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裏切られたビジョン《パウル・クレー展 レビュー》

2011 年 4 月 29 日 4,061 views No Comment

無から有を創りだす芸術家の仕事は、しばしば神の仕事にたとえられてきた。自らのイメージをその卓越した能力によって具現化するという点で、確かに両者はよく似ている。そしてこのことは当の芸術家も強く意識していたようで、例えばデューラーは自らをキリストにたとえた自画像を描いているし、とりわけ19世紀以降、多くの芸術家は文字通り神のごとく傲慢な振る舞いを歴史の舞台で演じてきた。いわば無から有を産み出す仕事は、神と芸術家のみにゆるされた特権的な能力だったのである。

そのような「天才的な」芸術家に対する一般的なイメージは恐らくこんなものではないだろうか。つまり、まず芸術家の頭の中には作品の完全なビジョンが浮かび上がる。すると彼はペンを、あるいは絵筆をとり、そのビジョンを現実の世界に光臨させる……、等々。

もちろん、ぼくたちは実際の芸術家の仕事が、そのような容易いものではないことを知ってはいる。ベートーヴェンが一曲の交響曲を完成させるまでに、その三倍もの量のスケッチを残すこともあったことはよく知られているし、あの《最後の晩餐》の構図は綿密な遠近法の計算があって初めて成り立つものであることも事実だ。それでも彼らの作品の完璧さからは、そのような労力の跡を感じとることは難しいだろうし、芸術家自身もそのような苦労の跡を作品に残すことを良しとしないことが多かった。着想から完成までの道のりが短ければ短いほど、それは言うならば天才の証左となりえたのである。

そのような芸術家の仕事と比較すると、クレーが着想から完成の間にたどった道筋は、極めて複雑で奇怪なものに見える。いや、むしろ彼の場合、完成という概念そのものが不明確であると言った方が正しいかもしれない。

例えば1914年に作られた《AとB》と題された絵を見てみよう。この作品は横長の台紙の上に、大小二枚の絵が貼り付けられてできている。しかしこの作品は当初は縦長の一枚の絵として完成されたものを切断し、片方を逆様にして並べて貼り付けたものである。つまりクレーは一旦完成した作品を、破壊することで新たに作品を作り上げたのである(もっともクレー自身はそれを完成とは見なさなかったかもしれないが、便宜的にここでは完成という言葉を使うことにする)。それは伝統的な芸術の意味に即するならば、芸術家のビジョンを一度破壊することで、彼は作品を新たな完成へと導いたのだと言えるだろう。

このような作品の制作方法は、1914年から1923年にわたってクレーが幾度となく試みた手法であり、現在確認されているだけでも110点の作品がこの手法によって制作されているという。ここで重要なことは、コラージュのような作品と違い、クレーは作品の破壊の跡を(程度の差はあれ)鑑賞者が明確に分かるような形で提示したことである。つまり彼自身も表明しているように、クレーにとっては、破壊という行為そのものが創造的な行為であったのである。

それではなぜ、彼は現実化された自らのビジョンを一度破壊する必要があったのだろうか? 彼の作品は破壊という過程を経る前の段階でも、十分に作品として成立しているというのに、なぜそのようなプロセスを経験しなければならなかったのか? 

その問を解くためには、クレーの作品が作られた時期、すなわち彼自身が従軍することとなった第一次世界大戦に目を向けることがヒントとなってくれるかもしれない。

現代の視点から見れば、この大戦は近代的な、そして凄惨な戦争の始まりとして認識されている。しかしながら大戦の前段階で、そのことを予期していた人間はごく僅かしかいなかった。それどころかヨーロッパの知識人の多くは、この戦争に対して世界の浄化という密かな期待を寄せてすらいたのである。そのような態度が最も極端な形で現れているのは未来派の芸術家たちの思想だろう。彼らは戦争と暴力を賞賛し、それが世界を刷新する切欠となることを期待した。彼らが未来の都市のビジョンを制作したことは決してそのことと無関係ではない。そして程度の差はあれ、開戦前まで多くの知識人たちは、戦争に対して肯定的な思想を共有していた。例えばクレーとも交友のあったフランツ・マルクは、実際にある手紙の中で戦争に対して芸術を純化する期待を告白している。無理もないことだが、19世紀的なブルジョワ階級の人々にとって、近代的な戦争がもたらす大量虐殺と貧困など想定外のことだったのである。

