Articles Archive for 4月 2011
美術館周辺の素敵なお店, 関東 »

国産食材の美味しさを堪能できる体にやさしいフレンチ
銀座5丁目にある「GINZA kansei」は、安全で美味しい国産食材を使ったフレンチの名店として多くのファンを持つお店。オーナーシェフの坂田幹靖氏は76年より「山の上ホテル」に勤務。渡仏してパリで研鑽を積んだ後、銀座「レザンドール」の料理長を勤め、90年に独立して青山に1号店を出店。2004年に2店目として「GINZA kansei」をオープンさせました。2010年には農水省FOOD ACTION NIPPON(フード アクション ニッポン)アワード2010のプロダクト部門「国産食材の美味しさを理解していただくための活動」に入賞するなど、同店の食材へのこだわりと料理への情熱は高く評価されています。そんな銀座の名店で、今回は岩手県の文化大使としても活躍されている坂田シェフに、とっておきの岩手牛の美味しいランチをご紹介していただきました。
(続きを読む…)
美術館周辺の素敵なお店, 関西 »

地元・関西で大切に育まれた様々な食材を生かした料理に舌鼓
ランチを済ませて美術館へ向かいたい、あるいは、鑑賞後に友達とゆったりディナーを楽しみたい…。そんな時、駅の近くにおいしいお店を知っていると助かるもの。大阪駅から大阪市立東洋陶磁美術館への道中、北新地界隈の入り口にある「北新地農園」は、まさにそういったシチュエーションにぴったりの一軒。アクセスのよさに加え、旬の地野菜をたっぷりと使ったヘルシーな料理が女性の支持を集めています。
こちらでいただけるのは、関西各地の農園から直送される瑞々しい旬の野菜をはじめ、肉や卵、米など地元の食材を生かした滋味あふれる料理ばかり。広々とした店内の中心には、その日の採れたて地野菜がどっさりとかごに盛られ、優れた農産物に恵まれた関西の魅力を改めて感じることができます。生産者の顔がしっかりと見えるこれらの食材は、安全かつフレッシュそのもの。
(続きを読む…)
展覧会レビュー, 桑原俊介, 関東 »

本展覧会の名称『フレンチ・ウィンドウ』は、デュシャンの《フレッシュ・ウィドウ》という作品に由来する。デュシャンは、「フレンチ・ウィンドウ」と呼ばれるフランス式の窓を、黒い皮で目隠しし、それを「フレッシュ・ウィドウ(=なりたての未亡人)」と名付けた(黒=喪)。単なる言葉遊びによって結びついたフレンチ・ウィンドウとフレッシュ・ウィドウ。単なる音の類似性が、フランス窓と未亡人にまつわる意外な歴史性を顕在化させる。時は第一次世界大戦直後のパリ。市街には実際に、喪に服する数多くの未亡人たちの姿が見られたことだろう。そして戦時中、空爆に備えて貼られていた窓の黒い目隠しは、戦後には喪を示すための目隠しとして利用されたことだろう。いわば、パリ中の窓という窓が、さらにいえば当時のフランスという国そのものが、すっぽりと喪に包まれたなりたての未亡人と化していたのだ。また両者は、他者の視線、他者の欲望を遮ることによって、よりいっそうその視線を、その欲望を引き付けてしまうという逆説的な官能性をたたえた存在でもある。窓も未亡人も、こちら側とあちら側(此岸と彼岸)との境界を生きる存在であり、両者は、秘められた「あちら側」への欲望を、遮ることで煽り立てる、閉ざされた通路なのだ。———————フレンチ・ウィンドウとフレッシュ・ウィドウという単なる言葉遊びが引き起こした数々の観念の連鎖。普段は決して出会うことのなかった二つのモノが、言葉の類似性を介して不意に出会い、そこに幾つもの新しい意味が産み落とされてゆく。モノが普段とは別の関係性や文脈の中に置かれることで、それまでには見えてこなかった様々な潜在的な可能性が開発されてゆくのだ。六本木ヒルズに唐突に現れたフレンチ・ウィンドウは、現代フランスを覗き込む「窓」として、あるいは、フランス的な思考の「枠組み」として、現代フランス(の芸術界)のどのような秘められた可能性を顕在化させるのか。
(続きを読む…)
小平信行, 展覧会レビュー, 関東 »

