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写真が語るもう一つの超現実 《シュルレアリスム展  レビュー》

2011 年 3 月 28 日 4,319 views No Comment

現代美術作家、杉本博司の作品の中に「観念の形」という写真作品がある。東京大学に19世紀終わりから20世紀始めにかけてドイツで制作された「数理モデル」と呼ばれる石膏の模型が200点あまり保存されている。「観念の形」はこの「数理モデル」に強い関心を抱いた杉本が2004年に撮影したものだ。代数幾何学や微分幾何学などの3次元空間を表現する数式がいったいどのような形を現しているのか、数式を見ただけではなかなかイメージしにくい。そこでこうした数式を視覚に訴えて理解しやすくするために作られたのがこの「数理モデル」だ。「数理モデル」には数式によって様々な形態があるが、どれも美しい曲線を持っている。それはあたかも現代建築や吊橋などでよく見る美しいアーチ型の曲線を見ているかのようだ。

杉本は石膏の模型を暗い空間に置き、大判のカメラで撮影した。写真は漆黒の背景の中に浮かび上がる「数理モデル」の表面の細かいテクスチャーまでをも映し出しており、そのリアルさは見る者に強い印象を与える。杉本は「観念の形」について次のように述べている。
「数理模型は芸術的な野心をまったく持たずに制作されたものです。そしてその非芸術性が私の芸術創作意欲を燃やしたのです。芸術は芸術的野心なしでも可能であり時としてなしのほうがましである、と言えるからです。」(「苔のむすまで」杉本博司より)

東京の国立新美術館で開かれている「シュルレアリスム」展でこの「観念の形」ときわめて良く似た写真が出展されている。「シュルレアリスム」を代表する画家でもあり写真家でもあったマン・レイの作品だ。出品されているのは1934年から36年にかけて撮影された「数学的オブジェ」と題された写真5点だ。

マン・レイは画家のマックス・エルンストの依頼でフランスのある研究所に保管されていたやはりドイツ製の「数理モデル」を撮影した。撮影方法は杉本と非常によく似ており、黒い背景に浮かび上がる石膏の模型が美しい曲線を見せている。

20世紀の初め、パリで始まった「シュルレアリスム」の運動は文学や絵画、彫刻そして写真や映画など広い範囲にわたる芸術運動であった。これまで主に絵画を中心に「シュルレアリスム」は紹介されてきたが、写真もまた重要な位置を占め、多くの作品が誕生した。今回の『シュルレアリスム展』でも絵画や彫刻に加えて写真の展示も興味深いものが多い。モンタージュやソラリゼーション、クローズアップなど、写真ならではの技法を活かした作品が多い中で、異彩を放つのがこのマン・レイの「数学的オブジェ」だ。

マン・レイは実に多彩なアーティストだった。絵画や写真はもちろん、様々な素材を使ったオブジェなど制作技法は多岐にわたる。中でも写真についてはソラリゼーションやコラージュなど新しい様々な技法を駆使して自己表現を試みた。しかしこの「数学的オブジェ」ではマン・レイは特殊な技法は一切使っていない。撮影方法は物体を純粋にオブジェとして捉えることに徹しており、撮影する側の人間の存在を消しているかのようだ。「シュルレアリスムの公式写真家」とまでいわれ、多くの写真作品を残しているマン・レイだが、「数学的オブジェ」にはどのようなメッセージがこめられているのだろか。マン・レイは映画「A life in the DAY of Man Rey」の中で次のように語ったという。
“私は数学的には特に何の興味もありませんし、理解もできません。しかしその形態はこれまで絵画や彫刻の世界で見てきたものとは格段に違った脅威に満ちたものなのです。”

「シュルレアリスム」とは日本語で超現実主義と訳され、その芸術には幻想や夢の世界など人間の無意識の世界、いわゆる「超現実」の世界を表現したものが多い。「シュルレアリスム」を代表する画家ダリやマグリット、キリコ、ミロなどの絵画で表現される幻想や神話などの不思議な世界はまさに「シュルレアリスム」を象徴するイメージであり、今回の展覧会でもこうした画家の絵画作品が多く出品されている。

