camus said:

    5月末に行って参りましたのでしだれ桜は終わってましたが,新緑がとても綺麗でした。芦雪の犬は,きっとどなたが見られても「見たことある!」と言われるものではないでしょうか。私も数点の作品とハガキやクリアファイルになっている犬達を見たことがありましたが,今回のように作品全体を,しっかり,そして複数見ましたら,「なんて愛くるしい・・・」とこれまで持ったことのない感想を持ちました。実は私は20代の頃に犬にかまれてから大の犬嫌いで,嫌悪の対象でしかなかったのです・・・。でも,芦雪の犬コロの後姿や尻尾は本当に可愛くてかわいくて。とてもいい経験をさせていただきました。
    また,竹と犬の「笑」もたくさんありましたし,当時空想で描かれたという虎を応挙作と並べて比較できるように展示されていたりと,とても贅沢な展覧会で,常設展が時間切れになるほどギリギリの時間まで楽しませていただきました。

  • 55museum (author) said:

    >> camus様

    いつもコメントありがとうございます。
    camus様が芦雪展を楽しまれたのがすごくよくわかって
    こちらまで楽しい気持ちになりました。
    長沢芦雪はきっと犬が大好きだったのでしょうね。

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