何年か前『液晶絵画』の展覧会があった。絵画と映像、この二つの異なった表現領域を液晶という技術を使って融合しようという試みだ。この展覧会ではいろいろな作品が展示されていたが、一つの特徴は液晶に映し出された絵画に動画の要素も取り入れているという点だ。普通の絵画のようだが、実はその中には「動」の仕掛けがあるのだ。液晶で見る絵画には静と動が混在し、これまで体験したことのない不思議な体験をすることができる。
『液晶絵画』は絵画を液晶パネルで見せ、そこに「動」という仕掛けを忍ばせた作品だった。これをまったく逆にした作品、すなわち映像をあたかも静止画のごとくに見せようとしたのが写真家、松江泰治の作品だ。現在、東京の国立新美術館で開催中の『アーティストファイル2011』で松江泰治の最新作を見ることができる。
(続きを読む…)
上田祥悟, 展覧会レビュー, 関西 »

滋賀県のMIHO MUSEUMでしだれ桜が見頃をむかえている。設計を請け負った建築家イオ・ミン・ペイ氏によると、この美術館は「桃源郷」をイメージしているとのこと。(同氏の代表建築としてはルーヴル美術館の「ガラスのピラミッド』などがある)レセプション棟で入場券を買って、桃源郷である展示館へ桜並木を通ってたどり着くというコンセプトからすると、なるほど今の時期が最もふさわしいではないかと送迎用の電気自動車に揺られつつ思った。
現在、MIHO MUSEUMでは3月12日から6月5日まで春期特別展『長沢芦雪~奇は新なり~』が開催されている。長沢芦雪は江戸時代の奇想の画家として曽我蕭白や伊藤若冲と並び称されている人物である。また芦雪は京都画壇、延いては近代日本画の祖と言われる円山応挙の高弟としても有名であり、画法において師の影響を大きく受けている。芦雪の作品の魅力は師ゆずりの卓越した描写技術と、大胆な構図と才気あふれる奔放な画風を併せ持っているところにある。さらに今回の展覧会では82年ぶりに再発見された芦雪の幻の作《方寸五百羅漢図》が初公開され、大きな見所となっている。
(続きを読む…)
浅井佑太, 関西 »

無から有を創りだす芸術家の仕事は、しばしば神の仕事にたとえられてきた。自らのイメージをその卓越した能力によって具現化するという点で、確かに両者はよく似ている。そしてこのことは当の芸術家も強く意識していたようで、例えばデューラーは自らをキリストにたとえた自画像を描いているし、とりわけ19世紀以降、多くの芸術家は文字通り神のごとく傲慢な振る舞いを歴史の舞台で演じてきた。いわば無から有を産み出す仕事は、神と芸術家のみにゆるされた特権的な能力だったのである。
そのような「天才的な」芸術家に対する一般的なイメージは恐らくこんなものではないだろうか。つまり、まず芸術家の頭の中には作品の完全なビジョンが浮かび上がる。すると彼はペンを、あるいは絵筆をとり、そのビジョンを現実の世界に光臨させる……、等々。
もちろん、ぼくたちは実際の芸術家の仕事が、そのような容易いものではないことを知ってはいる。ベートーヴェンが一曲の交響曲を完成させるまでに、その三倍もの量のスケッチを残すこともあったことはよく知られているし、あの《最後の晩餐》の構図は綿密な遠近法の計算があって初めて成り立つものであることも事実だ。それでも彼らの作品の完璧さからは、そのような労力の跡を感じとることは難しいだろうし、芸術家自身もそのような苦労の跡を作品に残すことを良しとしないことが多かった。着想から完成までの道のりが短ければ短いほど、それは言うならば天才の証左となりえたのである。
そのような芸術家の仕事と比較すると、クレーが着想から完成の間にたどった道筋は、極めて複雑で奇怪なものに見える。いや、むしろ彼の場合、完成という概念そのものが不明確であると言った方が正しいかもしれない。
(続きを読む…)
終了した展覧会 »
美術館サイト:http://www.yaf.or.jp/yma/
2011年4月29日(金・祝)〜 2011年6月26日(日)
横浜美術館(横浜市西区みなとみらい3-4-1)
Google Map
午前10時 ~ 午後5時(入館は閉館の30分前まで。)
休館日:木曜日
横浜美術館周辺の素敵なお店
(続きを読む…)