こうした幻想や夢といった「シュルレアリスム」を象徴する作品の中で、石膏のモデルをありのままに撮影したマン・レイの「数学的オブジェ」は極めて特異な感じがする。これもまた「シュルレアリスム」作品の一つだというが、現実と「超現実」、それはいったいどのような関係にあるのだろうか。フランス文学の研究者の一人 巌谷國士は次のように述べている。

「超現実は現実を超越しているというだけではなくむしろ現実の度合いが強いという意味を含んでいます。「強度の現実」とか「上位の現実」あるいは「現実以上の現実」と考えてもよいのです。」そしてシュルレアリスムとは「物と物、概念と概念がただ脈絡なく併置されている状態」を現しているのだという。(「シュルレアリスムとは何か」巌谷國士より)

「シュルレアリスム」というと私たちは現実に対してまったく違う別の世界があって、それを「超現実」だと考えがちだ。しかし「シュルレアリスム」でいうところの「超現実」とは、現実の世界に内在するより「強い現実」のことを指すのだという。現実と「超現実」は度合いが違うだけであり、それは例えでいうならばスピードに対して「超スピード」のようなものなのだ。猛烈に早いスピード「超スピード」は普通のスピードとは段階が違うだけで、その間には壁や柵みたいなものがあるわけではない。「超現実」とは私たちが普段見ている現実世界とは別にある世界ではなく現実をより強くした世界であり連続して存在するものだというのだ。

19世紀半ばに発明された写真はこうした「シュルレアリスム」の「強度の現実」を表現する手段としてうってつけの手段だった。現実を現実のままに捉え記憶させるという写真の本来の機能にマン・レイなど一部のシュルレアリストたちは注目したのである。

マン・レイは物体をありのまま撮影し作品にする試みをいくつか行っている。1920年に発表した《ミシンと雨傘》もそのひとつだろう。詩人のロートレアモン伯爵の「解剖台の上でのミシンと雨傘の偶発的な出会い」という詩の一節をそのまま写真にしたもので、旧式のミシンと雨傘が映っているだけの実に即物的な写真だ。マン・レイの「女の胸像」や「手」などといった写真もまた人間の体を極めて即物的なオブジェとして捉えようとする視点で撮影されており、それはまさに「物と物が脈絡なく併置されている状態」なのだ。

文学から絵画、彫刻、映画、写真など非常に広範にわたる芸術運動「シュルレアリスム」では、物を単なる物体として捉えそこに存在する意味を与えずに表現することも行った。そうして現れた光景もまた現実と連続して出現する「超現実」と考えていたのだ。ここで重要なことは物を主観を交えず単なるオブジェとして眺めようというまなざしである。

杉本博司は「非芸術性が私の芸術創作意欲を燃やした」と語り「観念の形」を撮影した。数式と言う人間が関与せずに出来上がった形態「数理モデル」を超リアルに撮影し写真に表現することで、そこにはある意味では現実以上の現実を作り上げることに成功したのだ。そのリアルさは現実に存在する物体以上の力で私たち見る者に迫ってくる。装飾や説明的な部分を省略した「ミニマルアート」の世界かとも思われるが、これもまたある意味では「強度の現実」すなわち「シュルレアリスム」の世界だと言えるのかもしれない。

70年近くの時を超えて二人の写真家が関心を示し撮影した「数理モデル」。彼らの写真を見ていると「シュルレアリスム」という芸術運動の奥深さをあらためて思い知らされるのである。

参考文献:「シュルレアリスムとは何か」 巌谷國士 ちくま学芸文庫、「苔のむすまで」 杉本博司 新潮社、「シュルレアリスム」 酒井健 中公新書 


text:小平信行

「シュルレアリスム展 −パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による−」の展覧会情報はコチラ


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