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孤高の天才建築家 美の秘密 《建築家 白井晟一 精神と空間展 レビュー》

2011 年 2 月 27 日 4,998 views No Comment

使うこと、すなわち「用」として忠実に作られたものの中に自ずと美が存在する。そう考えたのは民藝運動の提唱者 柳宗悦だった。彼は日常使われる様々な道具や家具などに美を見出したのだ。しかし一方で例えば焼き物などで経験することだが、美的な評価が高いものが、必ずしも使いやすいとはいえない。逆は必ずしも真ではない。

建物についても同じことが言えそうだ。派手なデザインで街のシンボルになった建物が必ずしも使いやすい、あるいは住みやすいとは言えないことがしばしばある。建築家は様々な尺度を持って建物の設計をしなければならない。まず使い勝手、住み心地、そして美しさ、街との景観の中でデザインが許されるかどうかも重要な要素だ。さらに強度もまた大切な項目だ。地震がおきてすぐ壊れてはどうしようもない。そして予算。施主の要望は時に厳しい時もある。これほど多くの要素を満たしながら建築家は同時にそれを通して自己表現もしなければならない。建築は芸術作品の一種だと私は考えるが、絵画や彫刻とは異なる世界だ。

建築家と同時に哲学者でもあった白井晟一は建築をめぐる「用の美」に深く関心を持ち、様々に思考をめぐらせた。今、開かれている白井晟一「精神と空間」展はそのことを強く感じさせる展覧会だ。

白井晟一は20世紀の半ばを中心に様々な特徴ある建物を生んだ。今回の展覧会では設計図や透視図、写真、さらにミニチュアの模型などを通して、住宅や公共建築、美術館など8つの大きな柱に沿って白井の幅広い活動を紹介している。この中にはすでに解体され、現存しない建物や、設計はしたが実現しなかった幻の建築案も多くあり、今回の展覧会はこうした幻の建物についても残された資料を使って白井晟一の考え方を明らかにしようとする貴重な機会となっている。

まず初めに紹介されるのが1967年に東京の中野に作られた自らが瞑想し黙考するために作った書斎「虚白庵」だ。「虚白庵」は残念ながら昨年取り壊され今は存在しないが、かつて撮影された写真や書斎に置かれた家具や彫刻などが展示されており、建物や空間の雰囲気が伝わってくる。「虚白庵」の特徴は窓が極めて少ないことだ。自らのエッセー「無窓無塵」に「100平米ほどの書斎に開口部は一つだけでこの住居には窓がないとよく言われていた」と記している。洞窟のように薄暗い部屋。間接照明で照らされる書や彫刻などのオブジェ。部屋から一歩外にでるとそこには室内とは対象的に明るい陽光に照らされた庭が広がる。敷き詰められた白砂と一本だけ植えられた枝垂れ梅が印象的だ。この自邸の全てが白井にとって考え、そして瞑想するために作られた空間である。

哲学者でもあった白井は様々なエッセーを書き残している。それらはどちらかと言うと建築についてよりも芸術全般について思いをめぐらせたものが多い。こうしたエッセーの中で白井は建築家について次のように書いている。

「建築家は施主の夢を占う。施主には個人から共同体まである。大王もあれば明日の幽明すら不測の病人もないとはいえない。「くらしの工夫」信徒も袖にはできない。桂離宮やパルテノンの建築家はたしかにうまい裁断師、すぐれた医師である前に透徹した占眼を具えていたと思う。同じ造形家でも美術家と異なるこのような負担をのがれられないのが建築家の宿命であろう。画や彫刻は自分のものとしてつくられるが、たてものは施主のものであって建築家のものではないからである。」(エッセー「煥乎堂について」より)

白井は建築家として美とはどのようなものだろうと考え、自己を自らの作品にどう表現しようとしていたのだろうか。それは今回の展覧会の大きな柱の一つになっている「住」のコーナーでうかがい知ることができる。

ここでは白井が手がけた10あまりの個人の住宅が設計図や写真で紹介されているが、その中の一つに「試作小住宅」と名づけられた1953年東京の世田谷区に建てられた14坪ほどの小さな住宅がある。見たところなんの変哲もないような住宅だが、白井にとっては自らの建築観と施主の要望との間で様々な思考をめぐらせた建物だ。

「住居は一生の間にはたびたびつくれない。長くもない生涯を風雨や地震に堪え、見るからにがっしりした家で暮らしたいとは誰しも想うことではないか。ロウコストは建築のエレメントだが、それも人間の生活や精神を引き上げるのを妨げるロウコストではこまるのだ。」(エッセー「試作小住宅」より)

この「試作小住宅」は特徴的なデザインを持つ建物ではないが、かつての日本の民家にあった白い漆喰壁やくすんだ木の柱が印象的だ。部屋の内部は障子を通して陽の光がたっぷりと入り、畳と木の床がバランスよく調和し、モダンな和の雰囲気を醸し出している。白井のエッセーによれば、この住宅は地方に住む施主が東京に住む2人の息子のために計画したもので、将来子どもが出ていった後の利用のことも考えてほしいと言われたと書かれている。白井は太い柱をたっぷりと使い、断熱や防音、防腐についても細かく配慮した。当然のことながら予算の制限はあるものの、住み心地はもちろん、住む人の精神的な安寧も考えていることがよく伝わってくる。この建物の場合、住むということが「用」であり、そこにこそ美がひそむという考え方を白井が自らの建築思考の根底にすえていたことの証でもあると私には思える。
白井晟一の建築家としての個性がいかんなく発揮されるのが比較的後期に作られた美術館や都市のオフィスビルだろう。そのいくつかを実際に訪ねてみた。