もっとも彼らの期待は戦争が始まるとすぐに打ち砕かれることとなる。900万人以上の戦死者を出したこの大戦は、戦勝国を含むあらゆる国々に大きな爪痕を残した。とりわけ敗戦の運命をたどったドイツでは、イギリスによる経済封鎖のために76万人の餓死者を生んだという。かつての騎士道的な戦争とは異なり、この大戦は社会全体に対して暗雲を投げかけたのである。戦争は世界を浄化することなど決してなく、むしろ世界を新たな極地へと追いやったに過ぎなかったのだ。

かくして、多くの知識人たちが共有していた大戦に対する期待はいともたやすく裏切られた。戦争に期待を寄せていた芸術家たちにとって、それは未来に寄せた輝かしいビジョンが打ち砕かれた瞬間でもあっただろう。クレー自身が大戦に対してどのような見解をもっていたのかは分からない。しかし実際に従軍を経験した彼は、そのような時代の空気を肌で感じ取っていたに違いない。それならば、もはや彼にとって、芸術家の示すビジョンなど欺瞞以外のなにものでもなかったのではないだろうか。

《沈む世界を覆って霧がたなびく》と題された一枚の作品がある。ここでもクレーは一枚の完成された作品を切断し、作品を新たに構成しなおしている。この作品の元の状態と切断後のそれとを比較すると、破壊というプロセスの持つ意味がいっそう強く浮かび上がるように思われる。この作品は総じて抽象的に描かれているが、当初そこでは、沈み行く世界の最上部にキュビズム的に描かれたひとりの人物が腰掛けていた。しかし切断によって、その人物と世界とは切り離され、最終的には別個のものとして対置される。それはあたかも、世界が沈んでいく一方、人間はそれとは別の孤独な空間でその様子をただ見つめているだけ(あるいはそれに気がつきもしない)であるかのようである。ここでは当初あった人間と世界との接点は完全に失われている。

彼はこの作品について日記に次のように記している。
「抽象。パトスのないこの様式の冷たいロマン主義は途方もない。この世界が恐怖に満ちるほど、芸術はよりいっそう抽象的になる。一方で、幸福な世界は彼岸的な芸術を創りだす。」

このクレーの言葉は、本作品の注釈となっているだけでなく、社会が芸術のフォルムを創るという思想の表明でもある。彼の言葉に従うならば、作品を「いっそう抽象的に」する切断という行為は社会によって与えられたものと言えるだろう。それによって、芸術家が当初提示したビジョンは打ち砕かれ、異なるビジョンが新たに形成される。そして彼はそれこそを真の完成品として提示するのだ。それは言うなれば、芸術家のビジョンが当初のままの状態では、世界を捉えることができないことの告白である。

それならば切断という行為はクレーにとって、芸術という行為の敗北宣言といってよいのだろうか? しかしそれを行うのが、実際は社会ではなくクレー自身であるために、ぼくたちは、あるパラドックスに突き当たる。つまり彼の場合、作品は破壊されることで初めて作品として成立すると同時に、それを行うのが芸術家自身である以上、それは破壊ではなく一種の創造行為となりうる。クレーは極めて逆説的な意味で、すなわち芸術家のビジョンが裏切られたことを告白することによって、作品に創造的な価値を新たに与えたのだ。

20世紀という時代は、芸術の役割が大きく変化した時代でもある。経済的にも政治的にも、芸術家は社会と何らかの形でかかわりあうことを余儀なくされ、もはや彼らは神のごとき創造主の地位を放棄せねばならなかった。彼らは時代を生きる一人の人間に一度立ち返らなければならなかったのだ。「見えないものを見えるようにする」というクレーの芸術上の理念は確かに、天才のみに見えるビジョンを具現化するという19世紀的な理念を受け継いではいる。しかしそのためには、作品の破壊というプロセスを体験しなければならない。そこには彼が生きた時代の証が刻み込まれているとともに、その過程によって、彼の芸術は不死鳥のごとく生き返るのである。

参考文献:展覧会図録


text:浅井佑太

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