渋谷の高級住宅街にひっそりと立つ松濤美術館。1978年に建てられた区立の美術館だ。正面の壁は全面巨大な石積みで作られ重々しい雰囲気だ。しかし一歩中に入ると雰囲気は一変する。まず目に入るのが建物の中央にある地下2階から地上2階まである大きな吹き抜けだ。吹き抜けの一番下は池になっており、噴水からは水が流れ出している。訪れた人はこの吹き抜けの周囲に作られた部屋で美術品を鑑賞する。静寂の中で時折水の流れる音が聞こえ、ここが都会の真ん中であることを一瞬忘れさせてくれる。外壁が大きな石で出来ているということが強く印象に残っているだけに、美術館の中はあたかも巨岩に守られた塊の中の空間のようだ。白井は展示作品を見せる場を巨岩で外界から隔てることで作ったのだ。同じく静岡市にある石水館と呼ばれる美術館もまた外壁が大きな石積みでできている。この美術館は静岡市出身の染色家で人間国宝の芹沢銈介の作品を収めるために作られたもので、弥生時代の住居跡で有名な登呂遺跡の中にまるですっぽり納まるように建てられている。作品を見ながらいくつかの部屋を通っていくとやがて石が敷き詰められた坪庭に出会う。それはあたかも白井の書斎として作られた「虚白庵」の庭のようだ。そして巨岩の壁に守られた空間に美術作品を展示するというコンセプトは松濤美術館とよく似ている。

白井が美術館にこめた意図。それは落ち着いた静謐な空間で、美術作品と向き合う場を提供するというものではなかったか。ここでは鑑賞するということが「用」である。白井の美術館は「用」を追及した結果できたものであり、美しい建物が誕生した。

白井晟一は1950年代の初頭、いくつかの地方の役場や病院なども手がけた。今回の展覧会では「共」というくくりでそのいくつかが紹介されている。中でも印象的なのが秋田県の秋の宮村役場だ。大きな屋根がすっぽりと建物全体を覆う姿はまるで大きな鳥が羽根を休めているようだ。

「秋田の人々は雪をおそれている。然し雪とたたかう努力も又吾々の想像をこえている。ここでは雪国の建築に対する研究が既に完成されていると云われるにもかかわらず人々は陰気な冬を克服することを諦めるのをやめない。」(エッセー「秋の宮村役場」より)

白井には陰鬱な雪国の冬でも人々が楽しく明るく過ごせればという願いがあった。それを実現できれば都会の大きな建物を作るために働くより数倍楽しいに違いないと語っている。そして村の民家をモチーフに秋の宮村の役場の設計案を作ったのだ。こうして公共建築をいくつか手がける中で、いつも白井の念頭にあったのは何よりも建物を使う住民のことだった。時には発注者である行政との意見の食い違いにも直面したという。建築家 白井晟一が最も心血をそそいだのは建物の使い勝手であり、そこには使い易さはもちろんのこと、使う人の精神的な安らぎも含まれていた。

白井にとって「用」とは「繰り返され、絶えず変化する日々のなかで、なおも生き残る暮らし」であり、「人間の動作や振る舞い、考え方や論理までも規定し、だからこそ「用」によって練られて生まれたもの、仕草、行為に人間が美しいと感じる全体がある。」(松山巌「白井晟一の初心と鍛錬」より)だった。機能的な使い勝手の良さということばかりではなく、長い時間常に使われ続け、そこから人間の生活が生まれることこそが重要であり、「用の美」もまたそうした長い時間をかけた生活から生まれるというのである。

東京の下町浅草。寺が街のあちこちに点在し、多く仏具屋が通りにならぶ。ここに究極の白井晟一の「精神と空間」を今に伝える建物が残っている。あとにも先にも白井にとっては唯一の宗教建築と言われる善照寺だ。東本願寺の境内へと向かう参道の脇に隠れるようにひっそり立つこの寺のつくりは、日本の寺院建築の中でもとりわけユニークなものだろう。それはどちらかといえば教会のようだ。普通の日本の寺とは違い四角い寺の建物の短い一辺が正面になる。すなわち縦長なのである。建物全体を覆う大きな屋根、四隅の太い柱、さらに高床式の廊下など、そのユニークさは際立っている。内部にも黒光りする太い柱が立ち並び、周囲の障子越しにやわらかな光が差し込む。その設計思想の基本は過剰な装飾とはまったく逆のシンプルさの追求だろう。それは本来、寺は瞑想する場であるという、ごく当たり前のことにこだわった結果生まれたものだ。祈りの場としての寺院。寺はそのことに特化することで、そこに広い意味での「用」の精神が息づき、その結果として美しい建物が現れたのだ。白井晟一の代表的なエッセー「めし」には美についての考えが記されている。

「美は人間が作るものとは言い難い。求めて得られるものではない。人間にはただ表徴と抽象の能力が与えられているだけである。」

参考文献:「無窓」白井晟一  晶文社
     「精神と空間」(展覧会図録)白井晟一  青幻社
      白井晟一 建築を語る  中央公論新社 

text:小平信行

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